アドビ、ベネズエラの全アカウントを無効に。そこから考えるクラウド時代のリスク

アドビ、ベネズエラの全アカウントを無効に。そこから考えるクラウド時代のリスク

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◆アドビがベネズエラの全アカウントを無効に!?

 あなたが普段、あるソフトを使って仕事をしていたとする。それが業界標準のソフトだった場合、自分でデータを作るだけでなく、外部の人にデータを送ったり、外部の人からデータを受け取ったりしながら、それらをソフトで開いて確認したり修正したりしながら仕事をすることになるだろう。

 そうしたことを当たり前と思っていたある日、急にそのソフトが使えなくなったらどうなるのか? それも、あなただけでなく、国中で同時にそうしたことが起きる。そんなことが起きたとしたら……。

 そうしたことが、どうやら起きるらしいというニュースが、10月の上旬に飛び込んで来た。舞台は南米の北部にあるベネズエラだ。

 この国では、1999年に反米路線のウゴ・チャベスが大統領に就任した。チャベスの死後、腹心だったニコラス・マドゥロが政権を継承した。現在、ベネズエラの経済・社会情勢は悪化している。そして、2018年5月の大統領選挙の正統性でもめている。2019年1月に、マドゥーロ大統領(2期目)の就任式が実施されたが、米国などが推すグアイド国会議長が暫定大統領に就任したと宣言した(参照:外務省 、 朝日新聞、朝日新聞)。

 このような背景を元に、今年8月にアメリカで経済制裁についての大統領令13884が出された。この発令により、アドビは、2019年10月29日にベネズエラのすべてのアカウントを無効にすることを決めたのである(Adobe)。

 ある時を境に、国全体で特定のソフトウェアが使えなくなる。こうしたことが現実に起こりうるのである。

◆クラウド時代のアプリケーションリスク

 人間がコンピューターを使い仕事をするようになり、数十年が経とうとしている。現在は、そのデータやソフトの多くがクラウド上にある。そのおかげで、インターネットを通して場所や端末を問わずに作業をおこなえる。私たちはクラウドの恩恵を大いに受けている。一見便利極まりないように思えるが、そこにはリスクが伴う。

 ほとんどの場合、こうしたクラウドのサービスを提供しているのは企業である。企業は国に所属しており、その国の政治的な活動の影響を受ける。外交や戦争により、企業の活動を制限する法律が作られれば、企業はその命令に従う必要がある。そうした外的な要因だけでなく、買収やトップの交代により、方針が大きく変わることもある。あるいは単純に倒産してしまうこともある。

 そうした時、クラウドを利用していた人々に不都合が生じる。データを取り出すことができない。あるいは、データは取り出せても、それらを読み書きするソフトウェアが使えない。そういった問題が発生する。

 アドビは、そうした状態が発生しうる独占企業だった。グラフィックデザイン、動画編集の分野で、アドビは圧倒的なシェアを持っている。Photoshop、Illustrator、InDesign、After Effects など、同社のソフトウェアなしには仕事ができない人は多くいるだろう。

 また、アドビのソフトは業界標準のため、同社以外のソフトを利用して仕事をすると、外部とのやり取りに不便が生じることが多い。この分野で仕事をする際には、事実上、アドビの影響から逃れられないようになっている。

 アドビのソフトは、かつては買い切りだったが、現在ではクラウド環境によるサブスクリプション方式になっている。そのため、アドビの一存で、ユーザーがソフトを使えるかどうかを決定できる。ユーザーは、自分の自由な意思で、自分のデータを閲覧することも編集することもできない環境になっている。

◆「ロックイン」問題

 ある企業や環境に依存すると、自分の意思とは無関係に、ある日使用できなくなる可能性がある。こうした問題は、アドビのような独占企業のソフトを使うときだけではない。もう少し小さな問題は、いたるところで起きている。

 あるサービスや商品を使っている際、他のものに変えるのには時間や手間が掛かる。導入が面倒だったり、使い方を覚えたり、仕事のやり方を変えたりする必要も生じる。ソフトウェアなら、他社との連携のために手間が掛かったり、使える人を雇ったり、育てたりするコストがかかったりもする。そうしたスイッチングコストがあるために、切り替えが困難になる状態をロックインと呼ぶ。(参照:IT用語辞典 e-Words)。

 こうしたロックインは、ソフトウェアを開発する際にも、頭の痛い問題だ。サーバーやクラウドサービスなどを利用して開発している際、ロックイン状態になっていると、値上げされても、そのままお金を払わないといけない。また、サービスが改悪されても、気軽に出て行けなくなってしまう。

 可能ならば特定の環境に依存しないように開発したい。しかしサービスを提供する側は、強く依存して欲しい。そうした駆け引きが、サービス提供側と利用者側でおこなわれることになる。

 こうした依存への脱却を考えるのは、ソフトウェアの開発現場だけではない。一時期、自治体で、脱 Office が流行ったことがある。マイクロソフトの Office を使うのではなく、OpenOffice.org や Libre Office を使うといったことがおこなわれた。また、過激なところでは、Windows ではなく、Linux を使うことが議論されたりもした。

 しかし、市場が独占状態になった環境では、こうした依存からの脱却は難しい。標準的な方法以外を利用すると、面倒事を多く抱えてしまうことになる。

 私も、プログラムを書いていて、似たようなライブラリが複数ある場合、世の中で多く利用されているものを選ぶ。なぜならば、その方が、使い方などの文書や、トラブルが起きた際の解決方法が、多く共有されているからだ。市場を支配していないソフトウェアやサービスを使うということは、そうした面倒事を、全て自分で調べて解決しないといけないことを意味している。

 メジャーなソフトウェアを使うのは、仕事を効率的におこなうのには望ましい。しかし、一極集中すると有事の際に問題になる。みんなが1つのソフトばかりを使うと、代替ソフトがない状態が容易に発生するからだ。そして、クラウドサービスの場合は、ある瞬間に、即使えなくなるリスクを抱え込むことになる。

 ソフトウェアやサービスが、ますますクラウド化する今、何らかの逃げ道を用意しておく必要性を、ベネズエラのニュースを見て強く感じた。

<文/柳井政和>

【柳井政和】

やない まさかず。クロノス・クラウン合同会社の代表社員。ゲームやアプリの開発、プログラミング系技術書や記事、マンガの執筆をおこなう。2001年オンラインソフト大賞に入賞した『めもりーくりーなー』は、累計500万ダウンロード以上。2016年、第23回松本清張賞応募作『バックドア』が最終候補となり、改題した『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』にて文藝春秋から小説家デビュー。近著は新潮社『レトロゲームファクトリー』。

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