東方仏教芸術の宝庫 敦煌莫高窟 〜世界遺産〜

東方仏教芸術の宝庫 敦煌莫高窟 〜世界遺産〜

東方仏教芸術の宝庫 敦煌莫高窟 〜世界遺産〜の画像

莫高窟 〜中国三大石窟〜

仏像 〜世界最大級〜

壁画 〜世界最古〜

神韻舞台上の莫高窟

まつわる伝説

敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)は、甘粛省敦煌市内の莫高窟と西千仏洞の総称で甘粛省にある敦煌石窟の代表でもあり、中国佛教の有名な三大石窟の一つである。世界文化遺産としてもその名が知られている。漢、鮮卑、吐蕃、黨項などの民族が仏を信仰した史蹟が残されていて、現存する石窟の中では世界一大きな規模を誇り、完全に保存された仏教芸術の宝庫である。

甘粛省を横切るシルクロード沿いに、オアシス都市、敦煌への細道が続いている。数世紀にわたり、疲れた旅人にとってのありがたい賑やかな市場があるだけでなく、24キロほど離れた莫高窟への入口の役割も果たしてきた。佛教画と佛塑像が一堂に集まる、息を呑むような世界最高峰のコレクションが納められている洞窟である。

唐の時代、莫高窟には千以上の洞窟があったが、今では洞窟は492カ所しか残されていない。そのうち魏窟32個、隋窟110個、唐窟247個、五代窟36個、宋窟45個、元窟8個が残されている。

鳴沙山東麓の断崖の上に南北に1600m、上下に5層にわたって掘られ、最も高いものは地上50mの高さである。洞窟で最も大きなものは高さ40m幅30mあり、最も小さいものは一尺にも満たない。

洞窟全体から見ると、一番前は円塑で、それから高塑、影塑、壁塑と淡化し、一番後の壁画を背景とし、塑と絵という二種類の芸術を一体化した。

北朝洞窟は、一般的に釈迦と弥勒菩薩を中心仏像とし、両側には二肋菩薩、あるいは一佛、二弟子、二菩薩の塑像が置かれている。仏像の後ろは壁画と繋がっており、洞窟内部の天井と周り一面には壁画が描かれている。天井と壁の上部には、極楽世界、壁の下部には、夜叉と飾り花などが描かれ、壁の中部には、千仏以外に、佛の物語、本生物語、因縁物語などが描かれている。割肉救鳩、舎身飼虎、九色鹿などは、自己犠牲によって他人を救うという本生物語である。

北宋時代の1035年、西夏人が敦煌を攻めてきた際、僧侶たちは持って行けない経巻、文書、刺繍画、法器などを白い布で包んで洞の中に隠し、その洞の入口を泥壁で塞ぎ、その上に壁画を描いた。これが1900年に発見された藏経洞である。

莫高窟の内部は、通常、佛陀が中央に置かれ、他の神々や天上の使いの者が周りを囲んでいる。最も有名な佛像は粘土質で作られた弥勒菩薩像である。高さ30メートル以上の世界でも最大級の佛像である。

百窟様式は北朝の中央塔式が隋朝になって中心仏壇に変わった。仏像の組み合わせは以前と同じように唐の二弟子、二天王あるいは二力士であったが、仏像は早期の「痩身清楚」スタイルから、以前の「豊満荘重」スタイルに戻り、壁画は大きい場面での説法図と簡単な経変図を中心としていた。特に目を引くのは唐の時代に作られた莫高窟で一番大きい仏像を誇る第96窟の大仏や、第148窟にある莫高窟最大の彩塑群像の一組、本尊涅槃像である。

洞窟の中には、有彩の像が2415体、飛天像が4000体ある。塑像はすべて泥で作られ、彩色されている。仏像を中心に両側には、弟子、菩薩、天王、力士が立ち並ぶ。少ないもので3体、多いものは11体、最も大きいものが33m、最も小さいものはわずか10センチである。多くは美しい色彩で人物の性格が表現されており、その様子はとても珍しく貴重である。

敦煌石窟の壁画の内容は、いろいろな世界一の記録でもある。例えば、世界最古の書籍や最も早期の紙、活字、新聞、銃、馬具、星図、連続絵物語、楽譜、棋譜、句読符号、栗特語文書、硬筆書法および最も早期の舞台演出図などが描かれている。

芸術の中で最も数が多く、内容が豊富なのは壁画で、4万5千平方メートルの広さに及ぶ。高さ2mに並べなおしたら、長さ25kmにも達する画廊ができあがるほどの広さで、世界最大の仏教芸術の宝庫であり、東方芸術の明珠と呼ばれている。

壁画は「尊像画」に分類され、各種の佛、菩薩、天王、ならびにその説法像等が含まれる。「佛教故事画」は連続絵物語、「経変画」は経典の全体の内容を総合的に表現したもので、想像上の極楽世界を表している。「仏教史跡画」はインド、中央アジア、中国における佛教人物故事を表している。「供養人画像」は開窟した人たちの肖像史である。これ以外にも4千余りの飛天が描かれており、敦煌壁画の貴重な宝である。

唐の壁画は壮大な規模の多種類経変図であり、その様子は天国の壮麗な景色を表している。石窟像は五代以降不人気になり、宋の時代になって衰退した。

366年に作られ、「敦煌千佛洞」としても知られる莫高窟には、興味深い物語がまつわる。この神秘なる聖なる場所を目指して、数世紀にわたり多くの者が巡礼し、敬虔を示し、壮麗な光景を自分の目で目撃しているのだ。

神韻2018年のダンスの演目『覚醒』は、生まれ変わろうとする古代の兵士が莫高窟に来る話である。兵士は戦場で、暴力と壊滅にさらされ戦死者に囲まれる生活を幾年にもわたり強いられ、悔恨と苦悶の念に苛まれていた。すると彼の側に佛僧が現れ、莫高窟に導き入れると、どん底にいた兵士はここで罪の贖いを求め、素朴で敬虔な僧侶の道を歩むことにした。俗世間を超えた新たな人生のために、いわゆる栄光には背を向け、過去のしがらみから自分を切り離していた。全てを犠牲にすることを厭わない彼の態度は、あらゆる心を動かすものだった。最後に褒美として兵士の前に天上の壮麗な光景が現れ、うわべ以上の人生の奥深さを見出し喜びに浸る。

伝説によると、佛教僧・楽?(らくそん)が西方浄土に向かう長旅の途中、ゴビ砂漠を横断している時、敦煌の近くの三危山(さんきさん)で一服することにした。そこには特別の泉が湧き出ていたので、その甘い水で渇きを癒し、一休みした。

夕方、日没を崇めていると、突然山々が輝き始め、頭を持ち上げると、壮麗な黄金に輝く弥勒菩薩が空に浮いていた。千体の光り輝く佛も現れ、天上の調べを奏でながら浮遊する仙女たちに囲まれていた。このまばゆい光景に感動し、楽?はこの地に留まり、今見たことを賛えることにした。楽?には絵画と塑像の嗜みがあることから、自分の技術を活かして今見た光景を再現した。

年を経て、別の佛教僧・法良(ほうりょう)が同じ場所に来て同じ光景を目にした。彼は二つ目の洞窟を聖なる光景を描いた佛画と佛像で埋めていった。まもなく、莫高窟は佛教徒、芸術家、高官、その他の人々が巡礼する場となり三危山には500以上の洞窟が掘られ、その多くは唐の時代に作られた。その後、数世紀にわたり、佛像と無数の佛教壁画で埋められるようになった。壁画、佛像、芸術品など、唐の最高峰の芸術がここに納められている。

(編集・望月 凛)

失われた神伝の中華文化の復興をモットーとする神韻芸術団。待望の2019年日本公演は1月16日から2月5日まで。
京都、大阪、八王子、東京、埼玉、福岡で開催される。チケット予約等、詳しくは公式ページへ。http://ja.shenyun.com/japan

関連記事(外部サイト)