韓国で「吉田清治」が作った謝罪碑が復活、未だ残る従軍慰安婦“ウソ証言”の傷跡

吉田清治氏の『慰安婦問題謝罪碑』が復活 吉田氏を巡り朝日新聞は記事18本を撤回

記事まとめ

  • 吉田清治氏は従軍慰安婦問題の発火点になり、韓国に『慰安婦問題謝罪碑』を作った
  • その後、この謝罪碑は元海上自衛官の奥茂治氏により改変されたが、現在は復活している
  • 吉田清治氏の証言については、朝日新聞が記事18本を撤回して誤りを認める事態となった

韓国で「吉田清治」が作った謝罪碑が復活、未だ残る従軍慰安婦“ウソ証言”の傷跡

 韓国・天安市に「望郷の丘」という国立墓地がある。

 朝鮮半島から海外に渡って帰国を果たせぬまま亡くなった人たちの墓地で、1976年10月にまず213体を収めて開園。現在は1万体以上が安置され、「安葬申請」はいまも受け付けられている。

 パンフレットには「日帝強占期に、本人の意志によらず強制動員された海外同胞たちの帰郷の念を叶える場所」と示され、言ってみれば「徴用工」の墓地だ。徴用工訴訟はさらに拡大していく様相を呈しているが、そのうち韓国がこの墓地を象徴的な場所として持ち出すかもしれない。そしてここにもう一つ、反日の原点ともいえる石碑がある。

 あの吉田清治氏の「謝罪碑」である。

 済州島の女性205人を強制連行して従軍慰安婦にしたなどの作り話で従軍慰安婦問題の発火点になった吉田清治氏は、1983年12月、慰安婦問題を書いた著作の印税でその碑を作った。「謝罪碑」はハングルと日本語で以下のように書かれている。

〈「日本人の謝罪碑」
 あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制連行されて
 強制労働の屈辱と苦難の中で 家族を想い 望郷の念も空しく
 貴い命を奪われました
 私は徴用と強制連行を実行指揮した日本人の一人として
 人道に反したその行為と精神を深く反省して
 謹んで あなたに謝罪いたします
 老齢の私は死後も あなたの霊の前に拝跪して
 あなたの許しを請い續けます 合掌
 1983年12月15日
 元勞務報國會徴用隊長 吉田清治〉

 だが2年前、この「謝罪碑」は、奥茂治なる人物によって改変された。元の石板の上に短く3行、

「慰霊碑 日本国 福岡県・吉田雄兎」(原文はハングル)

 と刻んだ石板を貼りつけたのだ。「雄兎」は吉田氏の本名である。

 奥氏は元海上自衛官。実業に転じたものの、予備自衛官や沖縄県隊友会(OB組織)幹部として自衛隊を支え、国防問題の啓蒙、情報収集を行う「南西諸島安全保障研究所」を主宰している。尖閣諸島に最初に「本籍」を移したことでも知られる。

 奥氏は、吉田氏の長男・英治氏の依頼を受け、石板を張り替えて帰国した。その後、韓国警察の出頭命令に応じ渡韓して逮捕され、裁判になった。これは度々メディアで報じられたから、あるいは記憶にある人も多いかもしれない。

 そして2018年1月に懲役6カ月・執行猶予2年の判決が下る。一時控訴したが、取り下げて判決が確定、2018年2月に帰国した。

 それでは、その後「謝罪碑」はどうなったか。

■無縁故韓国人合同墓


 ソウル駅から最寄りの天安駅までは高速鉄道で約1時間、天安駅からはバスに乗って20分ほど北上すると「望郷の丘」バス停に着く。田畑の中にたっぷり敷地がとってあり、まず目に入るのは入口近くに聳える「大韓航空旅客機攻撃被害者慰霊塔」である。これは1983年にサハリン沖でソ連の戦闘機に撃墜された旅客機に乗っていた犠牲者の冥福を祈るものだ。これを背にして左右に墓石が立ち並ぶ中を奥に向かっていくと、「望郷の丘」と漢字交じりで書かれたもう一つの巨大な「慰霊碑」に行き着く。

 ここが中心だが、その慰霊碑の前を左に折れ、「薔薇墓地」と名づけられた区画を進んで「合葬墓地」に入ると、その入り口付近に吉田清治氏の「謝罪碑」はあった。

 福岡県や三重県、山口県美祢市などと掘られた「無縁故韓国人合同墓」の石碑が整然と立ち並ぶ静謐な墓地の中、その一角だけが禍々しい雰囲気をまとっている。まず目に飛び込んでくるのは、吉田清治氏の写真を載せた案内板だ。そしてその横に吉田清治の「謝罪碑」がある。奥茂治の貼った石板は剥ぎ取られて「謝罪碑」の下に並べられていた。そして隣には広島の「高暮ダム強制連行を調査する会」が作った「謝罪」の碑がある。

 吉田清治氏の「謝罪碑」は復活していたのである。

 石板は重量感があった。大きさは、横120センチ、縦80センチ。奥氏が張り付けたものは厚さ3センチで、3つに分かれていた。それは一枚35キロもあったからで、それらを深夜にタクシーで運び、入口から現場までは、一枚一枚、奥氏が運んだという。接着に関しては、左官工事の見習いをして技術を身につけたらしい。

 さて、案内板にはどう書かれてあるか。

■〈日本が私たち民族を強制徴用し…〉


 上下2部構成で、上部は「吉田清治 謝罪碑 無断毀損 経緯」、下部には「謝罪碑 無断毀損」とある。下部、韓国が奥氏の石板をいかに剥ぎ取ったかを写真付きで紹介しているだけで、問題は「経緯」のほうである。そこにはこうあった。

〈日本人吉田清治(吉田清治、2000年死去)は、太平洋戦争当時の1943〜1945年、日本山口県労務報国会下関支部で、動員部長として在職し、慰安婦女性など朝鮮人6000余名を強制連行する任務を遂行した。

 1983年、自身の戦争犯罪行為を認定、懺悔する内容の自叙伝『私の戦争犯罪――朝鮮人強制連行』を著述して、その印税収入の一部を謝罪碑の設置費にあてることを志願した。

 吉田清治は、日本在日大韓婦人会に謝罪碑設置に必要な助力を要請し、在日大韓婦人会は、韓国の中蘇離散家族会にこれを伝達した。中蘇離散家族会は、保健社会部(現・保健福祉部)から謝罪碑の設置許可をもらい、1983年12月15日、強制徴用として幽名を異にする無縁故合葬墓域に謝罪碑を設置した。

 当時、吉田清治は除幕式に参加して謝罪碑の内容を直接朗読し、多くの参席者の前で跪いたが、出席者たちは、罪人はうつ伏せになって詫びなければならないと、謝罪碑もまたきちんと立たせず、横たえて設置するようにした。

 しかし2017年3月、吉田清治の長男(吉田英治)は、父親の証言が偽証だと、日本自衛隊の自衛官だった奥茂治に依頼し、謝罪碑に他の表示石版を重ね、慰霊碑に無断交替した。

 吉田清治の証言について、偽証とする論難がなお存在し、謝罪碑を慰霊碑として交替し、蛮行を隠そうとしても、日本が私たち民族を強制徴用し蛮行を犯した行為は変わらない事実である。

 2017年4月 無断毀損となった謝罪碑を復旧しつつ
 国立望郷の丘管理院〉

 予想通りと言うべきか。吉田清治氏の証言が虚偽とわかろうが、朝日新聞が記事18本を撤回して誤りを認めようが、韓国ではまったく関係ないのだ。また、朝鮮半島で強制徴用が行われたのは1944年9月からだが、それもまったく無視である。

 韓国では依然として「吉田清治」は生きているのである。

週刊新潮WEB取材班

2019年4月30日 掲載

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