<上海だより>甘く懐かし‥ご当地定番「上海ボルシチ」とロシア移民の物語

<上海だより>甘く懐かし‥ご当地定番「上海ボルシチ」とロシア移民の物語

上海洋食の定番。トンカツに大きなきゅうり添えが中国らしい

 ハンバーグ、オムライス、ナポリタンなど、日本で洋食といえば様々な料理が思い浮かびます。ここ上海も、19世紀から国際都市として発展してきただけに、独特の洋食文化があります。その中でも、上海洋食の定番3品とされるのが、トンカツとポテトサラダ、そして上海ボルシチ「羅宋湯」です。日本でも、もはやハンバーグやカレーが外食メニューに限らず、家庭料理の定番になっているように、上海の家庭でもこれらの洋食は定番中の定番とされています。上海料理のレストランでによっては、上海料理として提供されるほどの定着具合です。

 日本でいう洋食屋のような古いレストランの幾つかは今も残っており、特に有名なのが淮海路の紅房子と南京西路の徳大、広元路のニュー・リチャード(かつてはバンド付近にありました)などです。この中でも最も家庭的な雰囲気の強いニュー・リチャードの定番はやはりあの3品です。チェック柄のテーブルクロスに並ぶ様が、なんとも「洋食屋」のテイストを醸し出しています。

 ボルシチといえば、テーブルビートを使用したものが正当な作り方とされていますが、上海ボルシチは日本の多くのボルシチと同様に、テーブルビートではなくトマトソースやケチャップを使用します。また、さすが甘党の上海、砂糖も使用し独特のふわっとした甘みが口の中に広がります。洋食屋でトンカツと一緒に食べる定番セットもいいですが、上海料理と一緒に食しても意外に相性が良いので驚きます。

 しかし、トンカツとポテトサラダは日本でも定番ですし、なんとなくイメージできますが、なぜ「ボルシチ」が定番3品の一つなのでしょうか。外国租界の影響が強い上海も、フランスやイギリス、アメリカ、そして日本の影響は大きいですが、ロシア租界というのはあまり聞いたことがありません。ただ、それにも関わらずボルシチが家庭料理にまで浸透した歴史的経緯が、もちろんあるのです。

 話は、1917年の十月革命にまで遡ります。この革命によって中国にもたらされたものは共産主義の思想だけではなく、多くの非共産主義勢力の移民たちもいました。「白系ロシア人」という言葉は日本にもありますが、この時の共産主義勢力=「赤」から逃れ、亡命したロシア人たちのことを指し、中国でも「白俄」(俄はロシアの略称)と呼ばれていました。この移民たちはヨーロッパへ流れたほか、シベリア大平原を超え、海を渡り、様々な地域に離散し、その一部はハルビンなど中国の東北3省、そして上海にも渡りついたのです。

 イギリスやフランス、アメリカが統治する当時の上海において、ロシア勢力は弱く、ロシアからの移民たちの生活は非常に苦難に満ちていたようです。そもそも、第一陣の難民たちの上陸から中国当局に拒否されており、交渉を重ねた結果なんとか約1200名の上陸を許されたのでした。それからもロシア移民は増え続け、1930年代には上海の租界全体で約2万人のロシア移民が住んでおり、白人系人種としては最も多い外国国籍の層となりました。

 特にロシア人が多かった地域は、前述の名店・紅房子のあるフランス租界のメインストリート・淮海路近辺だったとされ、かつては多くのロシア料理のレストランもあったそうです。また、ロシア人たちの多くは歌手など音楽家も多く、政治よりも文化的に上海に接していたところが、上海現地の生活にも馴染みやすかったのかもしれません。

 戦後に中国が共産主義へと転化し、上海の統治権も欧米列国から共産党へと移り、他国の外国人と同様にロシア人たちもこの地を離れることとなりました。そんな政治性を微塵も感じさせない甘い香りで、今も多くの上海人を虜にする赤い上海ボルシチは、これから先も懐かしい味としてずっと残り続けるのでしょう。