台湾の名物料理「酒家菜」のルーツは日本文化だった―台湾メディア

台湾の名物料理「酒家菜」のルーツは日本文化だった―台湾メディア

台湾メディアの風伝媒は8日、台湾の食文化の代表のひとつである「酒家菜」のルーツには日本文化があったと紹介する記事を掲載した。写真は台湾。

台湾メディアの風伝媒は8日、台湾の食文化の代表のひとつである「酒家菜(ジォウジアツァイ)」のルーツには日本文化があったと紹介する記事を掲載した。

「酒家菜」を日本語に訳すならば「料亭料理」とすればよいだろうか。記事は、「酒家菜」が成立する上で決定的な役割を果たしたのが、台湾人の呉江山氏が1921年に台北市で創業した江山楼であると紹介。当時の写真を見るとレンガづくりの堂々たる建物で、3階建て(一部4階)だったという。建物内には飲食店だけでなく、西洋式の浴室、理髪室、屋上庭園などもあった。

江山楼は23年に訪台した皇太子(後の昭和天皇)を接待したことでも有名になった。担当した8人の調理師は1週間前から外界と隔離され潔斎沐浴(もくよく)を続けて仕事に臨んだ。その後、日本から皇族が訪台した際には、必ず江山楼を利用するようになったという。

日本が統治する以前の台湾料理は福建料理や広東料理だったが、高級料理店は少なかったという。江山楼はそれまでの台湾料理と日本料理、さらに一部西洋料理を融合させ、台湾の上流階級に「酒家菜文化」を提供した。記事は、「酒家菜」は現在の台湾料理全般が成立するに当たって重要なきっかけになったと主張した。

「酒家菜」は単独のメニューを指すのではなく、冷菜の盛り合わせや揚げ物や鍋物、炒め物など、さまざまな料理の体系だ。日本人が見ても「日本風」と思えないかもしれないが、台湾では「酒家菜」について、盛り付けを含めて「精緻な点が日本風」と説明される場合がある。

台湾では江山楼以外にも、類似した料理を提供する店が増えていったという。その一方で従来型の「福建料理店」や「広東料理店」は少なくなっていった。

酒家菜の隆盛とともに、「ナカシ(=流し)」と呼ばれる宴席を回ってギャラをもらう多くは3人1組の芸人が多く出現した。3人のうち1人は歌を、1人は伴奏を、1人は接客を担当。使う楽器は最も早い時期には日本の三味線で、後にアコーディオンやギターなどに代わっていった。

演奏する曲は日本のものよりもむしろ、台湾で古くから好まれる伝統音楽の「南管(ナングァン)」などが多く、後には流行曲が主流になったという。やはり、方式は日本風だが、素材そのものは台湾人の好みということのようだ。「ナカシ」はカラオケが普及する前の1980年代まで、台湾の温泉場などで大いに栄えたという。

台湾の食文化には、味噌汁(味噌湯、ウェイズンタン)、てんぷら(甜不辣、ティエンブーラー)、のり巻きなどが日本統治時代から受け継がれている。また「畳文化」も継続しており、各地に畳職人がいるという。

日本の台湾統治が「すべてよかった」とは決して言えない。当局の意向に沿わない動きは冷酷無残に弾圧し、台湾人に対する差別も大きかった。そして日本の第2次世界大戦敗戦後にやってきた蒋介石率いる国民党政権は、日本色を払拭しようと懸命になった。日本語の使用禁止、日本統治時代の記念碑などの撤去や破壊などだ。

日本のアニメでも「鉄腕アトム」はかなり早く放送が許可され、同じSF系でも「ドラえもん」は遅れた。のび太一家などが畳敷きであることが原因だったとされる。

しかし台湾人は「よいものはよい、悪いものは悪い」として、日本統治時代に流入した文化の多くを自らに合うように変形させつつ残してきた。文化に対する姿勢は“極めてしたたか”と言えるだろう。

風伝媒が掲載した記事は、発行日不明だが台中政府の広報誌である「台中好生活」の7−8月号掲載の文章の転載だという。(翻訳・編集/如月隼人)

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