盧溝橋事件から7日で80年、日中戦争の発火点、大陸舞台に8年間の戦火、傷跡は今も両国に重く

盧溝橋事件から7日で80年、日中戦争の発火点、大陸舞台に8年間の戦火、傷跡は今も両国に重く

日中戦争の発火点となった1937年7月7日の「盧溝橋事件」から80年となる。偶発的な衝突は全面戦争に発展。45年8月の終戦まで8年間にわたった戦火の傷跡は、今も日中両国に重くのしかかっている。写真は盧溝橋。

2017年7月7日、日中戦争の発火点となった「盧溝橋事件」から7日で80年。北京郊外で起きた偶発的な衝突だったが、その後中国大陸を舞台にした全面戦争に発展。中国側は日本による侵略戦争と位置付ける。1945年8月の終戦まで8年間にわたった戦火の傷跡は、今も日中両国に重くのしかかっている。

盧溝橋は北京西郊の永定河に架かる石橋。13世紀に中国を訪れたマルコ・ポーロの「東方見聞録」にも登場する。義和団事件後の1901年、北京議定書で清朝が外国軍隊の認め、欧米列強はほぼ撤退したが、日本軍は邦人保護などを理由に盧溝橋周辺に駐屯していた。

1937年7月7日、夜間演習中の日本軍が実弾射撃音を聞いたことをきっかけに近くにいた中国兵との戦闘になった。中国では「七七事変」と呼ばれる。宣戦布告なき戦争は、やがて中国全土に拡大。盧溝橋事件から1年余の間に日本軍は、中国の主要都市と交通路のほとんどを占領したが、それはいわば「点と線」の支配にすぎず、中国共産党と国民党は「国共合作」で抵抗した。

中国政府によると、泥沼化した日中戦争の犠牲者は3500万人。1972年9月の日中共同声明には「日本側は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」との文言が盛り込まれたが、戦争の歴史をめぐる論争は現在も続いている。

例えば、中国側が一般市民を含め30万人が虐殺されたと主張する37年12月の南京事件。日本政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない。被害者の具体的な人数については諸説あり、どれが正しい数かを認定することは困難」との立場だが、中国政府は昨年12月、安倍晋三首相が米ハワイの真珠湾を訪問した際、「南京には来ないのか。中国にも弔うべき場所が多くある」などと非難した。

こうした中、中国国営新華社通信によると、盧溝橋近くにある「中国人民抗日戦争記念館」は80周年に合わせ、米国が日本占領後に集めた事件当時の日本政府の電報や文書を整理、編集した「日本中国侵略密電•七七事変」を刊行した。3編に分かれ、計51冊に上る大作で「日本軍国主義の『自供書』であり、また侵略の罪行の確固とした証拠」としている。

一方、日中戦争の当事者だった国民党が逃れた台湾は、盧溝橋事件80周年に背を向けている。台湾メディアによると、台湾国防部は事件から5年ごと10年ごとの節目の年に記念展を開いてきたが、今年は開催を見送った。その背景には独立志向が強い民進党・蔡英文政権が進める「脱中国化」の動きがあるとみられ、波紋を広げている。(編集/日向)

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