風刺画で物議を醸した豪紙と「ポリコレ棒」について考察

風刺画で物議を醸した豪紙と「ポリコレ棒」について考察

ヘラルド・サン紙には抗議が殺到した(写真:AFP/AFLO)

 快挙の裏で起こった論争。このご時世、「炎上」を避けるに越したことはないかもしれないが、大人として覚悟と気概を見せるべき時もあるだろう。コラムニストの石原壮一郎氏が考察した。

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 にわかに「大坂なおみブーム」が巻き起こっています。先日ニューヨークで行なわれたテニスの全米オープン女子シングルス決勝で、大坂なおみ(日清食品)選手が絶対的女王のセリーナ・ウィリアムズ選手を破って、見事に優勝しました。

 この試合で話題になったのが、セリーナ選手の暴れっぷり。ラケットをコートに叩きつけて壊したり、審判に執拗に抗議して1ゲームを剥奪されたりなど、劣勢になったイラ立ちを思いっ切り炸裂させました。大半がセリーナ選手を応援していた観客席からは、審判への激しいブーイングが巻き起こります。

 試合後は観客に向かってブーイングをやめるように呼びかけるなど、さすがに女王の貫録を見せたセリーナ選手でしたが、試合中の振る舞いについては、たしかに批判を受けても仕方がなかったと言えるでしょう。10日にオーストラリアの大衆紙「ヘラルド・サン」は、風刺画家のマーク・ナイト氏がセリーナ選手を描いた風刺画を掲載。彼女らしき人物が派手に地団太を踏み、足元には壊れたラケットとおしゃぶりが転がっていて、後方では審判が対戦相手に「彼女に勝たせてやってくれないか」と話しています。

 彼女の激しい抗議から感じられた子どもっぽさ、そして審判のウンザリした本音を表現している、なかなかよくできた風刺画と言えるでしょう。ところが、この風刺画に対して、世界中から「人種差別だ!」「男女差別だ!」という批判が寄せられます。「ハリー・ポッター」シリーズの作者J・K・ローリング氏も「よくも世界でもっとも偉大な女子選手を人種差別と性差別で表現してくれた」とツイートしました。

 風刺画はセリーナ選手の振る舞いを揶揄してはいますが、どこが人種差別でどこが男女差別なのか、さっぱりわかりません。わからないと言うと、差別を反射的に糾弾することが正しいと信じてやまないシンプルなタイプの人たちは、「お前の目は節穴だけど、賢い自分たちはすぐにピンと来た」みたいな言い方をなさいます。

 いや、どういう部分を問題視して「差別だ」とおっしゃっているのか、わかっていないわけではありません。その上で、そこが差別だと騒ぐ意味がわからない、そこが差別だと騒いで世の中がどうよくなるのかがわからない、という話をしています。しかし、そういう人たちは、自分のほうが表面しか見ていないかもしれないとは夢にも思いません。

 批判を受けたヘラルド・サン紙の態度は、アッパレで痛快でした。編集長のデーモン・ジョンストン氏は、風刺画は人種差別でも性差別でもなく「テニス界の伝説のみっともない真似を、正しくあざ笑った……全員がマークを全面的にサポートする」とツイートします。そして翌11日の紙面の一面トップに、問題の風刺画を含めて、いかにも物議を醸しそうなイラストをズラリと並べました。じつに明確な挑発です。

 タイトルは「PCワールドへようこそ」。下には「勝手に検閲担当を自認する連中の言うとおりにしたら、ポリティカリー・コレクト(PC)な新しい社会はとても退屈なものになる」と書いています。「ポリティカリー・コレクト(コレクトネス)」とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、差別や偏見が含まれていないこと。

 もちろん差別や偏見をなくすことが大切なのは、言うまでもない大前提です。しかし日本でも、重箱の隅をつついた上で激しく曲解し、「男女差別だ! ケシカラン!」とかみつくことが大好きな人たちは少なくありません。そういうふうに、自己満足のために言いがかりをつける行為を指す「ポリコレ棒で叩く」という言葉もあります。

 世の中を良くするためではなく、自分の目先の快感のためにポリコレ棒を振り回している人たちのせいで、ネットが炎上してCMが放映中止に追い込まれたり、企業が謝罪文を出したりというケースもしばしば。モンスタークレーマーやモンスターペアレント、モンスターペイシェント(患者)も、同じ線上にいると言っていいでしょう。

 ヘラルド・サン紙の反論は、さらなる批判を招きます。もちろん、それは承知の上で大人の覚悟と気概を見せてくれました。批判だけでなく、同紙の姿勢を支持する人たちもたくさん現われます。批判をぶつけている「正義の味方」のみなさんは、ちょっとした娯楽として叩きやすいところを叩いているだけ。相手がひるまないと見れば、また別の標的を探しに行くでしょう。しょせんは、その程度の「正義感」です。

 日本の企業や組織に、はたして同じことができるでしょうか。いつの頃からか、どの会社も組織も「とにかく頭を下げておけばいい」と身を守ることしか考えず、理不尽な抗議や批判を「ご説ごもっとも」と認め続けてきました。その結果、何にでも噛みつく人がどんどん増え、誰もが噛みつかれることに怯えて安全策しか取らなくなるという悪循環が加速し、ジョンストン編集長が言うような「退屈な」社会が出来上がっています。

 大人の責任として、この状況になんとか一石を投じたいもの。同僚や部下と昼飯を食べに行くときには、「よし、この店にしよう。マズかったら責任は俺が取る!」と宣言しましょう。実際にマズかったとしても、激しく非難されたりはしません。小さいところからコツコツ始めれば、批判を恐れて安全策した取れなくなっている自分を変えられるはず。

 とまあ、いろいろ書きましたが、至らない部分も多いかと存じます。どんどん批判していただけたら幸いです(露骨な予防線を張ることで、批判する気を無くさせる作戦)。

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