アメリカで沸き起こる「国歌論争」 NFLスター選手の起立拒否に賛否

NFLスター選手起立拒否に賛同も「黒人を虐げる国の国旗に敬意を払うことはできない」

記事まとめ

  • 米NFL49ersクオーターバックのコリン・キャパニックが試合前の国歌演奏で起立拒否した
  • アスリートが国歌に敬意を払わないことに、アメリカ国内では批判の声も少なくなかった
  • キャパニックは「有色人種を虐げる国の国旗に敬意を表することはできない」とした

アメリカで沸き起こる「国歌論争」 NFLスター選手の起立拒否に賛否

アメリカで沸き起こる「国歌論争」 NFLスター選手の起立拒否に賛否

[写真]8月26日の試合で米国国歌演奏時に起立しなかったNFL「49ers」のキャパニック選手(ロイター/アフロ)

 米プロフットボールリーグ(NFL)のサンフランシスコ「49ers(フォーティーナイナーズ)」に所属するクォーターバックのコリン・キャパニック選手は先月26日、試合前の国歌演奏で起立することを拒否。アスリートが国歌に敬意を払わないことに対し、アメリカ国内では批判の声も少なくなかった。しかし、キャパニック選手は起立しなかった理由について、黒人を含むマイノリティが不当な差別を受けている国の国歌や国旗に敬意を払うことはできないと明言。キャパニック選手の主張に賛同するアスリートやファンも増え始め、アメリカにおける「スポーツと国歌」をめぐる議論は現在も続いている。

「黒人や有色人種を虐げる国の国旗に敬意表せない」

 「事件」は先月26日に発生した。49ersはプレシーズンマッチでグリーンベイ・パッカーズと対戦。試合前に行われた国歌演奏の際には、選手やスタッフらも起立して国歌を聴くのが慣例となっているが、キャパニックはベンチに座ったまま立ち上がることはなかった。試合後に行われたインタビューの中で、キャパニックは国歌演奏時に立ち上がらなかった理由について言及。「黒人や有色人種を虐げる国の国旗に、私は敬意を表することはできない。私にとってはフットボール以上の問題だ」とコメントした。

 キャパニックが国歌演奏時に起立しなかったことに対し、ファンやメディアの間では評価が二分した。49ersは「試合前に行われる国歌演奏では、選手は起立することを奨励されているものの、決して強制されるものではない」と、選手個人の意思を尊重する姿勢を声明で発表している。キャパニックは9月1日に行われたプレシーズンマッチでも国歌演奏時に起立せず、その際にはチームメイトもキャパニックと共にベンチに座ることを選択した。アメリカでは近年、丸腰の黒人が白人の警察官に射殺される事件などが相次いで発生しており、根強く残る人種問題に憤るキャパニックに賛同するアスリートやファンも少なくない。

 クォーターバックとして2014年に49ersのスーパーボール進出に大きく貢献したキャパニックは、1987年にウィスコンシン州で、未婚の白人女性のもとに誕生した。キャパニックの母親は19歳で、黒人の父はキャパニックが誕生する前にすでに母親のもとを離れていた。生後間もなく、キャパニックは同じ州に住む白人家庭に養子として引き取られた。キャパニックが4歳の時に一家はカリフォルニア州に移り住むが、キャパニックは小学校に入学した頃から様々なスポーツを経験し、高校時代にはアメフトに加えて、野球とバスケットボールも掛け持ちでプレーし、3種目全てで州代表に選出されている。

 学業においても非の打ちどころがなく、高校時代の成績はオールAだった。高校時代はむしろ野球での活躍が評価され(ピッチャーだった)、幾つもの大学から誘いがあったものの、キャパニック自身は大学でフットボールを続けることを希望していた。野球ほど多くの大学から注目されていなかったものの、ネバダ大学リノ校がキャパニックの身体能力を評価。キャパニックはネバダ大学でフットボールを続けることになった。

 余談であるが、キャパニックは大学入学後の2009年にドラフトでMLBのシカゴ・カブスから指名されたが、フットボールに専念するためにカブスと契約することはなく、大学に残った。大学卒業後に49ersに入団。2014年にはクォーターバックとして、1994年以来となる49ersのスーパーボール進出に大きく貢献した。

過去にもアスリートが国歌演奏時に人種差別に抗議する事例

 キャパニックの行動に対し、「国への敬意が欠けている」と怒りを露にしたフットボール・ファンの一部は、SNSなどで連日にわたってキャパニック批判を展開。キャパニックの背番号と名前が入ったジャージを自宅の裏庭で燃やし、その様子を撮影してSNSにアップする者までいた。また、一部の保守系メディアはキャパニックが8月のチーム練習で警察官の格好をした豚がプリントされたソックスを履いていた写真を掲載し、警察官に対して敬意を欠いた行為として批判した。キャパニックは、「靴下の件は事実だが、それは一部の悪徳警官に対する抗議で、警察全体へのメッセージではない」という内容の声明をインスタグラムに投稿している。

 キャパニックのような社会的に影響力のあるアスリートが、社会に対する抗議として、国歌演奏時に起立しなかったというケースは今回が初めてではない。1968年にメキシコシティで開催されたオリンピックでは、陸上男子200メートルで金メダルを獲得したトミー・スミスと、銅メダルを獲得したジョン・カーロス(共にアメリカ人)が、アメリカ国歌が流れるメダル授与の際に、黒い手袋をつけて拳を高く掲げるパフォーマンスを行った。2人は公民権運動の支持者であり、アメリカ国内の人種差別に抗議する目的で国歌演奏中に拳を掲げるパフォーマンスを行ったのだ。バスケットボールのNBAでも、1990年代にデンバー・ナゲッツやサクラメント・キングスで活躍したマフムード・アブドゥル・ラウーフが、90年代前半に国歌演奏時の起立を拒否して物議を醸した。1991年にイスラム教に改宗したラウーフは、アメリカの国歌や国旗は抑圧の象徴だと主張した。

 キャパニック支持を公言するアスリートも増え始めている。米女子プロサッカーリーグ(NWSL)のシアトル・レインでプレーするミーガン・ラピノーは、アメリカ代表の主力としても活躍するスター選手だ。今月4日にシカゴで行われたリーグ戦の試合開始前、ラピノーは片膝をついた状態で国歌演奏を聴いた。キャパニックの行動に理解を示すラピノーは、米メディアに対し、「キャパニック選手に対する一部のファンの行動や憎悪には納得がいきませんし、この国にまだ残る人種問題について目を背けずに議論する必要があると思います」と語っている。シアトル・レインは7日に首都ワシントン近郊で試合を行ったが、ラピノーの抗議活動を懸念した主催者側は選手入場前に国歌演奏を終了させてしまった。

いまでも三番に残る差別的フレーズ 国歌はいつ誕生した?

 アメリカ合衆国の国歌『星条旗』がスポーツの試合前や外交イベントなどで演奏される様子は、テレビの中継などでもたびたび目にするが、公の場所では一番のみが演奏されている。

 実は『星条旗』の歌詞は四番まで存在し、米英戦争終結直前の1814年9月にメリーランド州出身の弁護士フランシス・スコット・キーによって作られた。『星条旗』が国歌として制定されるまでには1世紀以上の時間を要し、フーバー大統領時代の1931年に正式に国歌として定められた。それまでは正式に制定された国歌は存在しなかったが、ボストン在住の作家サミュエル・フランシス・スミスによって作られた愛国歌『マイ・カントリー、ティズ・オブ・ジー(My Country, 'Tis of Thee)』が、事実上の国歌として広く歌われた。 メロディはイギリス国歌と同じものが使われていた。また、1789年にドイツ系アメリカ人の音楽家フィリップ・ファイルが作曲し、1798年に後にペンシルバニア州選出の会員議員となるジョセフ・ホプキンソンが歌詞を付けた『コロンビア万歳!』も1931年まで事実上の国歌として演奏されており、これが初代アメリカ国歌であったとする見方も存在する。

 『星条旗』の一番では英軍による夜間砲撃を受けたメリーランド州のマクヘンリー砦で、アメリカ合衆国の国旗が破壊されずに高々と立つ様子が描かれているが、三番では奴隷についての描写もあり、以前から国歌としてふさわしくないのではないかという指摘も存在していた。三番には「金で寝返った者や奴隷に避難する 場所はない」という歌詞があり、これは米英戦争でイギリス軍側について戦った人々を指す。

 米英戦争では奴隷として働かされていた黒人が自由を求めてイギリス側についた例が多数報告されており、敗走するイギリス軍部隊が現在のジョージア州サバンナを艦船で離れた際には、イギリス軍と共に戦った約5000人の黒人奴隷も乗船を許された。黒人奴隷の約半数はカリブ海諸国で土地を与えられたが、残りの半数は新たな場所で奴隷としての生活を強いられた。『星条旗』の作者であるキーは奴隷制度の熱烈な支持者としても知られており、何人もの奴隷を使っていた記録が残っている。そのような歴史的背景もあり、『星条旗』に複雑な思いを抱くアメリカ人は、白人よりも黒人に多いのだ。

 警察官による発砲や射殺が相次ぐだけではなく、前述した歴史的背景もあってか、キャパニックの行動に対する評価は黒人と白人で大きく異なる。調査会社ユーガブの発表によると、キャパニックの行動を支持すると答えた人は、黒人の間では72パーセントにまで達したが、白人の間では23パーセントという結果だった。キャパニックの抗議活動はアメリカの人種問題を再びメディアが取り上げる機会となり、同時に国歌に対する思いが人種間で異なる現実を露呈した。

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■仲野博文(なかの・ひろふみ) ジャーナリスト。1975年生まれ。アメリカの大学院でジャーナリズムを学んでいた2001年に同時多発テロを経験し、卒業後そのまま現地で報道の仕事に就く。10年近い海外滞在経験を活かして、欧米を中心とする海外ニュースの取材や解説を行う。ウェブサイト(http://hirofuminakano.com/)