<コラム>日中餃子論考(2/2)=日本で「ギョーザ」の名が定着した背景には日中の近代史が

<コラム>日中餃子論考(2/2)=日本で「ギョーザ」の名が定着した背景には日中の近代史が

中国語を学び始めた人なら、「餃子」の発音をカナで書けば「ジャオズ」となることはご存じだろう。なぜ日本では「ギョーザ」と呼ばれるようになったのか。資料写真。

今回は「餃子はどうしてギョーザなのか」ということに触れておこう。中国語の標準語とはかなり異なるこの呼称は、日本と中国の近代の歩みという、ある意味で実に重苦しい歴史に関係している。

▼どうして餃子をギョーザと呼ぶのか、中国語では「ジャオズ」のはずだ
中国語を学び始めた人なら、「餃子」のピンインは「jiaozi(声調符号は省略)」、発音をカナで書けば「ジャオズ」となることはご存じだろう。なぜ日本では「ギョーザ」と呼ばれるようになったのか。

結論を先に言えば、山東方言の発音が日本に入ったからとされている。では、日本人と山東省出身者の接点はどこにあるのか。ここで、可能であるなら地図をご覧いただきたい。山東省とかつての満洲、現在の東北地方はとても近いのだ。山東半島北部の煙台(イエンタイ)から渤海海峡を50キロメートルほど北上すれば遼寧省大連だ。

▼そもそもの発端は日清戦争だった、「ギョーザ」の背後には日中の近代史が
清朝は当初、漢人の満洲地域への入植を奨励したが、1740年以降は漢人の満洲移入を禁止した。状況が大きく転換したきっかけは1894年から95年にかけての日清戦争だった。敗北した清は日本に莫大な賠償金を支払うことになった。しかし現金の持ち合わせがない。そこでロシアに仲介してもらい、フランスの銀行からの融資を取り付けた。

清朝に恩を売ったロシアは、宮廷の実力者だった李鴻章に賄賂を贈ることを含めて清朝に働きかけ、東清鉄道の敷設権を獲得した。同鉄道は満洲里からハルビンを経て綏芬河(中ロ国境の街でウラジオストクに近い)へと続く本線と、ハルビンから大連を経て旅順へと続く支線からなる。

▼多くの山東省人が鉄道建設のための労働力として移住
この東清鉄道建設のために大量の労働者が必要となった。主に山東省の住人が現金収入を求めて満洲に渡ったという。山東省は人口が大きく、遼寧省大連などに渡るのが容易だったからだ。現在も東北三省に住む漢族の多くが山東省住人の子孫だ。そして山東省には「餃子」を「グージャ」のように発音する方言がある。

東北三省でも山東省方言の影響が特に大きいのは、その後、日本人も多く渡ることになった大連を含む遼寧省で、日本人は現地で「グージャ」を「ギョーザ」と聞き取り覚えたとの説が有力だ。

東北地方では日清戦争以降の歴史も複雑だった。山東省では19世紀末、キリスト教や外国勢力を排斥する「義和団」の運動が盛んになった。義和団は山東省内の外国人宣教師や清人信者の殺害なども繰り返した。義和団は1900年には北京や天津にも押し寄せた。そのために北京では外国公館が包囲された。

義和団の運動は一方で、東北地方にも飛び火した。東北地方には、山東省出身者が多くいたからだ。ロシアは東清鉄道が破壊されたとの理由で、東北地方に大量の兵員を送り込んだ。義和団の乱が鎮圧された後もロシア軍が東北地方に居座り、さらには朝鮮(大韓帝国)にも進出したことが、日露戦争の原因になった。

日中の複雑な近代史はさらに続く。日本が1932年に満洲国を成立させたことで、結果として終戦時の大きな悲劇を引き起こしたことも知られている。一方で、日本に流入した中国大陸などの事物が、日本文化をさらに豊富にしてきたことも事実だ。そして、ギョーザもその一例と言ってよいだろう。ギョーザが日本で広まった背景を考えると、深刻なテーマにもぶつかってしまうことになる。

▼現在の中国などで「日本のギョーザ」はどう評価されているのか
昨今は、多くの中国人が日本旅行を楽しむことなどで、中国では日本の食べ物への関心も高まった。では、日本の「ギョーザ」はどう評価されているのか。ネットなどで検索すると、日本のギョーザは「日式煎餃(リーシー・ジエンジャオ)」と紹介されている場合がある。

中国語で焼き餃子を意味する「鍋貼(グゥオティエ)」と異なる名称を使うのは、違いを強調するためであるようだ。「日式煎餃」の「煎」は平鍋や鉄板を使って少量の油で焼くことを意味する。日本語の「焼き餃子」を改めて中国語訳した言葉と考えてよいだろう。インターネットでは「香脆可口鮮嫩多汁的(サクサクしておいしく、新鮮なお汁たっぷり)」などと紹介されている。評判は上々であるようだ。

▼餃子の王将が台湾進出、現地に受け入れられ事業は好調
一方で、「餃子の王将」を展開する王将フードサービスは2017年4月20日、台湾高雄市内に台湾1号店をオープンした。同社は海外展開を「日本のソウルフードである“焼餃子”を『和食』として世界へ発信」などと位置づけた。5月の売上高は目標の約2.6倍の2600万円だったという。

同社は同年11月には高雄市内に2号店をオープン。事業が順調であることからも、「日本のギョーザ」の味は台湾人にも受け入れられたと考えてよいだろう。

コラムの前半では、ギョーザが日本で広まった経緯を考えると近代史の深刻なテーマにもぶつかってしまうと論じたが、幸いなことに現在は、平和のうちにそれぞれの国や地域の人の「楽しみを増やす」方向で文化交流が進んでいるようだ。実によい状況と改めて評価したい。

■筆者プロフィール:如月隼人
日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。

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