済州島にイエメン難民続々、反対派韓国人「ニセ難民」と批判

済州島にイエメン難民続々、反対派韓国人「ニセ難民」と批判

難民申請するイエメン人への抗議集会(6月30日、ソウル) AFP/AFLO

「東洋のハワイ」と謳われる韓国の済州島に、遠い中東からやってきたイエメン難民が殺到し、衝撃が走っている。韓国政府はイエメン人の本土への移動を制限するなどの措置を講じたが、動揺は収まらない。難民法の見直しを求める市民のネット署名は1か月で70万人を超え、更なる対応を求められている。文在寅政権のアキレス腱になりかねないこの騒動をノンフィクション作家の前川仁之氏が現地取材した。

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 済州島は成田空港から西に飛ぶことおよそ2時間半の海上に位置する。わらじ型に形の整った火山島で、沖縄本島のおよそ1.5倍。気候温暖で、海あり山あり高原ありのこの島は、内外から多くの観光客を集めている。

 遠くアラビア半島の南端に位置するイエメンの難民が、どうして済州島までやってきたのか、簡単にまとめておこう。済州島では2002年以来、観光促進のため諸外国からの旅行者に対し、30日間までノービザで滞在できる制度をとっている。そこへ持ってきて昨年12月、マレーシアのクアラルンプールと済州島をつなぐLCCの直行便が就航したのである。

 内戦状態のイエメンから、近隣諸国を経てマレーシアまで逃げて来ていた人々はそこでの滞在期限に追われ、今度は直行便に乗って済州島までやって来る。こんな具合にして今年の1月から5月までに560名以上のイエメン人が来島し、難民申請を出したのだった。事態に慌てた韓国政府は彼らが済州島以外の地域に行くのを禁じ、ノービザ滞在の対象国からイエメンを除外したのだった。

 いわば「インバウンド需要」を見こんで置いたはずの制度とルートを使って難民が入ってきた形になる。結果論だがさもありなんといったところで、行儀よく観光して爆買いに励んでくれる人ばかりやってくるなどと考えるのは都合の好すぎる話。この点、我が国も他人事ではなかろう。

 こうしてやってきたイエメン難民は、特別な施設にまとめて隔離されているわけでもなく、ふつうに町中で生活している。取材する立場からするとはたして相手が簡単に見つかるのか、少々不安になる。が、それは杞憂だった。

 済州島の中心都市、済州市の市庁舎前から海に通じる中央路を歩いていると、向こうから二人組の若者がやってくる。韓国人ではない。近づくにつれて「それらしき」感が増す。「アッサラーム・アライクム(平和はあなたがたのものに)」と、試しにアラビア語で挨拶してみる、と、笑顔で応じて立ち止まる。出身を問えばやはりイエメンだ。彼らと別れてさらに行くと、コンビニのテラス席で談笑している4人の、これまた「それらしき」若者がいる。スマホで音楽をかけたり煙草を吸ったりとくつろいでいるが、話しかけるとやっぱりイエメン人の難民申請者。やたらと出会う。

 しまいには、遠目に見る軽装の男性はみなイエメン人に思えてくる始末。

 そうして片言のアラビア語と英語を混用して聞き取り取材を重ねるこっちは、なんだか笑ってしまうのである。子供の頃に熱中したロールプレイング・ゲームを思い出して。最近のゲームタイトルをもじって言えば、「イエメンGO」といったところか。

◆「ニセ難民」と呼ばれて

 しかし「GO」と景気よく言ってみたところでイエメンにはなかなか行けない、帰れないのだ。同国では2015年来、フーシ派と呼ばれるシーア派の武装勢力と暫定政権との間で内戦が繰り広げられている。

 済州島で話を聞いたイエメン人は口をそろえてフーシ派を非難していた。フーシ派の支配地域では、若い男は戦士として徴用されるか、処刑も含めた弾圧をこうむるという。難民の多くを男性が占めるのにはこうした事情もある。

 そんな彼らが済州島に来るまで転々としてきた国々は、ジブチ、オマーン、エジプト、そしてマレーシア等、みなイスラム教国だ。そこから突如、「東方礼儀之国」にやってきた。宗教的な環境の違いに戸惑うことはないか尋ねると、「ここは無宗教の国で、すべての宗教が尊重されるから問題ありません」と言う。

「『君たちには君たちの宗教があり、私には私の宗教がある』というやつだね」 

 私がコーランの第109章最終行を暗誦すると、仲間ともども笑顔になって「そうですそうです。あなたもムスリムなんですか?」と喜んでいる(私は、たしなむ程度)。自分たちの宗教がこの新天地で大きな手かせ足かせになっている様子はなさそうだ。

 だが韓国人にとってはどうだろう。先行報道を見る限りでは、済州島内でも首都ソウルでも、イエメン人を「ニセ難民」と決めてかかる受け入れ反対派がかまびすしくデモを行っているようだ。

◆反対派VS支援者たち

 難民受け入れ反対運動を牽引する「済州難民対策道民連帯」の事務局長を務めるイ・ヒャン氏に話を聴いた。「道民連帯」の活動目標は、難民法の廃止もしくは改正にあるそうだ。

「民族主義や人種差別、ナチズムではありません。本当の難民なら受け入れるべきだと思います。ただ私たちの安全を考えずに、難民申請者に国民なみの法的地位を与える難民法と政府に怒っているだけですので、誤解しないでくださいね」

 つまり問題はあくまでも法の不備と政府の怠慢にあり、そこを責めているのだと強調する。

 ところがだ。色々話を聞いていると、結局は相手がイエメン人──イスラム教国の出身者だから嫌悪しているらしいことがうかがえる。「ある女性は、9歳の娘を見つめる2人のイエメン人男性に強い恐怖を感じたそうです。イエメンは早婚がふつうの国ですから」と被害報告らしきものの一例を出し、ムスリムのイメージを並べたてる。性犯罪、そしてテロと結びつけられているようだ。

 あげくは「女性や子供に対する人権もないような人々なのに、なぜ我々が人権を護ってやらなければならないのでしょうか」と言い放った。

「日本の難民対策は賢明ですよ。お金の支援はするが、受け入れはしないと。今回は韓国に、悪い見本を学びにきたと思ってください」

 ええ、確かに悪い見本を学びました、などという皮肉は呑みこんで別れ、今度は支援活動 を行うカトリック済州教区・移住司牧センターのキム・サンフン局長を訪ねた。同センターでは無料診療、住居提供、韓国語講習など様々な活動を行っている。

 キム氏の話を聞いていると、反対派とは難民観が根本的に違うことが分かる。例えば反対派のイ氏は、職を斡旋された難民申請者の多くがきつくて辞めてしまっている事実について「本当の難民ならどんな仕事でもやるはずです」と言っていたものだ。しかしキム氏は、一人一人の職歴や適性を考えず、単純作業や肉体労働のみを許可する就労制限の方を問題視する。

「反対派の人は、『難民に仕事が奪われる』とも言っていますが」と水を向けると、「話になりませんね」──ひと言で切って捨てる。

「韓国人が言っているのですか? たとえば、フィリピン人が言うなら理解できますが。現在、済州島には2万人の外国人がいます。彼らは韓国人がやらない仕事をやっているのですよ」

 その後、漁業に従事する難民を取材しにハンリムという港町にまで足を伸ばした際、キム氏の言葉の意味を実感した。漁船で働く人のほとんどが、インドネシアなどの東南アジアから来た労働者なのだ。そこに新たに数名のイエメン難民が入っただけで、この現実を見てなお「難民に職を奪われる」などという危機感を持てるとしたら、それは単なる被害妄想だろう。

 我が国でも、業種によってはこんな光景はすでに珍しいものでもなくなっている。今後、生産年齢層の減少を移民で補うとすればますます増えるに違いない。

◆四・三事件の記憶

 もう少し、迎える側の気持ちを探ってみよう。済州市の市庁舎から徒歩10分ほどの距離にある観光ホテルのキム・ウジュン社長は、熱心な難民支援者の一人だ。部屋を安価で提供し、自炊用に地下の食堂を開放したこのホテルには多くのイエメン人が集まっている。キム社長は「困った時はお互い様」を地で行く男だ。

「彼らが韓国にいる間は生活できるようにすべきです。韓国だって、植民地時代には満州に逃げた人もいるし、済州島の場合、四・三事件(韓国独立間もない1948年4月3日に勃発した、未曽有の大弾圧事件。万単位の島民が殺された)の時に日本に逃げた人が大勢いました。それと同じで、政治的な混乱から生きのびるために来た人たちなんですから」

 幾多の動乱を経験したこの国では、いわば手に届くところに避難の、離散の、流浪の記憶がごろごろしている。キム社長はそこから他者を迎える際の知恵をくみとっているようで、頼もしい。

 そんなキム社長のホテルの食堂では毎晩、ボランティアの講師による韓国語の夜学が行われている。私が見学した時は約30名が学んでおり、熱気に圧倒された。講師は英語と韓国語で進める。英語が少し分かるイエメン人が、近くの席の仲間に「また教え」するという形だ。

 途中からは私も、ボランティアのヘルプについて、教える真似事を始めた。ハングルの綴り練習とアラビア語のメモでノートを真っ黒にし、「彼ハ、頭、アリマセン!」などと隣の仲間を例文のネタにして笑う姿を見ていると、単純に彼らとの交流を楽しみたくなってくる。講義の後は雑談だ。せっかく知り合ったのだから、内戦以外のイエメンの話も聞きたい。例えば私は、仏詩人ランボーが足跡を残した港町・アデンに憧れている。

「済州島は火山島で、アデンは火山の跡にできた町だそうですが、似てますか?」

「いや、それよりスクトゥラ(ソコトラ)島だね。イエメンにもこういう大きな島があるんだ」と、若者の表情が得意げに輝き、そこからお国自慢が盛り上がる。

「イエメンで一番古い町は7000歳にもなるんだよ」

「ピラミッドより古いんだぜ!」と別の青年が口をはさむ。母国への想いに胸を揺さぶられる。

「日本はすごいと思います。ヒロシマや戦争の惨禍を乗り越えて、世界を動かす価値を生み出す国になったのだから」

 英語の達者な青年が言った。私は、願いで応じる。

「次はイエメンがそうなる番です。いまの混乱からいつかきっと復興して、生まれ変わるのでしょう?」

「そのとおりです! 僕らがそれを実現しなければ」

 そう答える彼の瞳には真率な野心が灯っていた。

【PROFILE】まえかわ・さねゆき/ノンフィクション作家。1982年大阪生まれの埼玉育ち。東京大学教養学部(理科I類)中退。立教大学異文化コミュニケーション学科卒。著書に『韓国「反日街道」をゆく 自転車紀行1500キロ』。韓国語、アラビア語をともにたしなむ。

※SAPIO 2018年9・10月号

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