日本人が「集団になると龍になる」のは、日本語の「曖昧さ」から見て取れる

日本人が「集団になると龍になる」のは、日本語の「曖昧さ」から見て取れる

日本語にはあいまいな表現が多く、意味が通じずに外国人を困らせることもあるようだ。香港メディアは、「日本語があいまいな理由」を分析する記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

 日本語には曖昧(あいまい)な表現が多く、意味が通じずに外国人を困らせることもあるようだ。香港メディアの鳳凰網は24日、「日本語が曖昧な理由」を分析する記事を掲載した。

 記事の中国人筆者は、「日本の文化」が曖昧さを美徳としていると指摘したうえで、3つの理由があると分析している。その1つが日本の「環境」だ。災害の多い島国で村社会の日本では、近隣とうまくやっていかないと生きていけない。「口はわざわいのもと」なので、相手のメンツをつぶさないよう、自然と言葉選びに注意深くなったと分析した。

 2つ目は「法律」のためで、聖徳太子が定めた十七条憲法の書き出しは「和をもって貴しとなす」で始まっていると紹介した。これが曖昧な文化の基盤となったのではないかと伝えている。3つ目は、中国から伝わった「仏教の影響」とした。仏教には「以心伝心」という考え方があり、言わなくても伝わるという考え方が広まったと説明した。

 記事の中国人筆者によると、日本の曖昧な文化は「集団主義」の形成に大きく寄与したという。そのため、日本人は集団になると大きな力を発揮するとしている。中国では、中国人の国民性を表すのに「一個人一条龍、一群人一条虫」という言い方がある。1人だと龍のように強いが、集団になると虫のように弱くなるという意味だが、日本人はその真逆であり、「集団になると龍のように強い」と言えるだろう。

 記事は日本の曖昧な文化について、「英雄よりも歯車の1つになりきる」ことが求められる日本では、良い潤滑油になっていると分析している。一見すると息が詰まりそうだが、「慣れてしまえば心地よく、バランスが絶妙で、美の境地でさえある」と結んでいる。この「曖昧さ」は、より生きやすい社会を求めて、日本人が時間をかけて積み上げてきた貴重な文化なのかもしれない。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

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