最後の映画手描き看板職人か 失われつつある匠の技に世界が注目!

最後の映画手描き看板職人か 失われつつある匠の技に世界が注目!

(Unatatsuya, commons)

いまどきの映画館の外にかけられている広告看板はみなデジタル印刷されたものだ。しかし台南のある歴史ある映画館では、今でも職人の手作業による手描きの映画宣伝看板が展示されている。年をとった人はこの手のポスターを見た思い出があるだろう。以前はどこの映画館でも手書きの看板職人が描いていたからだ。しかし今ではそれもなくなり、あるメディアによれば、台湾においてはこの顔振發さんという職人が最後の一人になってしまったとのことだ。

顔振發さんは、子供の頃から絵を描くことが好きで、鉛筆で映画スターを描いたりもした。自分ではかなり似ていると思っていたという。家族は彼の絵を見て、彼を映画の看板職人につけて習わせた。顔さん曰く、自身は貧しい家の出身で、あのころはわずか200元の給料しかもらえず、ご飯を食べるのにも、家賃にも事欠き、映画館で寝泊まりしていたという。

このような厳しい見習い修行に耐え、必ず立派な看板描きになろうと決心した顔さんは、絵に集中すると5時間は飲食もせず描き続ける。集中力が途切れないのだ。半世紀にわたる絵描き人生を取材しようと、多くのメディアが台湾にいる彼のもとへ訪れる。

顔振發さんは、台南の「チュアンメン・シアター(全美戲院 /Chuan Men Theater)」で上映される映画の看板・ポスターの作画を一人で担当している。大きな構図を6枚のキャンバスに分けて作画し、組み合わせて、色をつけて完成させるのだ。アニメ映画『ズートピア』の宣伝看板を作成した際には、顔さんが仕事に集中している表情がアメリカのネット巨大掲示板「Reddit」にて紹介された。「台湾の映画館で、すべて手描きの看板を手がける人」と紹介された。米国ではこのような映画の看板が街から姿を消してもう数十年になるため、米国のネットユーザの驚きはひとかたではなく、多くの人々が関心を示した。

フェイスブックで「チュアンメンシアター・手書き看板ワークショップ」と題して学習希望者を募集している。56回目のコースは11月19日に4日間の集中授業が行われる。24日には定員に達し、非常に人気があることが伺える。映画館のマネージャー夫妻は当初、インターネットによる映画業界への影響から顔さんの仕事が減ることを心配し、彼に「絵の授業をやったら」と勧めた。彼自身は内向的であまり気が進まなかったようだが、なだめすかしてこのワークショップを2013年に始めさせたという。

意外にも多くの希望者があり、この数年で、数百名もの人が彼の学生としてコースに参加した。日本、香港、シンガポールからもこのコースを受けに学生が集まってくる。2019年4月28日には、香港のキョンシー映画で80年代に人気となった映画俳優、錢小豪氏もやってきてこの映画館を見学し、顔さんについて手描き看板を習った。

取材を受けたチュアンメンシアターの?俊誠マネージャー、「このワークショップは映画館の『伝統文化』を残していくのみならず、顔さんが当映画館を宣伝してくれる、そんな側面もあります。台湾だけでなく、多くの海外からの観光客もうちの看板を見にやってきてくれて。まさに我々台南の「顔」ですよ! 」と語った。

顔さんの「アトリエ」は映画館の向いの歩道の上。ゆえに彼の学生も路上で指導を受けることになる。人気ある彼のコースは最多で10名までだが、老若男女問わず多くの人々から注目されている。

コース参加者の林月鳳さん「先生の描くこれ、すごく難しいです。誰も書かないんじゃないかしら」

別の参加者、胡純萍さん「道具がとにかく少なくて、先生は本当にわずかな道具だけで描いていく。びっくりするほどの出来栄えで、これが「職人技」というものかと感じます」

教え方も板についてきた顔さんは、この技を次世代に引き継いでもらいたいと考えている。「看板を描くのは難しいか」と質問されると、技を身に付ければ困難なことではないが、技がなければ難しいと語った。

この世から失われつつある「匠の技」は、しばしば国際的メディアにも紹介される。英国BBCは2018年11月9日、観光カテゴリで顔振發さんを「国宝級の手描き映画看板職人」と紹介した。海外メディアでは「台湾人の誇り」と彼を称えている。

今年67歳になる顔さんは、この業界に入って半世紀を超える。人生をこの仕事に捧げた彼の生き様、プロとしての矜持は多くの人を感嘆させている。

顔さんは取材を受け、「わしは数千もの作品の映画の看板を書いてきたが、映画制作スタッフリストの中にわしの名前はなく、また作品にわしもサインなどした事はなかった」と話した。また「わし自身は映画作品のクルーの1人のつもりでいるんだ」とも語った。

映画の看板は、映画館がどの作品を次に上映することを決めてから職人に作成を依頼する。映画産業の発展期から、顔さんはたった1枚のA4サイズの資料を片手に、そして画材のペイント5缶とわずかな道具だけを使い、くる日もくる日もこのチュアンメン・シアター前の路上で絵を描き続けている。

一生を映画の看板製作に捧げた彼の目は、職業病のためひどく視力が落ちている。彼の目を医者が診たところ網膜がひどく傷んでおり、左目は治ったものの、右目はほぼ失明状態だという。しかし看板描きをやめようとしない顔さんは、自分の目が見えなくなるまで続けたいと話している。

(大紀元日本ウェブ編集部)

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