日本がもう少しで「共産主義国になりかけた」事件とは=中国

日本が1947年の『二・一ゼネスト』の時に共産主義国になりかけたと中国で報道

記事まとめ

  • 日本は民主主義国の道を歩んできたが、共産主義国になりかけていたと中国で報じられた
  • 1947年の『二・一ゼネスト』で、当時の吉田茂首相は『投降する』可能性があったという
  • しかし、ゼネストは直前になってマッカーサー元帥によって中止に追い込まれた

日本がもう少しで「共産主義国になりかけた」事件とは=中国

日本がもう少しで「共産主義国になりかけた」事件とは=中国

現在、共産主義国は世界でも数えるほどしかなく、中国はその筆頭に挙がる国だ。日本は戦後、民主主義国の道を歩んできたが、中国メディアはこのほど、日本は戦後、もう少しで共産主義国になりかけたと紹介する記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

 現在、共産主義国は世界でも数えるほどしかなく、中国はその筆頭に挙がる国だ。日本は戦後、民主主義国の道を歩んできたが、中国メディアの百家号はこのほど、日本は戦後、もう少しで共産主義国になりかけたと紹介する記事を掲載した。

 記事の言う「日本が共産主義国になりかけた」事件とは、「二・一ゼネスト」のことだ。日本では戦時中に労働運動が禁止されていたが、記事は「戦後に進駐したGHQは、日本の民主主義を推進するために労働運動を奨励し、各地で様々な労働組合が結成されていった」と紹介した。

 そして、戦後の混乱期には激しいインフレが発生していたため、労働組合は大幅な賃上げを要求し、ストライキという手段をとるようになったという。そして、こうした運動で先頭に立っていたのが共産党で、要求に応じない当時の吉田茂内閣を打倒し、日本の共産国化を目指していたと説明した。

 各労働組合は、国が要求に応じない場合は1947年2月1日にゼネラル・ストライキを行うことを決定したが、記事によると、当時の吉田首相は、労働組合の要求に応じて「共産主義に投降する可能性があった」という。

 しかし、ゼネストは直前になってマッカーサー元帥によって中止に追い込まれたが、もしゼネストが決行されていたら、日本の未来は変わっていた可能性があることを強調した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

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