悲壮な肉弾戦で惨敗、「ノモンハン事件」の教訓とは 日本を破滅に導いた国境紛争、連続した世界を生きている私たち

(佐藤 けんいち:著述家・経営コンサルタント、ケン・マネジメント代表)

 今年2019年は、「ノモンハン事件」から80年にあたる。

「ノモンハン事件」は、1939(昭和14)年5月11日に始まり、同年の9月16日に停戦交渉が成立し終結した、国境線をめぐる日ソ間の軍事衝突である。国境付近の大草原を舞台にした3次にわたる激戦で、双方ともに1万人の戦死者、2万人以上の負傷者を出している。「事件」というよりも、実質的に「戦争」であった。

「昭和」がすでに遠い時代となりつつある現在だが、ノモンハン事件は、依然としてネガティブな意味合いで使用されている。ロングセラー『失敗の本質』(野中郁次郎他)でも失敗事例として冒頭に取り上げられているくらいだ。

 ノモンハン事件は、その2年後に開戦した太平洋戦争につながるものであり、最終的に日本を破滅に導いた出発点にあるという認識が、日本では一般的に共有されているといってよいだろう。そして、当事者の「関東軍」は、中央の統制がきかない、暴走する出先機関の代名詞として、現在でも使用されている。

 村上春樹の長編『ねじまき鳥クロニクル』には、なぜかノモンハン事件が登場するのだが、一方では司馬遼太郎のようにノモンハンを書けなかった作家もいる。司馬遼太郎は、ノモンハン事件を題材にした小説の執筆を考えていたが、取材を続ければ続けるほど書くのがいやになってしまい、最終的に断念したという。この事実は、比較的よく知られていることだろう。

 だが、ノモンハン事件を全面的に取り上げた作品は、他にもある。代表的なものは、五味川純平の原作による日本映画の大作『戦争と人間 第三部「完結編」』(1973年)であろう。この映画は、ノモンハン事件での日本の惨敗のシーンで終わっている。左翼全盛時代の作品だが、視聴していてため息をつかないわけにはいかない。国家と民族の命運がかかっていた日露戦争とは性格をまったく異にする戦争であったからだ。

 末尾に「9」のつく年は災難が起こると言われることが多いが、1939年の日本にとっても、それが当てはまっていたのかもしれない。今回は、80年前のノモンハン事件を取り上げて、現在にもなお日本に存在する問題について考えてみたい。ノモンハン事件は、現代に生きる日本人にとっても、いまだ教訓に充ち満ちた教材である。

朝鮮戦争との類似点

 ノモンハン事件は、日ソ間の軍事衝突ではあるが、そもそもはモンゴル人民共和国と満洲国の間で発生した国境紛争から始まっている。

 1939年に入ってから、たびたび国境をめぐって小競り合いが起こっていたのだが、満洲国の防衛にあたる関東軍が「国境侵犯」だと見なし、ついに堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。ところが、軍事衝突の原因となったノモンハンがどこにあるのか、軍関係者は誰も知らなかったという。現在でも、状況はそれほど変わらないだろう。高校の「地理」で使用する地図帳にノモンハンの地名が記載されているのは、そこがノモンハン事件の発端になったからであるに過ぎない。

「ノモンハン事件」は日本での呼び名であるが、交戦国のソ連(=ロシア)とモンゴルでは「ハルヒンゴール(=ハルハ河)戦争」と呼ばれている。ハルハ河が国境線だと主張する満洲国(および日本)と、国境線はハルハ河の右岸まで含まれるとしたモンゴル(およびソ連)との認識の違いが生み出し、ハルハ河の左右両岸で戦闘が行われたからだ。

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