植民地になったことのない日本、清との違いは何だったのか=中国

植民地になったことのない日本、清との違いは何だったのか=中国

江戸時代の日本は「鎖国政策」をとっており、清もまた同様の「海禁政策」を行っていたが、いずれも西洋諸国により開国させられることとなった。その後、清は列強によって侵略されていったが、日本は植民地となることはなく、むしろ列強の仲間入りを果たした。(イメージ写真提供:123RF)

 江戸時代の日本は「鎖国政策」をとっており、清もまた同様の「海禁政策」を行っていたが、いずれも西洋諸国により開国させられることとなった。その後、清は列強によって侵略されていったが、日本は植民地となることはなく、むしろ列強の仲間入りを果たした。中国メディアの捜狐はこのほど、日本が植民地化されなかった理由について分析する記事を掲載した。
 
 まず記事は、日本は資源が少なく人口も少ないので西洋諸国にとってあまり価値がなかったのではないかと指摘した。資源が豊富で人口も多い中国が西洋諸国の主なターゲットであり、このため英国は中国にアヘンをばらまいたのだとしている。

 そのうえで、西洋諸国の主な目的であった「開国させる」という点で、日本と中国は対照的な反応を見せたと記事は分析した。日本は「ドアを叩かれるとすぐに目覚め」、西洋から多くを学び取り入れるようになったが、清は「ドアを叩かれても眠り続けた」という。この反応の違いが植民地化されるかどうかの分かれ目になったと言いたいようだ。

 このほか、明治維新後に力を入れるようになった「海軍力」が、日本の台頭にとって大きな力になったと説明した。海軍設立後、最初に英国から購入した「金剛」や、金剛の技術を導入した比叡が日本の「門神」になったと主張している。大英帝国が建造したこの「門神」を攻撃する勇気のある国は当時いなかったので、日本は大きな力を得た状態だったと論じた。

 最後に、西洋諸国はもともと中国を侵略する意図はなく、巨大な市場を持つ中国と商売をしたかっただけで、うまくすれば清も列強の仲間入りができたとの見方を示した。しかし、清政府があまりに腐敗しており、改革を望まない保守的な思想ゆえに、西洋諸国に蝕まれるようになってしまったと残念がっている。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

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