<コラム>私が体験した「非常に柔軟」だが運用が難しい中国での経営

<コラム>私が体験した「非常に柔軟」だが運用が難しい中国での経営

中国の考え方は、よく言えば「非常に柔軟」。これだけ大きな国で、経済的に発展している地域や農村部などがありますから、しゃくし定規に網をかぶせるのは難しいのも事実でしょう。写真は瀋陽市。

中国の考え方は、よく言えば「非常に柔軟」。法律や規定、中央政府からの指示など、「統一」されたものがあることを前提として、それぞれの地域では実情に合わせた運用をすることが間々あります。これだけ大きな国で、経済的に発展している地域や農村部などがありますから、しゃくし定規に網をかぶせるのは難しいのも事実でしょう。

日本人として会社経営という采配を振るうときに、あそこではOKなのにここではダメ、というような、理解しがたいことが時々あります。そういう「運用」に、どう向き合えばよいのか、悩ましい問題です。

こんな事例がありました。中国東北部遼寧省の省都は瀋陽市。そして遼寧省の南端に位置しているのが大連で、そこから北へ約400キロのところに瀋陽があります。瀋陽市は人口800万人の大きな街です。大連よりも一回り大きな街であり、一度見ておこうと思い立ち、2004年の冬に出張しました。

大連より北寄りでかつ内陸にあるため、寒いのは覚悟していましたが、その日の瀋陽は気温がなんとマイナス30度!人生で初経験の寒さでした。

さて、当時の街の様子はというと、規模は大きいのですが、何せ無秩序。幹線道路といっても車線どころか中央線の表示もなく、人、車、自転車などが好き勝手に行き来していました。こんなところで我が社はとても商売はできないと思い、寒かった思い出だけをもって瀋陽を後にしました。

その翌年、以前からあった1件の取引先を訪問する機会があり、再び瀋陽市を訪れた私は眼前の光景に目を疑いました。なんと、街が1年前とは様変わりしていているではないですか!大通りはちゃんと整備されていて、街のあちらこちらでは高層ビルが建築されていたのです。中国の大きな街は変わり始めると、とてつもなく速いスピードで変化するということに、私は気がつきました。

「そろそろ支店でも出そうか」と思えるようになった時は実はもう遅いのです。むしろ「まだ、ちょっと早いんじゃないか」というくらいのときに出ていかないと、乗り遅れてしまいます。2002年、さっそく、我が社の瀋陽分公司(支店)を設立登記しました。この手続きは簡単で1週間くらいで完了しました。

さて、問題はここからです。登記も終わり開業準備ができたので、瀋陽の業界筋に挨拶をするための会食をアレンジしました。その席での相手からの言葉は意外なものでした。

いわく「外資企業が瀋陽に進出することは、この市場を掘り起こすパワーにつながる。よって歓迎する。しかし現状の瀋陽の業界及び市場は少々乱れている。そのあたりの整理がついたころに開業したほうがよいのではないか」という趣旨でした。どうも、設立登記は簡単にできましたが、現場ではあまり歓迎されていなかったようです。まあ、既存の落ち着いていた業界に、言わば割って入るわけですから、さもありなんというところでしょうか。

法律や規定の上での条件は満たしていたので、歓迎されていなくても、開業できなくはなかったのですが、やんわりと拒否している相手に対して、ゴリゴリ突き進むのも、この国ではよいとは思えませんでしたので、時の来るのをしばらく待つことにしました。

それから何カ月たっても何の変化もないので、手を変え品を変え打診しましたが、のらりくらりでかわされるばかりで一向にらちが明きません。開業の条件は整っているのに、業務を始めることができないなんておかしいではないか。そのころには憤りさえ覚えていました。

そんな時、現地社員から、中国の巷間では「お上がYESといえばそれでいいのだ。ダメなものでもOKだ。お上がNOといえばOKなものでもNOだ。服さないとダメなんだ」と言うではないかと教えられました。

まるで禅問答のような中国語です。長い物には巻かれろといったところでしょうか。人治の最たるものと思いつつも、規則は規則として、実態に合わせた運用はそれとは別にあるという、何となく納得させられる思考法だと思います。

しかし、肝心の事業展開ができないままで引き下がるわけにも行かず、毎月1回は瀋陽に出張して根回しや準備を続け、分公司設立登記から約2年後の2004年6月、ついに“円満”に開業することができました。

結局、中国で会社を運営するということは、さまざまな要因や背景の中で必死に頭をめぐらし、策を練って実行する必要がある、ということだと思います。地場の経営者たちは、そのためにたくさんの人脈を持ち、日々活動しているというわけです。

ところで、その「禅問答」のような言葉・考え方は、自分が「お上」の立場で、どうあっても曲げられない施策を実行するときなど、以後の会社運営にけっこう使いました。懐の深い中国での運用の妙ですね。

■筆者プロフィール:曽賀善雄
1949年和歌山県生まれ。1971年大手セキュリティサービス会社に入社。1998年6月、中国・上海のグループ現地法人の総経理(社長)として勤務。2000年4月から13年近くにわたり中国・大連の現法で総経理(社長)として勤務。2013年1月に帰国、本社勤務を経て2014年7月リタイア。

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