現地ルポ──虐殺、人身売買…世界で最も迫害されている「ロヒンギャ」民族浄化の実態

現地ルポ──虐殺、人身売買…世界で最も迫害されている「ロヒンギャ」民族浄化の実態

小高い丘をすべて覆い隠すように張られたテント。難民キャンプの環境は劣悪を極める。

2011年の民主化以降、相次ぐ海外資本の参入により目覚ましい経済発展を遂げているミャンマー。

ノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チー国家顧問の存在でも知られるかの国で、破滅的な残虐行為が行なわれている。

ジャーナリストの木村元彦氏が難民キャンプを訪れた。

■微笑みの国で行なわれる“合法的”な迫害

異臭がずっと鼻を突き、騒音が耳をつんざく。これが約53万人(10月上旬時点)が難民になるということなのか。あふれかえる人、人、人、人…。バングラデシュの南東の町、コックスバザールから車で1時間半、バルハリの難民キャンプに入った。

ミャンマー国境に近いこの地域に大量のロヒンギャ難民が逃れていた。バングラデシュ政府は人道的な措置としてボーダーを開放しての受け入れを続けていたが、GDP(国内総生産)から言えばアジア22位のこの国のキャパシティをもはや超えている。

小高い丘をすべて覆い隠すように張られたテントにさえ入りきれない老若男女たちが、うつろな目で地べたに座り込んでいる。周囲の土手は赤土で見るからに地盤が軟らかく、土砂が今にも崩れそうだ。「雨が降ったらどうなるのか」と思うそばから、ボツボツと重い水滴が落ちてきた。雨宿りすらできない難民たちは配られた傘をさしてウロウロと歩きまわって暖を取るしかない。伝染病のリスクと常に背中合わせだ。

これが国連が「世界で最も迫害されている民族」と認定したロヒンギャの現状だった。

ロヒンギャとは、ミャンマー南西部のラカイン州に居住するムスリムのことで、かつては国会議員にも選出されていたが、1962年に国軍による軍事クーデターが起こり、独裁軍政が敷かれたところから民族差別が始まった。

人道破綻(はたん)が頂点に達したのは82年に制定された「ビルマ市民権法」によってである。同法は「ミャンマーは135の民族が存在する多民族国家である」と謳(うた)う中でロヒンギャをその中に含めず、以降はバングラデシュから違法に移民してきたベンガル人、無国籍者と定義してしまったのである。この民族浄化にお墨付きを与えるような法律によってその存在自体を否定されたロヒンギャは、現在に至るまでまさに“合法的”に迫害され続けてきた。

現在はラカイン州の民族集住地帯からの移動を制限されて、公民権も剥奪されている。さらには軍や警察による武力攻撃にもさらされて約400万人と言われる総人口の内、これまでも約220万人が国外へ脱出しているが、さらにここ2ヵ月の間で約53万人が国を追われている。

今回の民族浄化は奇妙な符合に端を発する。ノーベル平和賞を受賞したミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問は、長年続いてきたロヒンギャ問題を解決するために元国連事務総長のコフィ・アナンを委員長に据えたラカイン問題諮問委員会を昨年設置しており、今年8月24日に同委員会が調査の結果、ふたつの答申を発表した。

ひとつは移動の自由がないラカイン州ムスリム(ロヒンギャのことである)に対してそれを認めること。もうひとつはラカイン州で三世代にわたって生活しているムスリムについてはミャンマー国籍を与えるというものであった。ロヒンギャを最も苦しめているふたつの問題の解決に向けて動き出した瞬間であった。

しかし、悲劇がすぐに襲ってきた。画期的な答申が出された直後の未明になぜかロヒンギャの武装組織ARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍)がミャンマー軍を急襲したのである。その結果、翌日の8月25日から鎮圧という名目で軍と警察はロヒンギャの集落に襲い掛かってきた。

■「ヘリコプターからミサイルを撃ち込まれた」

ロヒンギャがようやく救われると思われたふたつの答申は、戦闘によりあっという間に吹っ飛んだ。今、戦闘と記したが、ミャンマー国軍とゲリラに過ぎないARSAでは戦力差は圧倒的で、それはロヒンギャの民間人に対する攻撃となっていった。

モハマド・イリヤス(39歳)はマウンドー市のネンション村を9月3日に逃れ、7人の子供を連れてバングラデシュ国境まで5日かけてたどり着いた。雨漏りのするテントの中で、自宅が襲われたときのことをこう語った。

「いきなりヘリコプターからミサイルを撃ち込まれて、家の外に出たら兵隊が撃ってきた。目の前で13歳、8歳、7歳のいとこの女の子が殺された。怖くて必死に逃げてきた。ジャングルに入って2日間は何も食べられなかった。水は田んぼのものを飲んでしのいだ。ミャンマー政府はロヒンギャが勝手に家に火をつけて逃げたと言っているそうだけれど、誰がそんなことをしてまで不自由な思いをするものか」

心残りは逃げるときに周囲の家々から「助けて、助けて」という女性の声が聞こえてきたことだという。

「思えば兵士にレイプされていたのだろう。でも恐ろしくて近くに寄れなかった。このキャンプはバングラデシュの軍隊が守ってくれているから安全だけど、自分の望みは早くラカインに戻ること。ラカイン州の独立? そんなことは考えたこともない。ミャンマー人として認めてもらいたいだけだ」

こんな酷(ひど)い目に遭わせたミャンマーへの望郷の念を忘れない。「ARSAについて知っていることはないか?」とも聞いてみた。あの武装組織の暴発が政府軍に報復のきっかけを与えてしまった。そして今、国際テロ組織アルカイダがロヒンギャ問題に便乗するかたちでミャンマー政府に対する攻撃を宣言した。このことで被害者であるロヒンギャがまるでイスラム過激派の一味であるかのような印象を世界に与えつつある。イリヤスは大きくクビを振った。

「ARSAがどういう連中なのか、何も知らない。彼らが何をしようとしているのかもわからない」

困惑している。援助団体から食料はときおり届けられるが、生米なので調理しないと食べられない。テント内で火を使い続けたら煙に目と喉をやられてしまったと嘆く。

■難民キャンプでは人身売買や臓器売買も横行

翌日、国連WFP(世界食糧計画)の配給があるというので現場まで行ってみた。連なった人の波を300mはかき分けただろうか、先頭にたどり着くとトラックに積み込まれた麻袋が続々と降ろされて手渡されている。

ところが、その手前に両手をつなぎ合わせて群衆を押し留める人々がいた。検問である。「難民登録が済んでいない者、IDカードのない者は通せない」という。現実として空腹で倒れそうな明らかな難民がいる。にもかかわらず、あまりの数の多さに登録の作業が追いついていないのだ。それでもこのモラルの高さはなんだろう。誰ひとりとして検問集団に食ってかかる者がいない。皆、大声を上げることもなく秩序を守り、悲しそうな顔をしてすごすごと踵(きびす)を返していく。

人混みの中に目を凝らすと、それでも諦めきれずに途中で立ち尽くす3人の母親がいた。それぞれに乳飲み子を抱えている。

スカーフで顔を覆っているハミーダはこう話す。

「ヌアファラ村から8日前に逃げました。バルハリに着いたばかりでまだテントもなくて配給券ももらえていません。ここで誰かが助けてくれるのを待っています。私は夫を軍隊に殺されました。12歳の娘は目の前で兵士にレイプされて殺害されました」

腕に抱いた子はぐったりしている。

「この子は2歳ですが、病気で…」

見ると後頭部に盛り上がった発疹のようなものが付着している。

「医者がいないので診てもらうこともできません」

横にいたのはケンション村から逃れてきたセノハラ。

「10日前に家を燃やされて夫はそのときに殺されました。今、子供は3人。昨日から何も食べていない。今日もどうしていいのか分からない」

もうひとりはブディサラ市からの難民、ハシーナ。彼女もまた夫を惨殺されていた。

「突然やって来た警官にナイフでお腹とノドを切られたのです。私は怖くてそれを見ていることしかできなかった。彼らは夫を殺すと11歳の娘を連れて行った。娘とはそれきり会えていません」

ハシーナは6人の子供を連れて山に入り、10日かけてここまでたどり着いた。忌まわしい記憶が蘇(よみがえ)る度に顔をゆがめる。「親を亡くした幼い子たちが心配だ」と言う。

国連機構によれば、バングラデシュに逃れてきた難民の内、孤児になってしまった子供が約2万4000人いるという。雨の中、そんな子供にたくさん遭遇した。

素っ裸で泥にまみれていた幼児は首にIDカードをかけていた。見れば彼のお兄さんのカード。この子の兄を探して欲しいということなのであろうが、幼児はただ放置されているだけだ。

深刻なのは、人身売買ビジネスに携わるマフィアがこのように両親を亡くした子をさらってはインドのマフィア組織に売り飛ばすという犯行が横行し始めていることだった。

すでに日本国籍を取得し、日本人としてキャンプに支援のため入っていた元ロヒンギャ難民のアウンティンによると、「インドで摘発されたコンテナを開けたら、中には臓器を取られた子供の遺体がたくさんあった。皆、ロヒンギャの子供だった。その事件をきっかけにバングラデシュ政府はこのキャンプの警備を警察から軍に切り替えたのだ」。

実際に取材の最中に誘拐騒ぎがあった。12歳の少年を4人組の男が袋に押し込んで拉致しようとしたところ、少年が暴れたことで犯行が発覚したのである。バングラデシュ軍の兵士により、3人には逃げられたが、ひとりは確保、少年も保護された。キャンプの入り口にある軍の詰め所に駆けつけると、騒然とした雰囲気に包まれていた。

感極まって軍人に英語で謝意を述べる男がいた。

「ありがとうを言わせて欲しい。ミャンマーの軍隊は我々を殺すが、あなたたちは我々を救ってくれる。同じ軍隊なのにこの違いは何なのか。ありがとう、ありがとう」

確かにバングラデシュ軍は献身的に動き回っていた。キャンプの入り口はしっかりとガードして不穏な動きに目を光らせて外部からの難民との接触を安易にさせない。警戒しているのは、誘拐はもちろんのこと、もうひとつはアルカイダやイスラム国からのリクルーターである。貧困につけこむかたちで高額なドル紙幣を片手に「良い仕事があるから」との甘言でシリアに誘い、かの地でイスラム過激派の兵士にする。そんな現象が、ムスリムが多数派を占めるコソボやボスニアでも起きていた。そんなことは決してさせないという啓蒙がキャンプ各地でなされていた。

アウンティンもスピーチを繰り返した。

「テロが正しいとはコーランには書いていない。イスラム国に行くことが我々のジハードではない」

■「スー・チーには落胆している」

たった半日で凝縮した問題を一気に見せられたバルハリから車で移動して、山の中腹にあるクゥトパロンのキャンプに入ったときはさらに息を飲んだ。地平線の彼方にまで広がるテントの群れ。深刻なのは何万人と暮らす場所にほとんどトイレがないことであった。どこでも人の目がある。特に女性は夜になるまで用を足せずに苦しむ人が多かった。

雨が上がると、量的な調査として人々に一堂に集ってもらった。ARSAのアクションをどう思うのか、今、何を望むのか。回答はまさに、異口同音だった。

「ARSAがどういう組織なのか、何も知らないし、我々の意志は戦闘ではない。ラカインの独立など望まない。希望はただミャンマーに戻り、ミャンマー国民として生きていきたい」

途中でひとりの男が手を挙げた。ナクラ村出身のシャクタリと名乗った。

「『ロヒンギャは違法移民だから、ミャンマーの言葉も分からない』。我々はこんなデマで批判されている。だからこのインタビューはミャンマー語でやらせてくれ。我々はミャンマー人なのだから」

かつての首都ヤンゴンで右派の仏教徒が繰り出すヘイトスピーチに対する強烈なカウンターだった。最後に人々に向かって現在のアウン・サン・スー・チーに対してどう思うかと聞いた。

「私たちは彼女を信じてずっと応援をしてきた。しかし、今は落胆している」

人々は「彼女は我々の母でない。我々の母はシェイク・ハシナ(バングラデシュの女性首相)だ」と叫んだ。

スー・チーの求心力はすっかり失墜している。確かに最高顧問の立場にいながら民族浄化を止められないことへの批判は続けるべきであろう。批判を受けることで行動につなげる。それも政治家の使命なのだから。

一方で糾弾すべき本来の相手を見失ってはいけない。相手とはすなわち、スー・チーの権力の及ばない場所から実際に殺戮(さつりく)やレイプを繰り返しているミャンマー軍である。軍の暴走はむしろスー・チーを糾弾させて追い落とし、再び実権を握ることを目的にしているのではないかと思わせる節がある。

いずれにせよ、ロヒンギャの悲劇は今も続いている。すでに難民の数は60万人を超えたと聞く。世界はこの現状を知り一刻も早い救済を捧げなくてはならない。

(取材・文・撮影/木村元彦)

関連記事(外部サイト)