知られざる「培養肉」の世界。歴史上最大の「食文化」転換期か!?

知られざる「培養肉」の世界。歴史上最大の「食文化」転換期か!?

東大生産技術研究所と日清の共同研究によって作られたサイコロステーキ状の培養肉。これは世界初の快挙だ 写真/東京大学生産技術研究

◆歴史上最大の「食文化」の大転換。もう牛肉は食べられない!?

 牛肉食の増加と、それに伴う森林破壊や穀物価格の高騰、水資源の枯渇が深刻化している。今後地球は人口100億人時代を迎えるといわれ、もうこのまま肉食を続けることはできないと予測されている。そこで新たな技術の開発が進んでいる。それが「培養肉」という技術だ。

 世界人口が70億人を超え、中国など新興国で食肉の需要が増化するなか、懸念されているのがタンパク質危機だ。近い将来、肉の需要に生産が追いつかなくなる恐れがある。また、家畜を出荷するまでには大量のエサが必要で、現在でも世界の穀物生産の約半数が家畜用飼料となっている。諸外国では牧草地や農地のため、すでに大規模な森林破壊が行われている。新たに農地や牧場を拡大することは、生物多様性の保全や温暖化防止という視点からも難しい。

 そこで「新たな選択肢」として脚光を浴びているのが、家畜の細胞を培養し食肉にするという「培養肉」だ。

◆世界初、サイコロステーキ状の培養肉

 今年3月、東京大学生産技術研究所の竹内昌治教授らは日清食品ホールディングスなどと共同で、牛の筋細胞を培養し、サイコロステーキ状の筋組織を作ることに世界で初めて成功した。

「培養肉は世界各国で研究されていますが、そのほとんどは、ハンバーガー用などのミンチ肉状のもの。ステーキ肉のような構造を持たせるには、筋繊維が束ねられた構造を再現する必要がありました。私たちは、細長いゼリー状のコラーゲンの中で培養した牛の筋細胞同士を融合させ、それを重ねていくことで、筋組織特有の構造である『サルコメア構造』を作ることができました」(竹内教授)

 今回作られたサイコロステーキ状の培養肉は、1p四方のもの。竹内教授はヒレステーキのような、より大きな培養肉を作ることを目指しているという。

「培養肉を大きく育てるには、筋細胞に栄養を届ける仕組み、つまり血管のようなものを作る必要がありますし、味という点では脂肪細胞も筋細胞も一緒に培養する必要があります。これらの課題には、再生医療の技術を応用していこうと考えています」

◆「筋肉というものは本当に奥深い」

 竹内教授は「筋肉というものは本当に奥深い」とも語る。

「私たちの研究は、従来のそれに比べれば大きく本物の食肉、つまり牛の筋肉に近づきましたが、まだまだです。本物の食肉と培養肉はどこがどう違うのか、国を巻き込んで規格を作り、消費者に明示するということも信頼性を得るうえで必要でしょうね。培養肉によって畜産業がなくなることはないと思います。培養肉は、いずれ来るであろう食糧危機の時代の選択肢の一つになるでしょう」

 食用である以上、安全性も重要だ。竹内教授らと共に研究を進める日清食品の現場担当者・古橋麻衣氏は「培養は無菌状態で行われますし、万が一、食中毒を起こす微生物が混入したとしても、早期に発見・排除できます」と語る。

 さらに竹内教授らの培養肉研究は、JST(科学技術振興機構)が「未来社会創造事業」に採択、注目度は高い。

 だが、肉の培養で課題とされてきたのが「コストの高さ」だ。’13年、オランダのマーク・ポスト医学博士が開発した、世界初の「培養肉ハンバーガー」は研究費込みで1個約3500万円。その後、各国の研究でコストダウンが追求されたが、100gあたり数百万円かかっていた。そうしたなか、日本では羽生雄毅氏が率いるインテグリカルチャー社と、羽生氏とともに肉の培養実験を行う有志プロジェクト「ショウジンミート」が、驚異的なコストダウンとハードルの低さを実現している。

「当初、培養に多額のコストがかかったのは、培養液と成長因子(ホルモン)にお金がかかったから」と羽生氏は言う。

「培養液は再生医療用のものだと高くてオーバースペックなので、私たちはスポーツドリンクやサプリメントなど市販のもので安上がりに作りました。また筋細胞の成長を促すホルモンがすごく高いのですが、弊社CTOの福本景太が編み出した還流培養、つまり人体と同じように細胞にホルモンを作らせて、それを筋組織に与えるということでコストダウンを実現。こうした技法によりすでに3万円以下で培養できるようになり、DIY感覚で、学生やOLが自宅で肉の培養実験を行っています。メンバーは学校の授業で肉の培養実験もやりました。これは恐らく世界初だと思います」

 羽生氏やショウジンミートは、培養肉を「純肉」と呼び、その培養方法をネット上で公開、小冊子にしてコミケで販売している。羽生氏は「とにかく純肉作りのハードルを下げたい。肉を培養して食用にすることにはさまざまな意見があるでしょうけれども、まずは実際にやってみてほしい」と語る。

「小説『君の膵臓をたべたい』からもじった『君の肝臓を食べたい』というプロジェクトでは、鶏の肝臓細胞から『培養フォアグラ』の製造に成功しました。それを皆で試食してみて、その様子もネットで公開しています」

 技術を独り占めせず、多くの人々と共有し、新たな技術の開発に役立てる。そうした羽生氏らのスタンスは、遺伝子組み換え技術を巨大企業が独占したことが、技術そのものへの批判につながったことを教訓にしているのだという。

「遺伝子組み換え技術には非常に役に立つものもあるのに、今ではすっかりイメージが悪くなってしまいました」(羽生氏)

◆培養で土地利用を98%、水利用を95%削減できる

 肉の培養は宇宙開発にも貢献しうるものだという。

「宇宙船内や、月面や火星などで畜産を行うことは非現実的。だから肉の培養技術は、宇宙開発でも重要です。今、弊社やさまざまな分野の企業が集結して、JAXA(宇宙航空研究開発機構)も協力して、『スペースフードX』というプロジェクトが進行しています。宇宙と地球で共通する食糧問題の解決を目指しています。

外部から物資を持ち込めない宇宙で使う以上、究極のエコじゃないといけません。完全リサイクル、リユースである必要があります。また、海外の研究では、肉の培養によって土地利用を98%、水の利用を95%削減できるという試算もあります」(同)

 商業化に向けた技術も同社は開発している。還流培養技術を使った全自動バイオリアクターがそれだ。

「システムを大規模化すればコストは下げられます。現在、100gあたり数百万円といわれる培養コストを1万分の1まで低減します。将来は、市販されている肉と同程度まで安くすることも可能だと思います」(同)

 羽生氏は「’28年にはスーパーで純肉を買えるようにしたい」と語る。まさに、これは世界史上の食の大転換になるだろう。

◆培養肉に関する情報が消費者に届いていない

 急速に進む培養肉の研究開発。これに対して、「食の安全」をテーマに取材を続けているジャーナリストの上林裕子氏は警告を発する。

「一番の問題点は、情報が消費者に届いていないことです。米国では昨年7月に細胞培養肉に関する公聴会が開かれ、畜産事業者や消費者団体から安全性の確保や、従来の食肉と区別できる表示を求める意見が出されましたが、日本では公聴会は開かれていません。細胞培養技術が確立されれば、動物だけでなく植物や魚にも応用できますが、消費者は『この新しい技術は食品として安全なのだろうか』との疑問を持っています。遺伝子組み換え食品は、不十分な情報と表示で20年たった今も8割の人が『食べたくない』と思っています。食の安全で最も重視されるのは食習慣。新しい食べ物には、十分な情報提供が必要です」

◆<肉食の負荷>

●地球温暖化の進行

 昨年10月にIPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)が発表した特別報告書は、温暖化防止のため、「肉食を大幅に減らすこと」を対策の一つとして提言。FAO(国連食糧農業機関)は、世界の温室効果ガス排出の18%が家畜からと指摘。特に牛は、消化の過程で強力な温室効果ガスであるメタンガスを放出するため、家畜飼料に海藻を混ぜるなど、メタンガス排出を抑えることが急務とされている

●森林破壊

 南米の国々では、牛の放牧のための牧草地の開発が、熱帯林の破壊の主な要因となっている。昨年だけでも、ブラジルで「サッカー場100万面」分の森林が消失。近年では日本が牛肉を輸入するオーストラリアでも、牧場のための森林破壊が進行している。今年5月には、「世界全体の100万種もの生物が絶滅の危機に直面」との報告書が国連に提出されたが、森林破壊は生物多様性を脅かす大きな原因の一つである

●水資源の枯渇

 家畜を育てるには、餌となる穀物を与える必要があり、肉を食べるということは、水資源を消費していることでもある。東京大学生産技術研究所の沖大幹教授らの研究によれば、トウモロコシなどをエサにしている鶏肉の飼育には1kgあたり4.5t、豚肉は6t。牛肉は20tの水が必要だという。世界各地で農業用に汲み上げられている地下水が減少、今世紀半ばには、広い範囲で枯渇する可能性が指摘される

●食糧危機

 FAOは、今後、世界的な食糧危機が訪れると警告。’50年には世界の人口は現在の74億人から96億人に増加し、経済発展で一人あたりのGDPが増加し、穀物を餌として生産される肉や乳製品など畜産物への需要が高まる。その結果、穀物の需要を大きく増加させるため、世界の食糧生産を約6割も増加させなければならないという。だが、農地をこれ以上増やす余地はほとんどない

●家畜への負担

多数の家畜を身動きすら取れないほど、集中的に押し込める、不衛生な環境、意識を失わせないまま食肉処理する――。食べるためとはいえ、効率を最優先した工場型の畜産業は動物たちをあまりに酷く扱ってきたた。アニマルウェルフェア(動物福祉)という理念から、不快や痛み、恐怖や苦悩を動物に与えないように配慮することが、東京五輪・パラリンピックに向けて、日本でもようやく求められ始めている

取材・文・撮影/志葉 玲

― 培養肉ってなんだ? ―

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