【コラム】タイ人に愛された日本兵:第5回〜悲劇に終わったメナムの残照の現実:前編(全7回)

【コラム】タイ人に愛された日本兵:第5回〜悲劇に終わったメナムの残照の現実:前編(全7回)

博物館に展示されていた日本兵と首長カレン族の様子

 今年も終戦の日が近づいてきた。毎年この時期になるとタイ北部ミャンマーとの国境に接するメーホンソン県のクンユアム警察署長だったチャーチャイ・チョムタワット氏のことを思い出す。氏は在任当時から日本兵がクンユアムに残していった遺物を村人から買い集め、それらを展示するために博物館を創設。そして、村人から聞いた物語やエピソードを書き遺した。それらの文物を後世の若い人たちに伝えることが自分の責務だと言っておられた。タイに住むライターとして、本コラムをチューチャイ氏に献呈したい。

 タイで人気の小説に「メナムの残照」というストーリーがある。戦時中の日本兵コボリとタイ人女性アンスマリンが時代と愛の葛藤を描いたもので、映画とテレビドラマで何度もリメイク放映されている。そして、クンユアムには小説ではない日本兵とタイ女性の現実があったことがチューチャイ氏の調査でわかった。この話は、タイでも大きな話題になりテレビ新聞などでも取り上げられた。

「第2次世界大戦でのクンユアムの人々と日本の兵隊さんの思い出」より

ドグブアトーンでの愛の物語 前編

 赤い糸で結ばれた二人だったのか、それとも運命のいたずらだったのだろうか。ゲオさんが行商をやっていた17歳のとき、クンユアムにいた一人の日本兵と出会った。名前をフクダといったがノンパコの日本軍基地にいた。第二次世界大戦のとき二人の愛の物語がはじまる。
 フクダは車や機械を整備する兵隊で、階級は上等兵だった。イヌイ基地司令の命令でフクダはタナカ部隊に配属となった。タナカ部隊は車や機械を整備する部隊でクンユアムにいた。
 タナカ部隊はワットポータランにあった。ゲオさんとタナカがはじめて出会ったのもワットポータランだった。ここでは市場が開かれていて、日本兵と村人が物を交換したり商売をしたりしていた。その日ゲオさんは父と弟と共に行商に来ていたが、ここは人がたくさん集まったので物もよく売れた。日本軍はお金を作っていたので景気は良かった。
 行商に来る多くの娘に、日本の若い兵隊は好意を持っていた。時々、女性の家を遊びに訪ねたりしていた。時間があれば朝から夕方まで、その家の仕事の手伝いをしたり料理を作ったりしていた。日本の若い兵隊はよくそうしていた。フクダの得意な料理はパパイヤの砂糖での煮付けだったが、作っては家族みんなに食べさせてくれた。こんなフクダに対してゲオさんは特別な感情を持つことはなかった。タイの女性は慎重だと言うこともあるが、フクダはなにより外国人であった。しかしフクダはあきらめなかった。タイではまず父母に気に入られなくてはならない。父のナイパンにフクダはいろんな物を持っていった。たとえばカーテン。これはフクダの上官がイギリス軍から奪い取ったものだった。そのほか生活に必要なものを持ってきた。ナイパンはフクダをかわいがるようになった。
 ぽたりぽたりと垂れる水滴もいつか巌も砕いてしまう。はじめのうちは言葉も通じない、また外国人ということもあって、好きではなかったゲオさんもフクダに好意を持ち始めてきていた。今、ゲオさんにとって国のちがいや仏教は問題ではなくなっていた。ゲオさんのもとには好意を持った何人かのクンユアムの青年が交際を求めてきていた。しかしゲオさんは日本の男性と付き合うことを決めた。タイの男性は昔、好きな女性に断られると仏門に入ってお坊さんになるという考えがあった。
 二人の愛は運命のいたずらだったのか。戦争が終わった後、勝ったイギリスはクンユアムの日本軍に帰国命令を出した。日本兵はバーウンからメーチェンを通って歩いていった。フクダも多くの兵と一緒に行った。フクダの気持ちはクンユアムから離れることはできなかった。このまま日本に帰ることはできない。フクダは日本にいる父母兄弟はもはや自分が死んでいるだろうと考えていた。フクダは戦友の二人とジャングルの中に逃げた。そして村人の仕事を手伝って生計を立てた。フクダたちが隠れてから数ヶ月がたった。フクダはゲオさんと駆け落ちしようと考えて実行した。友人のいるチェンマイに向かった10日目、まだ道のりの半分も来ていなかった。とても大変なことをしてしまったと思った。二人は村に引き返すことにした。

二人は家に戻った。そして父に詫びた。二人は本当に愛し合いお互いを必要としていた。ナイパンは二人に結婚式をしてあげた。タイ北部の結婚式では、父母や年寄りが二人の腕を結んであげるという習慣がある。朝、腕を結ばれた二人は寺でお坊さんに祈ってもらった。日本のやり方は何もなかった。ゲオさんの両親はフクダが国籍も取り、タイ人として生きていくことを望んだ。名前もサンペーとした。
 サンペーは一生懸命に働いたので結婚生活は幸せだった。田んぼ、畑の仕事や料理もすべてやった。サンペーの得意は機械などの修理だったが電気工事もできた。また戦争で残されたものを利用していろいろと作った。たとえば鉄板でバケツを作ったり、電線でかごを作ったりした。車の修理も出来るし、拳銃も作れる。拳銃は一日で三個作ることができた。これは一丁100バーツで売れたが、ランパーンでは大変な人気になった。
 いろいろなことが出来るし人付き合いもうまかった。村人はサンペーのことが好きだった。郡は機械修理や電気工事、鉄や金属加工などの仕事をサンペーに頼んだ。最後の仕事は郡がユアン川からの発電設備を作る仕事で、これは始まりから完成間じかまでやった。

第6回「悲劇に終わったメナムの残照の現実:後編」へつづく

本コラムは、故チューチャイ・チョムタワット氏の遺志を後世に伝えるべく書かせてもらっており、過去や現在の戦争行為を賛美したり美化するものではないことを明記させていただく。
【執筆:編集 そむちゃい吉田】

関連記事(外部サイト)