鴻海のシャープ買収は日本の重要な転換点となるか、鴻海総裁・郭台銘の素顔に日本人ルポライターが迫る!

鴻海のシャープ買収は日本の重要な転換点となるか、鴻海総裁・郭台銘の素顔に日本人ルポライターが迫る!

史上初めて、日本の電機メーカーが中華圏の企業の軍門に降った。歴史的な買収劇の主役は、鴻海グループの総裁・郭台銘(テリー・ゴウ)氏。そんな郭氏について日本で初の評伝『野心 郭台銘伝』の著者である安田峰俊氏に話を聞いた。

史上初めて、日本の電機メーカーが中華圏の企業の軍門に降った―。今年8月12日、台湾企業・鴻海精密工業によるシャープの買収手続きが完了し、翌日から鴻海が経営権を握る形でシャープの新体制が発足した。

歴史的な買収劇の主役は、鴻海グループの総裁・郭台銘(テリー・ゴウ)氏。1974年に創業した町工場を、時価総額4.2兆円規模の巨大企業に押し上げた立志伝中の人物だ。ただし、「梟雄」の異名を持つしたたかな交渉術やワンマン経営ゆえに、評価には賛否両論もある。鴻海は中国国内で100万人近い従業員を雇用しているため、日本国内には中国政府との関係を不安視するような声も出ている。

今年9月29日、そんな郭氏について日本で初の評伝『野心 郭台銘伝』(プレジデント社)が刊行された。著者の安田峰俊氏に、刊行の背景や鴻海とシャープの今後について話を聞いた。

レコードチャイナ編集部(以下編集部):鴻海や郭台銘氏は、今回のシャープ買収まで日本国内での知名度は決して高くありませんでした。安田さんが鴻海に関心を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?

安田峰俊氏(以下安田):私の場合、10年くらい前から社名は知っていました。新卒で就職した会社で配属されたのが携帯電話部品の国際営業部で、フォックスコン(鴻海の中国法人名)に部品を納入したり、日本出張に来た同社の社員の通訳やアテンドをやったことがあるんですよ。就職先をすぐに辞めたので決して深い付き合いではありませんでしたが、フォックスコンの中国人社員はとにかく猛烈な働きぶりで、細かいことをやたらに確認してきてうるさかった(笑)。インパクトは強かったですね。その後、2010年に同社の深セン工場で従業員13人の連続自殺事件が起きた際も「やっぱり」という感じはありました。ただ、以前に自分が現場でお世話になった中国人の女性社員は、すごく仕事ができて賢い人だったので、私個人の鴻海のイメージはそこまで悪くはないです。

そんな鴻海や郭氏が、シャープの件でいきなりメジャーになりました。今春の時点で、日本国内で郭氏についての一般書籍は翻訳書1冊しかなかったですし、これを機により詳しく知ってみたいなと。実際に取材を開始すると、やはり非常に調べ甲斐のある対象でした。

編集部:本書では郭氏の私生活や信仰など詳しく描写しています。郭氏はどんな人物なのでしょうか。

安田:日本人の一般的なイメージとは違って、「成り金」的な性格は薄いですね。一代で66億ドルの個人資産を築いた台湾有数の大富豪なのに、普段の生活は非常に地味。子どもをチェーンのファストフード店のキッズコーナーで遊ばせるくらい(笑)、地に足の着いたカネの使い方をしています。郭台銘氏はプライベートジェットを保有していますが、「朝に台北市内の自宅を出てから中国と日本の2か国に日帰り出張して夜に帰宅する」みたいな凄まじいワーキングスタイルのために必要だから買った感じで、浪費の印象はありません。

郭氏は台湾で「現代のチンギス・ハン」と呼ばれていますが、実際は禁欲的でワーカホリックな独裁者だった清朝の雍正帝(在位:1722〜1735年)に近い人物だと思います。鴻海という企業自体も、垢抜けない野武士のノリのままで時流に乗って、当事者も意識しないうちに巨大帝国を築いた点で、初期の清朝に似ている。米誌『フォーチュン』のグローバル企業ランキングの25位に入る巨大企業なのに、鴻海精密工業の本社の看板の漢字フォントが統一されていないくらい、モッサリした社風の会社なんです。

郭氏自身もあか抜けていません。彼は非常に厳格で恐ろしい経営者ですが、詳しく調べると万事に全力投球をし過ぎていて逆にコミカルに見える部分も少なくありません。例えば2006年ごろ、女優のカリーナ・ラウと浮名を流すなど一時的に生活が派手になったことがあるのですが…理由を調べると、事情を理解できるところもある。仕事以外の面での郭氏は、一種の「かわいげ」を感じさせる部分もあります。

編集部:「あか抜けない」以外に、鴻海の社風についてはどう感じられますか。

安田:日本人が想像する以上に独裁的です。末端の工場ワーカーから、戴正呉氏(シャープの新社長、鴻海の副総裁)のような最高幹部層まで、総裁の郭台銘氏が右向けと言えば全員が右を向く会社。社風は極めて秘密主義的で、自社に不都合な報道は些細なものでもすぐに訴訟をちらつかせます。オープンな民主主義社会の台湾での取材なのに、中国本土で取材するような難しさがありました。

こうした傾向は華人の組織ではよくある話でもありますが、鴻海は100万人規模の従業員を抱えていますから、ほとんど独裁国家に近い存在です。ただし、結果的にそれが高い成果を出しているので、批判するだけでよいかと言えばそうではないと思います。また、鴻海の労働環境はかなりキツそうですが、結果を出す人間には高額の報酬を積むので、この点は日本の搾取的な「ブラック企業」と同一視できない部分もあると感じます。

編集部:鴻海とシャープは今後、どんな未来を歩むのでしょうか。

安田:3つの仮説があります。1つ目は本書中でも書いたように、「コケる」未来。鴻海はこれまでEMS(電子製品の受託生産)以外の事業での成功経験がほとんどなく、一般顧客と向き合う家電ブランドの経営は、実はかなり畑違いです。思うように業績が上がらず、ある段階で郭台銘氏が損切りをして終わる、最悪のシナリオですね。2つ目は独裁的に鴻海を経営する67歳の郭台銘氏がなんらかの理由で執務不能の状態に陥り、「帝国」の先行きが不透明になるというシナリオです。こちらも厳しいですね。

編集部:ここまでは悲観論ですね。では3つ目は?

安田:日本人のサラリーマン気質と華人の大胆さやスピード感が上手く噛みあい、新生シャープが高い業績を挙げる可能性です。往年の日本軍は、命令の現場実行者である一般兵士と下士官は極めて優秀だったけれど、作戦立案や意思決定をおこなう参謀と将軍は無能だった――。という有名な例え話があります。

事実、現代でも日本の組織人の長所は、たとえ理不尽に感じた命令でも上位者の指示に忠実に従う点と、所属組織への帰属意識が極めて強い点でしょう。逆に短所は、多くの人が大局的な価値判断を行う習慣を持たず、目の前の仕事だけをやる傾向が強い点と、自分一人だけが失敗して重い責任を負わされることを強く恐れる点だと思います。

なので、マクロな視点や大胆な決断力が求められる意思決定は欧米人や華人のリーダーが行い、彼らの指示を確実に実行に移す官僚的な仕事を日本人従業員が担当する組織というのは、実は極めて理想的かつ効率的な組み合わせであるかもしれません。

一般社員は優秀でも経営陣は事なかれ主義のサラリーマン役員が多い伝統的な日本企業や、経営陣は切れ者でも一般社員の仕事が雑になりがちな華人系企業よりも、はるかに高いパフォーマンスを発揮する組織になり得る可能性があります。

現時点では鴻海自身も気付いていないと思いますが、華人系企業によるシャープの買収は、今後の世界市場のなかでサラリーマン気質の日本人従業員をどのように用いれば高い収益を生み出す組織を作れるかという、一種の社会実験の性質を持っていると思います。仮に鴻海の傘下で新生シャープが軌道に乗れば、今後の日本の経済や会社のあり方を大きく変えていく、歴史の重要な転換点になるかもしれません。

【安田 峰俊】(やすだ みねとし)
1982年滋賀県生まれ。ルポライター、多摩大学経営情報学部非常勤講師。中華圏の政治・経済・社会をテーマに著書や雑誌記事の執筆を続ける。

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