<羅針盤>日中平和友好条約40周年で考えたこと―立石信雄オムロン元会長

<羅針盤>日中平和友好条約40周年で考えたこと―立石信雄オムロン元会長

日中平和友好条約締結(1978年8月)から40周年を迎えた。安倍晋三首相と中国の李克強首相は節目の今年8月12日、祝電を交換。写真は京都・嵐山にある周恩来さんの石碑。トップ同士のこのような交流は貴重だと思う。写真は京都・嵐山にある周恩来さんの石碑。

<羅針盤>日中平和友好条約40周年で考えたこと―立石信雄オムロン元会長

日中平和友好条約締結(1978年8月)から40周年を迎えた。安倍晋三首相と中国の李克強首相は節目の今年8月12日、祝電を交換。安倍首相が「両国は地域や世界の平和と繁栄に大きな責任を共有している。手を携えて協力を深め、国際社会が直面する諸課題の解決に貢献し、その期待に応えていきたい」と呼び掛け、李首相も「互恵協力を深め、意見の相違を適切にコントロールし、中日関係の長期的で健全かつ安定した発展を推進していく」と呼応した。両国はこの10年あまり、ぎくしゃくした関係が続いていただけに、トップ同士のこのような交流は貴重だと思う。

日中両国は国交正常化を確認した日中共同声明、日中平和友好条約など4つの文書を交わしているが、5つ目の文書交わすことを検討していると報道されている。安倍首相が今秋に訪日し、2019年に計画されている習主席の訪日時に合意締結することが見込まれている。
 
日中関係は大きく変貌し、従来のように「友好」や「互恵」といった概念だけでは収まらなくなりつつあるが、こうした状況だからこそ、トップが行き来し、文書を交わすことが重要だ。

日中の国交が回復したのは1972年。当時の田中角栄首相と周恩来首相が多くの困難を乗り越えて文書を締結した。私が初めて中国を訪問したのもこの直後である。京都の経営者グループによる北京での「自動化展」の視察団に参加したときだった。そのときに周首相にお会いできたのは、非常に印象深い思い出である。

周恩来さんは今でも多くの中国国民に尊敬され、慕われているが、オムロンの創業者である父・立石一真は、1974年に日本国際貿易促進協会京都総局が京都の嵐山に周恩来さんの石碑を建立した際に、副会長として協力したことがある。私自身も1994年から周恩来さんの出身校である天津の南開大学の顧問教授を務め、これまで5回ほど、特別講義をさせてもらっており、親子二代にわたる周恩来さんとの深いつながりを感じている。

中国政府の要人にお会いすると、スケールの大きい長期的なスパンで物事を見る方々が多いことがわかり、さすがに4000年という悠久なる歴史を持つ国の指導者だと感心してしまう。また、ビジネスはもとより、国際政治においても人間関係を大事にする、信義に厚い人々だということがわかる。

1996年3月に訪中した折にお会いした呉邦国副首相も、創業者・一真の時代から引き継がれた20年以上にわたる中国とオムロンの関係を自ら指摘され、「今後も中国の発展のために力を貸してほしい」と述べておられた。この細やかな心遣いには感動したものである。

日中国交回復後、いち早く中国での事業に乗り出したオムロンは、1981年に上海華一電器廠という国営企業にマグネットーリレーの生産を委託して、中国での生産をスタートさせた。その後、1989年から大連で健康機器の委託生産を開始。1996年には新しく開発が始まった上海浦東開発区に3つの工場を相次いで抜粋設立し、2002年には広東省の深センに、さらに2005年には広州にも工場を設立した。

このように急速な成長を遂げることができたのは、中国の経済そのものの発展に負うところが大きいが、当社だけでなく、多くの日本企業にとって中国の存在が非常に大きなものとなってきていることは言うまでもない。外務省の統計によると、中国にある日本企業の拠点数は2015年後半に3万3390となり、その後も拠点数は増えている。貿易相手国としても中国は最大である。

日中平和友好条約締結40年の節目の今年、さまざまなハードルを乗り越え日中関係がさらに発展するよう願ってやまない。
<羅針盤篇30>

1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。「マネジメントのノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名誉文化博士。中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協会)名誉会長。エッセイスト。

関連記事(外部サイト)