北朝鮮大使が明かした日本人拉致の真相 「金正日は激怒してチェコ製の灰皿を投げつけた」

北朝鮮大使が明かした日本人拉致の真相 「金正日は激怒してチェコ製の灰皿を投げつけた」

北大使明かす邦人拉致の真相

北朝鮮大使が明かした日本人拉致の真相 「金正日は激怒してチェコ製の灰皿を投げつけた」

2002年9月、日朝首脳会談で顔を合わせた小泉純一郎総理と金正日総書記

 北朝鮮の金正日総書記は、20年前の9月17日に行われた日朝首脳会談で、日本人拉致を初めて認めた。日本の世論は「嘘つき北朝鮮」の大合唱を始めた。北朝鮮が日本人を拉致しているとは、思っていなかった反動だ。拉致被害者の救出に、国民も政治家も、新聞・テレビも冷たかった。日本的な大勢に従う文化が、同胞を見殺しにした。

 大韓航空機爆破事件で逮捕された金賢姫元死刑囚は、自分に日本語を教えた李恩恵氏は、拉致日本人(田口八重子さん)であったと証言したが、日本政府は動かなかった。梶山静六国家公安委員長が、1988年3月26日に初めて国会で「北朝鮮による日本人拉致の疑いが濃厚」と述べた。警察庁としてはかなり踏み込んだ事実認定だったが、産経新聞が小さく報じただけで、他の新聞・テレビは無視した。

 これが当時の日本社会の空気だった。拉致を指摘したごく少数のジャーナリストと専門家、週刊新潮は、組織的な非難や抗議活動、嫌がらせに直面した。新聞は「北朝鮮が拉致した」とは、2002年の日朝首脳会談までは書けなかった。拉致事件の言葉の前に「北朝鮮が行ったとされる」との枕詞を、必ずつけた。岩波書店の雑誌「世界」は最後まで「北朝鮮は横田めぐみさんを拉致していない」との論文を掲載した。


■「記事にされたら、自分はクビになる」


 日朝首脳会談の10年前、1992年に僕はワシントン特派員でアメリカにいた。ハワイでの米シンクタンク主催の日米韓朝4カ国の民間国際会議が開かれた。北朝鮮から日朝国交正常化交渉の李三魯(リ・サムロ)大使が来るというので、会議に参加した。

 初対面の李三魯から「お会いしたかった」と言われた。「あなたが中央公論誌に書いた論文が、平壌では話題だ。金正日書記が、幹部に読むように指示した」。米政府が、どのようにして北朝鮮政策を決定するかを、書いていた。

 会議が終わる頃に、彼が国務省の韓国部長は来ないのか、と聞く。韓国部長が来るというので、参加したという。騙されたのだ。米国と、秘密接触したかったのだろう。それがだめなので、日本外務省から来ていた七尾清彦元サンフランシスコ総領事と話がしたいという。

 それで、朝鮮語の通訳をしてほしいと頼まれた。ただし記事にはしないでくれ、という。記事にされたら、自分はクビになる。記事にされない保証はないのに、なかなかの度胸だと思った。

 李三魯は、七尾氏に「日朝交渉は、必ずまとめる。李恩恵(田口八重子さん) 問題を出さないでほしい」という。その前年の春に埼玉県警が、相当な苦労の末に、李恩恵を田口八重子さんと確認し、日本人拉致が初めて公表された。

 彼女を知る関係者たちは危険と嫌がらせを憂慮し、公表を拒否したが、警察は保護を約束して説得した。その直後の日朝交渉で、日本は初めて北朝鮮に事実確認を迫っていた。


■「金正日将軍様が勝手に実行した」


 七尾氏が「李恩恵の名前を出したら、なぜダメなのか」と聞くと、「交渉が決裂する」という。なぜ決裂するのか、李三魯の説明は要領をえない。

「日朝交渉が終わると、交渉大使は単独で金正日書記に、報告する。前回の交渉後に李恩恵の名前が初めて出たと報告したら、次に名前が出たら、決裂にしろと怒鳴られた」

 怒り狂った金正日は、机の上の大きなチェコ製のガラス灰皿を李三魯に投げつけた。間一髪よけたら、また怒られた。

 七尾氏は「なぜ李恩恵問題を出したら、決裂するのか。調査しますと言って否定するのが、いつもの北の手口じゃないか」と反論した。

 李三魯は、今回はダメだという。しばらくやり取りしたが、堂々巡りだ。李三魯が「事情を、七尾氏に私から直接は話せない。あなたに説明するから、それを七尾氏に伝えてほしい」という。ホテルのロビーの片隅で、朝鮮語で衝撃の理由を聞かされた。

「日本人拉致は、金日成主席の許可を得ずに、金正日将軍様が勝手に実行した。金日成主席にバレたら、大問題になる。将軍様は、後継者を降ろされるかもしれない。主席に伝わらないように、懸命に抑えている。次の交渉で李恩恵の名前が出たら、交渉を中止しろと言われている」

 この話を七尾氏に伝えた。李三魯は、「外務省の首脳に伝えて欲しい」と七尾氏に、何度も念を押した。でも、伝わらなかったようだ。

 それから数ヶ月後の92年11月、日朝国交正常化交渉で、日本側が李恩恵の名前を出した途端、北朝鮮代表団全員が席を立ち、交渉は決裂した。李三魯は、インドネシア大使に栄転した。李三魯は、金日成主席への拉致情報を遮断したから、評価されたのだろう。日本人拉致の真実は金日成に届かなかった。


■日本人拉致は、南北統一工作のため


 なぜ金正日は日本人を拉致したのか、漫画か映画みたいな話だが、南北統一工作のためだった。日本人を工作員にしたり、工作員の日本語教育係にすることを目的にしていた。統一戦争も、本気で考えていた。日本人拉致が本格化する直前の1975年に、金日成主席は北京を訪問し「戦争になれば、失うものは軍事境界線。得るものは、統一」との有名な演説をした。

 戦争を危惧した中国首脳は、金日成主席に「北朝鮮から戦争を始めたら助けないが、攻撃された場合には考える」と通告した。北朝鮮は、攻撃されたら統一戦争は可能だと解釈した。

 翌1976年に、米軍と北朝鮮軍が共同管理する板門店で、米軍兵士が北朝鮮兵士に斧で殺害された。金日成主席が謝罪し、事態をおさめた。後になって、この事件は米軍の戦争を挑発し、北朝鮮を攻撃させる金正日の計画だった、と語られた。

 また、1983年に北朝鮮の工作員が、ミャンマーで韓国の全斗煥大統領暗殺を謀った事件も、金正日氏の指示だった。普通の国なら、北朝鮮を攻撃するが、全大統領と米国が韓国軍を抑えた。この暗殺未遂も後になって、統一戦争に誘導するためだったと、分析された。

 94年5月にワシントンから帰国すると、日本は核開発報道で「北朝鮮が戦争を始める」と大騒ぎしていた。僕だけが「北朝鮮は石油がないから戦争できない」と、「中央公論」誌に書いた。毎日新聞に転職する前、シェル石油で働いていたから、北朝鮮の石油を調べた。TBS「NEWS 23」の筑紫哲也さんがテレビで話せと、呼んでくれたので、拉致問題についても北朝鮮の犯行と説明した。

 金日成主席は、94年7月8日に死んだ。拉致の真実は、金日成に届かなかった。

重村智計(しげむら・としみつ)
1945年生まれ。早稲田大学卒、毎日新聞社にてソウル特派員、ワシントン特派員、論説委員を歴任。拓殖大学、早稲田大学教授を経て、現在、東京通信大学教授。早稲田大学名誉教授。朝鮮報道と研究の第一人者で、日本の朝鮮半島報道を変えた。著書に『外交敗北』(講談社)、『日朝韓、「虚言と幻想の帝国の解放」』(秀和 システム)、『絶望の文在寅、孤独の金正恩』(ワニブックPLUS)など多数。

デイリー新潮編集部

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