レーガン、クリントン元大統領の命も守った医療チームの凄腕

レーガン、クリントン元大統領の命も守った医療チームの凄腕

エアフォース・ワンでは外科手術も可能 ZUMA Press/AFLO

 米大統領の健康を徹底管理し、万一の際にはあらゆる手段で大統領の命を救う。それが大統領専属医師団「WHMU(ホワイトハウス・メディカル・ユニット)」に与えられた使命だ。在米ジャーナリストの武末幸繁氏が、知られざるWHMUの実態を明かす。

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 WHMUは大統領と副大統領、およびその家族の健康管理を行い、病気やケガをした場合は手術を含めた最高レベルの治療を行う「スーパー・ドクター」集団だ。

 WHMUは、大統領の移動手段や食事、医療などを担当する「ホワイトハウス軍事局」の所属で、基本的な人員は、医師5名、看護師5名、医師アシスタント(PA)5名、救急医療隊員(衛生兵)3名、事務管理者3名とIT管理者1名の計22名で構成される。

 WHMUは大統領の移動に常に同行する。大統領専用機のエアフォース・ワンにはホワイトハウスと同等の医療設備が備えられ、上空での緊急手術にも対応可能だ。

 また、車での移動時にはドクター・カーを帯同。大統領が車から離れる際、医師は薬品と医療器具一式を詰めたバックパックを背負って大統領に付き添う。万が一の場合はその場での手術も辞さず、こうした体制は「モバイル・オペレーティング・スイート(移動型手術室)」と呼ばれている。

 大統領の移動時、本人と同じ型の輸血用血液が携行されることは広く知られているが、近年では放射性物質による攻撃やバイオテロを想定し、被曝治療のための薬剤や解毒剤なども携行しているという。

 また大統領が外遊や国内各都市を訪問する際、WHMUは訪問先や移動ルート上に高度な医療施設があるかを詳細に調査。あらかじめ選定した病院の医師と面会し、医療措置が必要になった場合の綿密なシミュレーションを行っている。

 1981年の「レーガン大統領狙撃事件」では、こうしたホワイトハウス・ドクターの活躍が大いに評価された。

 当時の大統領主治医は脳神経外科医のダニエル・A・ルーゲ氏。大統領は被弾し、銃弾は肺の奥深くで止まり内出血を起こしていた。

 一刻を争う容態を瞬時に把握したルーゲ氏は、直ちに最寄りのジョージ・ワシントン大学病院への搬送を指示。WHMU所属の外科医をはじめ最高レベルの医師の到着を待たず、大学病院の緊急救命チームに弾丸摘出手術を行わせた。この間、わずか数十分。WHMUが十分なシミュレーションを行っていたからこそ為せた技だ。

 大統領は瀕死の重傷を負いながらも12日後に完全復帰。臨機応変なルーゲ氏の判断は大いに賞賛された。

 しかし、後にルーゲ氏は「このとき、大統領権限委譲のための『第25条第3項』を議会に諮るべきだった」と回想している。

 米・合衆国憲法修正第25条には「権力の空白」を防ぐため、大統領が職務遂行不能に陥った際の対処法が定められている。WHMUにはその判断を議会に助言する極めて重い責任があるのだ。

 手術時、ロナルド・レーガン大統領は全身麻酔をかけられ、その後も集中治療室で治療を受けていた。一時的ではあるが、他者とのコミュニケーションがとれない状態だったのだ。いかなる理由があれ、大統領が職務遂行不能に陥る事態はWHMUにとって最も不名誉なことだ。

 1997年、ビル・クリントン大統領が大腿四頭筋腱の修復手術を受けた際、主治医のエレナー・マリアーノ氏が全身麻酔を避け脊髄麻酔を使ったのも、第25条の適用を避けるための苦肉の策だった。

 そしてこの手術では、マリアーノ氏を悩ませるもう一つの事態が起きた。

 クリントン大統領が、手術から4日後にヘルシンキで予定されていた露・エリツィン大統領との会談を強行すると言い出したのだ。通常であれば当然、安静を要するところだが、マリアーノ氏はぎりぎりのところで譲歩して認めざるを得なかったという。

 クリントン大統領は1998年にも血栓と動脈瘤の入院治療を拒み、主治医と専門医を困惑させた。結局この時は外来治療で合意したが、わがままを言うクリントン大統領には相当、手を焼いたようだ。

 マリアーノ氏は自著で、「大統領が無理を言い出したとき、どうアドバイスをするのかは難しい。裁判になるかもしれないといつも考えていた」と振り返る。

 米大統領に不測の事態が起これば、たちまち政治・経済が大混乱し、国際社会にも多大な影響を及ぼす。大統領の命を守るホワイトハウスの医師たちもまた、国家の命運を担う極めて重要な存在なのだ。

●たけすえ・ゆきしげ/1959年福岡県生まれ。雑誌編集者などを経て1988年渡米。2005年からフリーランスに。現在邦字紙「さくら」の編集長も務める。

※SAPIO2017年8月号

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