劉邦の生まれ故郷をめぐり中国の二つの県が論争

劉邦の生まれ故郷をめぐり中国の二つの県が論争

「漢の高祖」の故郷を巡って論争展開中

 司馬遼太郎の『項羽と劉邦』などの小説で知られる「漢(紀元前206年~220年)」の初代皇帝となった「漢の高祖」劉邦の生まれ故郷をめぐって、中国の江蘇省徐州市管轄下の行政都市である豊県と沛県が論争を展開していることが分かった。

 それぞれが「劉邦の生まれ故郷」を名乗って、劉邦の銅像やテーマパークなどを造って、観光客の誘致合戦を繰り広げている。中央政府などを巻き込んで熱いバトルが続いている。香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」が報じた。

 劉邦は紀元前195年6月1日に、当時の沛県豊邑中陽里で生まれたとされる。これは現在の江蘇省徐州市豊県だが、隣接する町が沛県で、この二つの県が両方の出生地をめぐって争っている。

 現在の行政区分でいえば、劉邦の生まれ故郷は豊県だが、実は1949年の中華人民共和国建国以前の行政区画では豊県は沛県の行政区分内に属していた。豊県となったのは1952年以降とされる。

 歴史的に劉邦は豊県で生まれ、長じてから、現在の警察官に当たる沛県の下級官吏(亭長)として働いており、両県とも劉邦にとっては切り離すことはできない重要な県であることは間違いない。

 しかも、かつて豊県はかつて豊邑(町)と呼ばれており、広域的には沛県も劉邦の生まれ故郷となっても不思議ではない。

 もともとの沛県は、秦朝による中国統一が達成後、当時の泗水郡の行政区分に属する小都市だった。さらに、沛県の豊邑があったのだが、52年以降、豊邑は県に昇格し、沛県と分離されてしまったのだ。

 このため、現在の沛県政府は沛県こそが高祖劉邦の出身地であると主張。劉邦が亭長を務めていた「泗水亭」のほか、歌風台、高祖原廟、射戟台などを観光名所として売り出したほか、漢代の沛県城を復元したテーマパークも建設しているほどだ。

 一方の豊県は「こちらこそ正真正銘の高祖劉邦の生まれ故郷」として、やはり沛県同様、両方の銅像や多くの名所旧跡を宣伝し、観光客を集めている。

 このような出身地争いについて、両県は北京にある漢代研究センターに出身地の認定を求めているが、「豊県は生まれ故郷であり、沛県も広い意味で出身地といえる。豊邑で生まれ、沛県でキャリアを積んで、皇帝にまで上り詰めた。劉邦の生涯にとっては、両県とも切っても切れない関係にあることから、両県で協力して、観光を盛り上げればよいのでは…」などと同紙にコメントを寄せている。

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