鑑真6回目の日本への渡航の出発地が確定―中国メディア

鑑真6回目の日本への渡航の出発地が確定―中国メディア

中国江蘇省張家港市の黄泗浦遺跡が、唐の高僧で、奈良市の世界遺産、唐招提寺を創建した鑑真和上の6回目の日本への渡航の出発地点であることがおおむね確定された。写真は同遺跡。

中国江蘇省張家港市の黄泗浦(こうしほ)遺跡が、唐の高僧で、奈良市の世界遺産、唐招提寺を創建した鑑真和上の6回目の日本への渡航の出発地点であることがおおむね確定された。

鑑真は743年から753年にかけて計6回、唐から日本への渡海に挑んだ。5回目で視力を失いながらも6回目で薩摩に上陸し、平城京にたどり着いた。

中国国営新華社通信によると、江蘇省の南京博物院考古研究所は4月3日、黄泗浦遺跡について「長年にわたる発掘と研究により、鑑真の6回目の日本への渡航の出発地であることをおおむね確定した」と明らかにした。

それによると、唐代の長江河道南岸に隣接する黄泗浦遺跡は2008年に発見され、面積120万平方メートル。主に六朝時代から唐、宋代にかけての遺構が見つかった。考古研究者は、長年にわたる発掘で得られた成果と、779年に淡海三船(真人元開)によって著された鑑真の伝記「唐大和上東征伝」などの史料の記載との比較研究により、遺跡が唐・宋代にはにぎやかな港町であり、鑑真の6回目の日本への渡航の出発地点、海のシルクロードの重要な結節点であったことを確認した。

考古学者を最も驚かせたのは、江南地方で初めて発見された唐代の寺院建築の遺構が日本の唐招提寺と非常に良く似ていたことで、南京博物院考古研究所の林留根(リン・リウゲン)所長は、「黄泗浦の寺院遺構と唐招提寺の比較を行ったが両者は配置が非常に似ている」とし、いずれも倉や井戸、かまどがあり、黄泗浦の横長の建物、「回」字型の建物、門屋は、唐招提寺の僧房、金堂、中門とそれぞれ対応していると説明しているという。

中国メディアの澎湃新聞は4月10日付の記事で、「『黄泗浦』という三文字が最初に現れるのは『唐大和上東征伝』においてで、鑑真が黄泗浦に1カ月近くとどまった後に出航したことが比較的明確に記されている」と伝えている。

中国メディアの人民網によると、黄泗浦遺跡は、3月29日に北京市で発表された2018年度の「中国十大考古新発見」に選ばれている。(翻訳・編集/柳川)

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