日本の戦国時代には「日本の張飛」と呼ばれる武将がいた! しかし張飛とは決定的な違いが・・・=中国メディア

日本の戦国時代には「日本の張飛」と呼ばれる武将がいた! しかし張飛とは決定的な違いが・・・=中国メディア

中国メディアは、「日本の張飛」と呼ばれることもある戦国武将、本多忠勝について特集した。(イメージ写真提供:123RF)

 中国メディア・今日頭条は18日、日本の戦国時代には「日本の張飛」と呼ばれる武将がいたとする記事を掲載した。記事曰く、本物の張飛が「日本の張飛」を見たら、何か言い出すかもしれないとのことである。

 記事は「戦国時代は、中国だけではなく日本にもあった。日本の戦国時代は西暦1467年から1615年で、中国では明の時代だった。約150年に及ぶ戦国時代では大小66の国が出現し、互いに絶えず交戦して攻撃や併合が繰り返されていた。乱世には英雄が出現すると言われるように、長い戦争期間中に日本でも数多くの戦国武将が出現したのである」とした。

 そのうえで、「日本の張飛」と呼ばれた人物として徳川家康の家臣だった本多忠勝を紹介。「戦国末期の有名な猛将である。学問の心得はなく、8歳の時に2年間孫子の兵法を学んだだけだった。その後は徳川家康に従って各地の戦いに赴いた。身長はわずか140センチだったというが、その戦いぶりは異常なまでに勇猛で、向かってくるものを次々になぎ倒し、当時は相手になる者がほとんどいないと言われていた。それゆえ、彼は『戦国最強の武将』、『日本の張飛』と呼ばれているのだ」と説明している。

 また、本多は一生のうちに大小57の戦役を経験したにもかかわらず、一度も傷を負ったことはないと言われていることを指摘。そして、その装備が常人とは異なるものであったとし、兜が鹿角脇立兜、武器が長さ6メートルの蜻蛉切で、馬印が鍾馗(しょうき)となっており、それゆえ「八幡大菩薩の化身」とみなす人もいると伝えた。

 記事は最後に、「もし張飛が戦場でこれほど背の低い武将が小さな黒い馬に乗り、長さ6メートルの長槍を持っていたら、思ったことを口にしてしまう性格の張飛はどんな表情をして、どんなことを口走るだろうか」と結んでいる。ちなみに、本家本元の張飛の身長は約184センチと言われている。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)

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