北京市郊外で「長城」が破損=「通行の邪魔」と人為的に削った可能性―中国メディア

北京市郊外で「長城」が破損=「通行の邪魔」と人為的に削った可能性―中国メディア

北京市郊外の昌平区内で、明代に建設された長城の一部が破損していることが分かった(写真)。何者かが通行の邪魔になると考えて削ったのではとの見方が出ているという。

北京市郊外の昌平区内で、明代に建設された長城の一部が破損していることが分かった。北京青年報が2019年7月2日付で報じた。何者かが通行の邪魔になると考えて削ったのではとの見方が出ているという。

北京市内にある長城は明代に造られたもので、建設に着手したの第3代皇帝の永楽帝(1402−1424年)だ。北京市内で明長城があるのは、懐柔区、密雲区、延慶区、昌平区で、昌平区に存在する長城の長さは他の3区ほどではなく知名度も高くはないが、国家的な文化遺産とする「全国重点文物保護単位」であることに変わりはない。

北京青年報記事によると、昌平区内の長城の破損を発見したのは、南口抗戦記念館の楊国慶館長だった。南口抗戦とは北京から河北省張家口に向け進軍した日本軍と中国国民革命軍(中華民国軍)の間で1937年に戦われた「南口戦役」を指す。同戦役では日本軍が勝利したが、日本側の死傷者が約1万5000人、中国側は約1万6000人の激戦だったと伝えられている。

楊館長によると、昌平区内の長城付近を徒歩調査している際に、長城が幅1メートル余り、長さ2メートル余りに渡って削られているのを発見した。青色で算用数字や矢印が書かれていて、ペンキの容器と思われる物もあったという。

昌平区とその周辺の長城は南口戦役での砲撃で被害を受け、それ以外にも自然に崩れた場所があった。そのため、2012年から13年にかけて補修作業が行われた。楊館長は「補修されてからわずか6、7年で、簡単に崩れるはずはない」と述べた。

長城が削られた部分の両側にはそれぞれ細い道があり、片方の道は北京方面に、もう一方の道は河北省・懐来県に通じている。楊館長は「通行の邪魔になるとして、何者かが抜け道を作ろうとしたのだろう」との見方を示した。昨年(18年)秋に来た時に異常はなかったので、その後の冬から今年になっての仕業と考えられるという。

昌平区内の長城は観光地として開放されておらず、人家からも遠い場所にある。そのため、近寄る人は少なく、監視カメラなども設置されていない。中国では法律により、長城が所在する省、自治区、直轄市政府に、長城の近くにある道路などに、保護対象である長城の存在を示す標識を設置することが定められているが、北京青年報記事によると、周囲に標識は見当たらなかったという。

法律では、人里離れた場所にある長城について、県政府などが長城保護員を任命して、監視パトロールを行わせ、適切な報酬を与えることも定められている。

しかし地元政府の関係者は、監視員はいるものの専門職ではなく、長城があるのが山間部で居住地から徒歩で往復するには3〜5時間もかかるので、問題が発生してもすぐに知ることは困難と説明したという。(翻訳・編集/如月隼人)

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