食事中にスマホをいじる息子 父親がとった行動は?

食事中にスマホをいじる息子 父親がとった行動は?

(Illustration - Shutterstock)

これはだれにでも起こりうる出来事である。友達や家族あるいは大切な恋人との食事風景を想像してほしい。

食卓を囲んで会話を楽しむ幸せに気づくこともなく、料理を作ってくれた人への感謝もそこそこに誰かがスマートフォンを取り出す。するとすぐFacebookの投稿をチェックするか、はたまた仕事から帰宅したばかりにも関わらず仕事関係のメール返信が始まる。

誰が最初に始めたかは問題ではない。誰か1人がスマートフォンの世界に取り込まれると、それが合図であるかのように周りの人たちも同じ行動をはじめる。残りのみんながいくら会話を楽しみたいと思っても、誰かがあからさまに興味がない態度を示したら元に戻すのは至難の業だ。

映画監督のマシュー・アベラーはライターズボーンで「これはスマートフォンの問題と言うより価値の問題だ」と語っている。「もし両親と話し込んでいるときに急にスマホを取り出したとしたら、それは自分にとってはあなたたちとの会話よりもスマホ上での友達とのおしゃべりの方が大切だということ暗に伝えているんだ。」

これには多くの人が賛同するかもしれないが、ここまでデバイス文化が支配権を持っている中で人々がすべきことはなんなのだろうか。アベラーがまだノースウェスタン大学(ミネソタ州セントポール)の学生だった2013年に、彼は学生仲間たちが見せた食事時間に対する関心のなさに直面した。

アベラーはライターズボーンの中で「身近な友人の声に耳を貸さないように仕向けているものがあるとしたら、それがなんであろうと友達を傷つけるだけでなく、自分自身の人間関係を築く能力にさえ悪影響を及ぼす。」とも語っている。

この問題に対する彼の答えは学校の授業でこの問題を取り上げた映画を作成することだった。彼は自分で映画の構想を練り、短編映画の脚本・監督を務めた。さらに父親のポール・アベラーと母親のリサ・アベラーにも出演を依頼して、食卓でのスマホいじりに怒って過激な解決策を思いついた夫婦の役を演じてもらった。

映画の基礎となったのはマシュー・アベラーが大学の学食で見た光景だ。ライターズボーンでは「グループのだれもが当たり前のように自分のスマホをテーブルの上に置くことがあまりにも”普通”であることに気づいた。そして親だったらこの問題をどう対処するのか疑問に思った。」と語っている。

舞台は父と母と2人の息子がそろった典型的な家族の食事風景だ。おいしそうな食事を囲んでの一家団欒に見えるが、ある問題が起こる。息子の1人がおもむろにスマートフォンを取り出し、食事の真っ最中にせっせとメールを打ち始めたのだ。

怒った父親はメール中の息子に「塩を取ってくれ」と声を荒げるが、息子は顔もあげずに容器をスライドさせ、また知らん顔でスマホいじりを続ける。カメラが容器にズームすると、それは塩ではなく胡椒だった!

ここで兄弟の様子を見たもう1人の息子もスマートフォンを取り出す。これで父も母も息子たちと会話を楽しむことも、機械抜きで食事を楽しむこともできなくなってしまった。

しかし、ここでアベラーは信じられない介入方法を思いついた。父は昔ながらのタイプライターを取り出すとテーブルの上でガチャガチャと音を立てながら嵐のごとく打ち始めたのだ。スクリーンの中の息子たちは何が起こっているのかわからず途方にくれた様子だったが、最後には顔を上げ、父親のとんでもない奇行にショックを受けて「ごめん、ちょっと...気を取られてた」と言ったのだった。

息子たちは父が言わんとしていることを理解してスマートフォンをポケットにしまい、父はやっと塩を受け取ることができた。このビデオはネット上でも話題となって広く拡散され、これまでにYouTubeで再生回数約1,900万回を記録している。

マシュー・アベラーにとって、彼が対処したかったのは単にテクノロジーやメディアの問題ではなく、より多くの人と関わりを持つほど良い人間関係が築けるという誤解を解くことだった。映画は家族の大切さと身近な人を大事にすることの重要性を訴えている。これはアベラーが構想を思いついた当時と同じくらい今の私たちに関係するメッセージである。

(大紀元日本ウェブ編集部)

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