部下に仕事を任せるべき?王平と馬謖と諸葛亮

部下に仕事を任せるべき?王平と馬謖と諸葛亮

(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

現代のビジネスパーソンの皆さんは、どこまで部下に仕事を任せたらいいのか、悩むこともあるのではないでしょうか。
それでは三国志の時代、諸葛亮と馬謖、王平の3人からその仕事ぶりを確認してみましょう。

諸葛亮は街亭という、魏を攻めるために重要な土地を攻略するため、総指揮官として自分の跡継ぎとまで嘱望した馬謖を任命します。
さらに副官として、王平を諸葛亮は任命します。この王平は元々魏の徐晃の下で働いており、漢中と呼ばれる、重要な場所の地理に詳しい人物でした。
このとき、諸葛亮は馬謖に「麓を固める」ように依頼しています。

しかし、現場で馬謖は「麓」ではなく、三方絶壁の「山の上」に布陣しました。
王平は諌めましたが、聞き入れられず、王平の少ない軍だけが麓に布陣し、諸葛亮へこの旨を報告します。
結果、魏軍によって馬謖軍は包囲され、窮地に陥ります。
蜀の軍勢は総崩れ、諸葛亮の采配で全滅することなく撤退したものの、この街亭を手に入れる機会を失いました。

後に軍律によって、馬謖は処刑され、王平は昇進、諸葛亮は自ら降格を申し入れ、丞相から右将軍となりました。
これが俗にいう「泣いて馬謖を斬る」の元となった話です。

諸葛亮は部下に仕事を与え、1名は忠実に義務を履行し、もう1名は履行せず処罰されました。
現代風に言えば、社内規定(軍法)に則って、上長の命令を無視して勝手な行動を行った馬謖は懲戒解雇処分です。
王平は昇進、最終責任者の諸葛亮は(任命責任も含め)譴責処分といえます。
このように社内規定が機能していることで、巨大な組織が成り立っているといえます。

仮に仕事を任せなければ、と思った方は、諸葛亮がすべて一人でこの仕事ができたでしょうか。
おそらく、局地的な戦闘の勝利を上げることはできたかもしれませんが、実際に戦うのは馬謖や王平となることは変わらないことが予想されます。
結論から言えば、地位について、適材適所の配置が必要となり、諸葛亮でも人材配置は難しかったと言えるのではないでしょうか。

馬謖は大任を仰せつかり、慢心があったのかもしれません。
しかし、それを用いる側は認識していなければならず、それを諌め、導く者が必要だったのかもしれません。
仕事を任せるのであれば、自らの手を離れても機能するようにする仕組みが必要といえ、それが当時は軍法でした。

現代のビジネスパーソンは、社内規定だけではなく、フレームワークや、指導を行い、適切に導くことが必要なのでしょう。

日本大紀元ウェブ編集部

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