1人の中国人が感じた「平成の30年」の変化―華字紙編集長

1人の中国人が感じた「平成の30年」の変化―華字紙編集長

7日、日本新華僑報は、「1人の中国人が感じた、『平成の30年』」と題する蒋豊編集長のコラムを掲載した。写真は東京。

2019年5月7日、日本新華僑報は、「1人の中国人が感じた、『平成の30年』」と題する蒋豊(ジアン・フォン)編集長のコラムを掲載した。以下はその概要。

先月27日、日本は戦後初の10連休を迎えた。私はその前日、空路で東京から中国の海南島へ。あるネットユーザーから問われた「平成最後のウイークデーも仕事ですか」という言葉の「平成」というキーワードは、私に無数の思いを抱かせた。

1988年8月、私は中央メディアの職場を離れ、「出国ブーム」に乗って日本での留学生活をスタートさせた。当時の日本の元号は「昭和」だ。

「あの時、公職を辞して私費留学の道を選んだのはなぜですか」とどれだけ多くの人に聞かれたことだろう。この質問に対する答えは「貧しさ」だ。当時の中国の国内総生産(GDP)は日本のわずか25分の1だったという。個人的に鮮明に覚えているのは、訪中した日本人から贈られた1本のボールペン、1個のライター、1台の電卓に中国人は大喜びしていたということだ。

1989年1月、日本の元号は「昭和」から「平成」へと変わり、今月1日には「令和」が始まった。中国で学校に通っていた頃、毛沢東主席の詩に出てくる「38年間はあっという間」という言葉を私はどうしても理解できなかった。38年は長い年月だ。しかし、日本で「平成の30年間」を経験し、本当に「あっという間」だということが実感できた。

以前の私費留学生は日本でのアルバイトで学費、生活費を稼ぐだけでなく、中国にいる家族に仕送りもしていた。今は日本に来て1カ月以内にアルバイトを始める学生は少ない。彼らの決まり文句は「私にしっかり勉強させようと両親は学費を全部払ってくれました。生活費は私に持たせてくれたカードから出します」だ。

「留学生が家族を養う」が「家族が留学生を養う」に変化したことが、「平成の30年間」における中国の突出した変化と言える。以前の親は空港で子どもを送り出すしかなかったが、今は子どもと一緒に日本を訪れ、日本のホテルで別れを告げる。そして以前の留学生は友人と一緒に木造アパートの1室を借りられるだけでも大変な幸運だった。今は日本語学校の寮に入ることが「残念なこと」とされ、多くの人が即アパートを借りたり、親にマンションを買ってもらったりする。

「平成の30年間」に対する日本人の評価は高くない。最近読んだ書籍では「発展停滞の30年」などと称されていた。これに対し、日本の25分の1だった中国のGDPは2010年に日本を抜き、日中関係も「友好関係」から「戦略的互恵関係」の段階に入った。こうした関係変化の背景にあるのは国の実力の変化だ。

新元号「令和」の典拠が日本の「万葉集」であることを多くの中国人は「脱中国」と受け止めたが、私は「大化の改新でも明治維新でも根本的核心は全て『脱中国』だ」と言いたい。事実、日本が「脱中国」するたびに社会、経済の進歩と発展がもたらされた。今回、もし日本が「脱中国」によって経済の低迷から抜け出せるのであれば、それは日本、中国、アジアにとって必ずしも悪い事にはならない。中国はこうした広い懐を持つべきであり、さらに重要なのは「中国も発展の歩みを止めない」ということだ。(翻訳・編集/野谷)

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