巨人Intelに挑め! ? 最終章:インテルとの法廷闘争、その裏側 (20) AMD対インテルの裁判、ついに始まる

巨人Intelに挑め! ? 最終章:インテルとの法廷闘争、その裏側 (20) AMD対インテルの裁判、ついに始まる

画像提供:マイナビニュース

○東京地方裁判所での公判が開始

確か2008年の後半頃だったろう、私は朝から緊張していた。というのも、その日がインテル相手のAMDの民事訴訟裁判の初公判の日だったからだ。裁判所に行くこと自体が私にとって初めての経験であった。

まず弁護士事務所で弁護士たちと落ち合い、その後丸の内の官庁街にある東京地方裁判所(東京地裁)まではタクシーでほんの10分くらいである。こちらは私を含めて5人、弁護士たちはビシッとスーツで決めてあの独特の黒い弁護士カバンを持っている。中にはぎっしりと資料が詰まっている。東京地裁到着後、荷物のチェック。裁判所への入場の際、弁護士と一般人は入り口が違う。弁護士たちは皆スーツの襟のところに弁護士バッジをつけているので見分けがつく。入場し、エレベーターホールでざっと見渡すと、法廷が開かれる部屋は10階以上にもなる東京地裁のビル内に数多くあって、たくさんの人が忙しそうに動き回っている。皆裁判という最終手段にまで訴えなければならなかった深刻な事情を抱えているのは明らかで、場慣れしている弁護士たち以外は緊張した面持ちである。

法廷の中は、意外とこじんまりとした部屋である。裁判長と双方の弁護士たちが相対するエリアと傍聴席とは木でできた枠で仕切られている。まず弁護士たちが入場し、双方の弁護士たちが相対することになる。インテル側の弁護士事務所も業界では名うての事務所である。私が緊張しながら傍聴席に座っていると、明らかにインテル側と見受けられる人間が何人か入ってきた。1人は本社からわざわざ来たのであろう、通訳を従えている。その他傍聴席にはプレスを含む傍聴人たちが着席している。

そのうちに裁判長、書記などが恭しく入場する。双方の弁護士同士が名刺を交換しながら挨拶をし始める。"XX先生、お手柔らかにお願いしますよ"、"XX先生こそ"、などと表情は和やかな挨拶をしていたのを鮮明に覚えている。テレビの弁護士ドラマなどでは、法廷に入ると相手をキッと睨むなどのシーンがよく出てくるが、ドラマで扱われるのは人間臭い刑事事件が圧倒的に多いのに対し、インテル相手のこの裁判は民事の損害賠償訴訟である。しかも、このような米国企業同士の特殊な裁判を担当できる事務所も限られていて、お互いに少なからず面識があるのだろう。事務所間の弁護士の移動もあるので弁護士同士のやり取りは至ってビジネスライクだ。もう10年も前の話なので込み入った内容についても覚えていないし、覚えていてもここに書くことはできない。ただ印象的だったのは、傍聴席で聞いている私にとっては、初めの3〜4回は審理のやり方についての弁護士同士のせめぎあいで、内容が専門的過ぎて正直言って何が起こっているのかわからないことが多かった。審理が終わると私は弁護士のところに行って、"先生、それで結局どうなったんですか?"、などと間抜けな質問を繰り返したように記憶している。

○USの裁判が迫る中、私の頭によぎったこと

日本の東京地裁での裁判はこのように粛々と始まったが、夏を過ぎるころになるといよいよ証拠による原告AMD側のインテル違法行為の立証段階に近づいてきていた。USでの裁判も翌年の3月に初公判の日取りが決められた。その点で日本が先行して公判が始まったのはインテルに大きなプレッシャーをかけたと思う。USの弁護士は裁判準備に一層忙しくなった。その頃から私の頭の中ではある疑問が生じていた、"本当にインテルはこの裁判を争うつもりなのだろうか?"。

その理由は次の通りである。

ディスカバリーで収集された膨大な証拠はインテルが独占的地位を濫用してカスタマーに圧力をかけ、AMDのビジネスを妨害したことを明らかに物語っている。
日本の公取委の排除勧告に続いて、ヨーロッパ、韓国の当局もインテルに違法行為ありと断定し、特にEC委員会はインテルに対しマイクロソフト並みの制裁金を課す準備段階に入っている。それまで静観していたUSの公取委(FTC)もやっとインテルへの調査を開始した。
USの損害賠償訴訟のルールでは負ければ原告の要求額の3倍の賠償額が課されることになる。いくら巨額の内部留保を抱えるインテルでも、何十億ドルという賠償金を払うだろうか? しかも、インテルが黒と断定されればインテルブランドに対するダメージは計り知れない。
裁判が実際に始まれば、証人喚問にはAMD、インテルの人間に加えて、そのカスタマーの要人たちも引っ張り出されることになる。それは大変に厄介な問題である。

私の頭の中では、インテルの顧客である世界に名だたるPC/サーバーの要人がインテルの幹部に電話をして、"何とかしろ"、と怒鳴っている姿が容易に想像できた。そのような中、裁判への準備は急ピッチで進められていった。

○急展開の和解成立

2009年も第4四半期(10〜12月)に入っていた。正確な日時は覚えていないが、私は本社からある重要なプレス発表に関しての情報を受け取った。インテルが2010年の3月から始まるUSでの裁判を前にAMDとの和解を提案してきたという情報だった。AMDは合意するという。しばらく隠密裏にされていた交渉の結果なのだろう。株価にも影響する大きなニュースなので、扱いには細心の注意を払った。かくしてAMDとインテルは当時としては最大規模と言われた訴訟について裁判開始前に和解した。和解の内容は20ページにわたる長文であるが内容の骨子は下記の通りである。

インテルはすべての顧客に対しAMDを排除する目的でのリベート、値引きなどをしない。
AMDは日本、USでの損害賠償請求訴訟を取り下げる。
インテルはAMDがGLOBALFOUNDRIES(AMDは当時ファブレスになるべく、ドレスデン工場を切り離す計画であった)に技術特許を移管することに異を唱えない。
和解金としてインテルはAMDに対しこの合意発行後30日以内に12億5000万ドル(当時の日本円にして約1,500億円)を支払う。

この他にも、"インテルがAMDの製品の性能を過少に評価されるような恣意的な仕掛けを製品に組み込まないこと"、などなど、過去にインテルが行った妨害行為について詳しく禁止事項を列挙している(「2014年に載った奇妙な記事」を参照)。

まさにAMDスリングショット・チームの大勝利であった。特に1,500億円にもなる和解金はビジネス的に言えば大変に大きな戦利品とも言えたし、一般社員の多くはその金額の大きさに狂喜していた。"1,500億円の利益を上げるためにはいくら売り上げなければならないか"、などと計算している営業員もいた。しかし、チームリーダーのトム・マッコイを含めスリングショット・プロジェクトの主要メンバーたちには手放しには喜べないしこりのようなものがあった。スリングショット・プロジェクトの本来の目的は和解金をせしめることではなく、インテルの違法行為を正義のもとに裁き、市場に"公正で自由な競争原理"を回復することであったからだ。同時に、法廷の場でカスタマーを巻き込んだ泥仕合をせずに終了できたことには安堵した。かくして4年にわたるスリングショット・プロジェクトは終了し、チームも解散され、メンバーはそれぞれが自分の本来の持ち場に戻っていった。

これで私のAMDでの経験に基づいた連載をすべて終了することになる。最終回となる次回では、2年間にわたる本連載シリーズの総括を書いてみたい。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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(吉川明日論)

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