<W解説>韓国HYUNDAI(現代)自動車が日本市場へ再進出を検討=財閥創業者らの共通点

<W解説>韓国HYUNDAI(現代)自動車が日本市場へ再進出を検討=財閥創業者らの共通点

現代(HYUNDAI、ヒュンダイ、ヒョンデ)自動車(画像提供:wowkorea)

韓国の自動車メーカー、現代(HYUNDAI、ヒュンダイ、ヒョンデ)自動車が、来年、日本市場に再進出することを検討していると報じられている。

朝鮮日報などの韓国メディアは、日本経済新聞グループの日経BPが発行している「日経ビジネス」のインタビューに応じた現代自動車のチャン・ジェフン(張在勲)社長の発言を紹介。チャン社長は「電動化の波は自動車産業に訪れた100年ぶりのチャンス」とし、「先進市場でありながら最も厳しい市場である日本に進出することを慎重に検討しているところだ」と明らかにした。

現代自動車は、韓国最大手の自動車メーカーで、傘下に起亜(キア、KIA)自動車を持ち、現代自動車グループを形成している。現代自動車グループ全体では年間販売台数700万台後半と、現在、世界第5位の規模を誇る。

1965年の「日韓国交正常化」以降、韓国の現代自動車は日本の三菱自動車から技術提供を受けた歴史がある。韓国初の国産車で、1975年から1985年まで生産された乗用車「ポニー」は、エンジンやプラットフォームなど三菱自動車の車が基になっていた。

傘下の起亜自動車も「日韓国交正常化」以降、日本の「マツダ」の技術支援で成長していたメーカーである。マツダの技術供与で起亜が生産した「ボンゴ(Bongo)」は韓国では「ワンボックス・カー」を意味する一般名詞化したほどだ。

現代自動車はかつて一度、日本市場に挑戦したことがある。2001年に初進出。翌年にサッカーの日韓共催ワールドカップを控え、韓国への関心が高まりつつある時期だった。

当時、「ヒュンダイを知らないのは日本だけかもしれない」と挑戦的なキャッチコピーの下、「ヒュンダイ・ソナタ」や「ヒュンダイXG(韓国名:グレンジャーXG)」などを販売したが苦戦。2010年には日本市場から完全撤退した。日本進出中の約10年間に現代自動車の日本販売台数の累計は約1万5000台にとどまったという。

日本市場では大苦戦した現代自動車だが、海外戦略は大きな成果を上げている。欧州市場では現代自動車と傘下の起亜自動車の今年上半期(1〜6月)におけるシェアは7.6%となり、販売台数ベースでBMWグループを抜いて4位となった。これはトヨタ(6.3%)や日産(2.1%)を上回る成果である。年間シェアでは昨年初めて7%を超え、今年はそれを更新する可能性が高まっている。

また、インド市場では今年5月、月間販売実績でシェア1位(35%)を占め、約40年間インドでの販売台数1位だったインド・マルティと日本のスズキの合弁会社「マルティスズキ」を抜いた。現代自動車・起亜自動車がシェア1位となるのは、現代自動車が1998年に現地工場を設立して以来、初めてのことだった。

来年、日本での再進出を検討していることを明らかにしたチャン社長は、前述のインタビューで「日本の社会や経済が環境への配慮をより重視するようになっている上、一人ひとりが周囲の意見ではなく、個人の価値観を重視して商品を選ぶようになっている」と分析。「ブランドに対する抵抗感が低くなっているからこそ、再進出のタイミングとしては最適な時期だ」と語った。

現代グループや現代自動車グループの創業者である故チョン・ジュヨン(鄭周永)氏の孫のチョン・ウィソン(鄭義宣)会長は、日本では電気自動車と水素自動車で勝負できると見ている。スポーツ用多目的車(SUV)の水素自動車「NEXO(ネクソ)」や、クロスオーバーSUV電気自動車「IONIQ 5(アイオニック・ファイブ)」など、多彩なラインナップで日本の消費者に差別化された価値を提供できると自信を見せている。

とはいえ、日本の自動車市場はトヨタ、日産、ホンダをはじめとする自国ブランドが根付いており、そこに分け入って勝負するのは容易ではない。現代自動車の日本再進出が実現した場合、存在感を示すことができるのか、同社の今後の動きが注目される。

現代グループ・現代自動車の創業者チョン・ジュヨン(鄭周永)氏は、死去の2年前の2000年、自叙伝を出版していた。その本で、「21世紀が情報化社会に転換しているが、製造業の役割は変わらず重要であり、日本は脱工業化した他の先進国とは違って、これを守ってきているから力がある」とした。また、「現代グループも知識を基盤とした競争力を強化し『製造業は永遠である』の命題を自ら実践すべき」としていた。

現代グループ、SAMSUNGグループ、LGグループ、SKグループなど、韓国経済を「先進国G8」のレベルに牽引してきた財閥創業者らには共通点がある。かつての統治者だった日本を憎むべき存在とは見ていない。その背中を見て自らを成長させるべき近代化の先輩と認識していた。そして、いつかはその本場の日本でその成長の結果を試したかった訳だ。

現代自動車の日本再進出は、そのような亡き創業者の夢の話の続きでもある。

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