韓国軍は“性転換”兵士をなぜクビにしたのか 本人は女性兵士として再入隊を希望

韓国軍は“性転換”兵士をなぜクビにしたのか 本人は女性兵士として再入隊を希望

韓国軍は“性転換”兵士をなぜクビにしたのか(韓国陸軍公式サイトより)

■“実名顔出し”を決意した兵士


「私は小さい頃から、この国と国民を守る軍人になることが夢でした」

 記者会見で涙ながらにこう訴えたのは、韓国陸軍に所属していたピョン・ヒス元下士。”下士”は韓国軍の階級の1つで、下士官の最下位を指す。

 韓国陸軍は今年1月22日の審査委員会で、ピョン元下士を除隊とする決定を下した。理由は、ピョン元下士が男性から女性への性別適合(性転換)手術を受けたためだ。この決定を受けてピョン元下士は同日、実名を明かして記者会見を開催。軍服姿でカメラの前に立ち、服務を続けたいとの意思を強く訴えた。

 かつては、儒教に由来する厳格な性モラルで知られた韓国。また全ての男性に課される徴兵制度を通じて、軍隊式の男性社会的な価値観も根強く定着している。だが一方でこの数十年の急速な近代化、欧米化を経て、人々の意識も大きく変わってきた。ピョン元下士の切実な訴えに対し、韓国メディアもおおむね客観的または同情的なスタンスだ。


■休暇を利用してタイで手術


 本人の会見及び現地報道によると、ピョン元下士は幼い頃から“ジェンダーディスフォリア(性別違和=性別に対する違和感)”を自覚し、抑えつけようと努めてきた。そのためあえて“男性的な”サバイバルゲームを趣味とし、竹島問題や北朝鮮問題など国防に関する活動にも参加したという。

 そうしたなかで母国に献身する軍人になりたいという愛国心が育まれ、下士官を目指す専門系の高校へ進学。下士官学校を経て2017年3月に入隊し、戦車操縦士として服務していた。2019年度初めには所属大隊の下士として唯一、戦車操縦で“A”の成績を受けている。

 ピョン元下士には男性兵士との寄宿舎生活も苦痛だったが、「国家に献身したい」との一念で乗り越えたという。だがうつ症状が次第に悪化し、2019年6月から国軍首都病院で心理カウンセリングとホルモン治療を開始。そして同年11月に休暇を利用してタイに渡り、性別適合手術を受けた。現役兵士がこの手術を受けるのは、韓国軍創設以来初めてだという。ピョン元下士は手術の翌月、戸籍に相当する“家族関係登録簿”に記載された性別の変更を裁判所に申請しており、現在その結果を待っている状態だ。


■海外の反応を逐一伝えた韓国メディア


 韓国軍がピョン元下士を除隊としたのは、性別の変更そのものが理由ではない。軍は手術の報告を受けてピョン元下士を検査し、ペニスと睾丸の喪失を除隊理由となる“心身障害”と判定。審査委員会での判断を経て、除隊の決定を下した。「故意に心身障害をもたらした」ことも、厳しく審査されたようだ。

 審査に先立って民間団体の韓国軍人権センターは、「性的自己決定権の侵害」として、人権問題を扱う国家機関・国家人権委員会に緊急救済を申請。同委員会は陸軍参謀総長に意思決定を3カ月延ばすよう勧告したが、聞き入れられなかった。

 韓国ではこうした韓国軍の姿勢を、複数のメディアが批判的に報道。また多くのメディアが、海外での報道を詳しく紹介している。

 欧米の主要メディアは性に保守的な韓国で初めてトランスジェンダーの兵士が登場したこと、そして軍隊から追い出されたことに関心を寄せた。例えばBBCは韓国で性的少数者が置かれた状況について、こう説明している。「韓国でLGBTはしばしば障害か精神疾患、また保守的かつ有力な教会によって罪だと見なされ、差別を禁じる法律もない」(2020年1月22日付)。またニューヨーク・タイムズも「(ピョン元下士の事例は)韓国の保守的な社会、とりわけ軍隊において、同性愛者やトランスジェンダーが直面する不寛容な扱いを照らし出した」「支援の高まりにもかかわらず、韓国社会はLGBTに対して偏見を抱いている」(同)と伝えた。韓国メディアはこうした記事を繰り返し引用し、読者の問題意識にアピールしている。


■同性間の性行為を裁く韓国軍


 BBCによるとイギリスほか多くの西ヨーロッパ諸国、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、イスラエル、ボリビアなどで、トランスジェンダーの兵士が公に軍務に就くことができるという。アメリカではオバマ政権下で同様の措置が図られたが、トランプ政権は例によってこれを覆した。

 一方、韓国軍はかねてから同性愛に対して差別的だとの批判が根強い。特に悪名高いのは、軍の刑法にある“醜行罪”。これは同性間の性行為を犯罪として処罰する規定だ。憲法違反だとして過去にたびたび提訴されたが、憲法裁判所はそのつど合憲の判断を下した。2017年4月には陸軍参謀総長によって同性間の性交渉が疑われる兵士の洗い出しが行われ、40〜50人の兵士が特定されたという。

 その一方で軍の内部には、ピョン元下士の決断を支持する者も少なくないと伝えられている。ピョン元下士は会見で「(所属部隊にカミングアウトして手術の意思を伝えると)軍服務不適合審議が行われる可能性もありましたが、私の決定を支持して応援してくれました」と語り、部隊長や僚友らに感謝の言葉を述べた。部隊は手術を受けるための海外渡航を公式に許可し、手術後の服務についても前向きに話し合ったとのことだ。


■“最後まで挑戦する”


 もちろん批判的な声もある。保守系の有力紙「朝鮮日報」は「休暇を取った戦車操縦士、女になって戻ってきた」との見出しで、「現役兵士の間では『休暇中に性別を変えてくるとは、どれほど軍紀が乱れているのか』といった反応も多い」と語る陸軍関係者の話を伝えた(2020年1月17日付)。また例によってネットでは、悪意あるコメントも多数見られる。そんななか「女性兵士が迷惑がっている」という話も流布されたが、「ソウル新聞」は複数の女性兵士の声として「問題ない」との反応を伝えた(同年1月20日付)。

 ピョン元下士は現在、除隊の決定を不服として軍に“人事訴願”を提起している。受け入れられなければ、行政訴訟を起こす方針だ。それでもだめなら、女性兵士として再入隊するという。韓国軍はトランスジェンダーの入隊を認めていないが、本人は「最高裁判決が出るまで、最後まで挑戦する」と述べている。

 今年1月30日には、同じく男性から女性への性別適合手術を受けた受験生が女子大学に合格し、入学を控えていることも報じられた。この受験生は昨年8月にやはりタイで手術を受け、同年10月に裁判所で性別の変更が認められたという。受験生は匿名でメディアの取材を受け、「ピョン下士の努力がむだにならないことを願う」と話した。

 かつて性に保守的といわれた韓国に、波紋を呼んでいるピョン元下士の除隊問題。変化し続けているこの国がどんな選択をするのか、見守っていきたい。

高月靖(ノンフィクション・ライター)

週刊新潮WEB取材班編集

2020年2月11日 掲載

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