日本にある「満蒙開拓平和祈念館」を訪れてみた=中国メディア 

日本にある「満蒙開拓平和祈念館」を訪れてみた=中国メディア 

中国メディアは、長野県の阿智村にある満蒙開拓平和記念館を訪れたとして「記念館は日本の民間団体が建設し運営しているもので、史実を忠実に伝え、次の世代に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えることが趣旨だ」と紹介した。(イメージ写真提供:123RF)

 中国メディア・新華網は26日、長野県にある満蒙開拓平和記念館を訪れた印象を紹介する記事を掲載した。
 
 記事は、「伊那市日中友好協会会長の小原茂幸氏の案内のもと、長野県の阿智村にある満蒙開拓平和記念館を訪れた。記念館は日本の民間団体が建設し運営しているもので、史実を忠実に伝え、次の世代に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えることが趣旨だ」と紹介した。

 そして、1936年より関東軍司令部が推進した満州農業移民百万戸移住計画 について説明。「日本各地の農民を集めるべく、日本の軍国主義者たちは日本国内向けに多種多様な宣伝攻勢を仕掛け、ポスター、雑誌、はがきなどを通じて、先に移住した日本人が中国東北部にて豊かで幸せな生活を送っていると伝えた。これらの宣伝は、当時貧困に苦しんでいた日本の農民には非常に大きな誘惑となったのだ。記念館のデータによれば、中国東北部に移住した日本の農民は約27万人にのぼったと」と伝えている。

 一方で、時間の経過とともに満州開拓団の幻想のバブルは崩壊し、戦局の悪化とともに強壮な男性がどんどん召集されていき、1945年8月の終戦時には高齢者や病弱者、女性、子どもが前線に取り残されて関東軍がひそかに撤退する結末に至り、その中で中国残留孤児を生むことになったとした。

 記事は、記念館の事務局長が「開拓団の悲惨な歴史は、戦争の被害者である中国と、加害者である日本がともに研究する価値がある。戦争の痛みは双方が担わなければならない」と語ったことを紹介。日本国内における関心も高く、決して交通の便が良い場所にないにもかかわらず、2013年4月の開館以降すでに来場者数が15万人を超えていると紹介した。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)

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