「民主政治が驚くほどの速さで後退している気がしています」―岐路を迎える香港の「高度な自治」

「民主政治が驚くほどの速さで後退している気がしています」―岐路を迎える香港の「高度な自治」

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 香港の民主派の頭上に、分厚い暗雲が垂れ込めている。

 2014年の民主化要求デモ「雨傘運動」をめぐり、香港の裁判所が今年4月、デモの発起人らに有罪判決を下した。世界が注目した市民運動の中心人物らの有罪が確定したことに加え、同時期には、逃亡犯の中国本土への犯罪人身柄引き渡しを可能にする条例改正案が政府から提出されるなど、中国の影響力拡大をうかがわせる動きが続いており、市民の間では、1国2制度に基づく「高度な自治」の後退を懸念する声が上がっている。

◆雨傘運動は「甘い」

 裁判所は4月、社会学者のチャン・キン・マン教授と法学者のベニー・タイ教授ら4人に対し、公衆妨害共謀の罪で最長禁錮16ヶ月の実刑判決を言い渡した。

 4人は、香港の行政長官選挙で、民主派の立候補者があらかじめ中国政府によって排除されているとして反発。民主的選挙を求め大規模なデモを提唱し、学生たちによる抗議活動と合流した。多数の市民が79日間にわたり香港中心部を占拠した抗議活動は、「雨傘運動」と呼ばれた。

 判決では、両教授が運動で主導的役割を果たし、公共の場を不当に占拠したと非難。雨傘運動が、普通選挙の導入を求めて「一夜にして政府から譲歩を引き出そうとするのは甘い(naive)」と切り捨て、「政府が前向きな姿勢を示せば、すぐに何万人もの人々が抗議を止めるという主張も甘い」と断じた。

 中国からの政治的圧力に抗おうとした人々に対し、香港司法が残酷な判決を下したことで、市民の間では改めて政府への不信が生まれている。

 雨傘運動に参加したステラ・ツイさんは、判決に対し「バカバカしい」と怒りをあらわにし、「人々は、政治改革に対する政府の後ろ向きな態度や、学生に対する警察の暴力的排除に抗議するために路上に繰り出しただけなのです」と語る。

 有罪判決は多くの香港人にとって予想がついていたものだったが、市民運動を鼻で笑ったような判決は人々の怒りを買った。

 ツイさんは「裁判所が言うように、雨傘運動の考えが甘いとしても、それは有罪の理由とは関係がないはずです。当局は、有罪判決を受けた人々が抗議活動を扇動したと主張していますが、抗議活動を起こすきっかけを作ったのは当局です」と語気を強める。

◆波紋を呼ぶ犯罪人引き渡し条例の改正案

 高まる中国への反発や香港政府への不信感にも関わらず、両者の接近は続いている。

 その一つが、犯罪人引き渡し条例の改正案についてだ。

 台湾で昨年、香港の男性がガールフレンドを殺害した事件が発生した。だが男性は逮捕前に香港に帰国し、台湾当局に起訴されることはなかった。香港政府との間で、身柄引き渡しに関する協定が結ばれていないため、引き渡しが行われなかったのだ。

 これをきっかけに香港政府は、犯罪人の引き渡しに関する条例を変えようとしている。現在香港は、20の国と引き渡し条例を結んでいるが、修正案ではそれ以外のあらゆる地域からの引き渡し要求があれば応えるとしている。

 ツイさんはこの修正案について、「有罪判決よりも大きな懸念を抱いている」という。

 案が可決されれば、ジャーナリストや弁護士だけでなく、一般の外国人ビジネスマンも、中国からの要求があれば身柄が渡されることになる。香港は外国企業が多数進出する世界屈指の金融街なだけに、香港のジャーナリスト協会が「もし施行されれば、香港における発言の自由に対する大打撃になる」と懸念を表明するなど、大きな波紋を呼んでいる。

 ツイさんは、「中国があなたに対して何かしらの罪を着せてしまえば、あなたは本土に連行され、裁判にかけられるしかなくなります」と強調。

 中国政府批判で知られる芸術家アイ・ウェイウェイがこれまで脱税や公然わいせつなど様々な容疑で当局に繰り返し拘束・軟禁されていることに例に挙げ、「中国の法体系は全く信じられません。彼らは、どんな罪なのか説明することなく人々を拘束し、拷問するのです」と不信感を表す。

「私は、香港の民主政治が驚くほどの速さで後退している気がしています」

◆人工島の造成計画、中国との高速鉄道の開通

 中国の影響力拡大は、政治だけではなく経済の分野でも続いている。

 香港政府は今年3月、ランタオ島の東の海域約1000ヘクタールに人工島を建設し、「東部ランタオ大都市圏(East Lantau Metropolis)」として整備する計画を発表した。着工は2025年、最初の移住は2032年に始まる予定で、完成すれば世界最大規模の人工島となる。

 政府は、急増する住宅需要を軽減し、中核的ビジネス地区を創造することが狙いと説明しており、建設費は約8兆8000億円に上る。土地の売却によって13兆4000億〜15兆8000億円の収入を得られ「コストは補填される」と強調するが、巨額の公金投入や環境への影響を懸念する声が高まっている。

 また市民や地元メディアは、このプロジェクトにも中国本土の影響が見られるとして警戒を強めている。

 というのも、今年2月に中国・深セン当局が、公式ウェブサイトの投稿の中で、ELMへの高速鉄道を開通させる計画を発表したからだ。

 中国政府は現在、広東や香港、マカオなどの都市を1つの巨大ベイエリアとする「粤港澳大湾区(Guangdong-Hong Kong-Macau Greater Bay Area)」の整備を進めているが、この2つの計画もその一環と見られている。これらは、まるで香港政府と中国政府が足並みを揃えるかのように同じタイミングで発表された。

◆広がる失望

 雨傘運動の終焉から、犯罪人引き渡し条例、人工島への高速鉄道開通ーー。香港の「高度な自治」の継続を願う人々にとって、これらのニュースは、権力がいかに強大で変化をもたらすのが難しいかを知らしめるものだ。

 だが活動家や市民グループにとって何より恐れるべき事態は、これまでの大規模な抗議活動をもってしても当局の態度が変わらなかったことによって、市民の間に政治への無関心や無力感が広がってしまうことだろう。

 雨傘運動で、路上の人々に食事を届ける組織を指揮していたレオ・タンさんは、運動以後の社会の空気の変化を確かに感じるという。

「雨傘運動の”失敗”と、メンバーの投獄によって、市民はひどく失望しています。彼らが政治に関心をなくしたわけではありませんが、何も希望を見出せていないような雰囲気です」

 雨傘運動後の2016年の議員選挙では民主派勢力の善戦も目立ったが、その後の就任宣誓で中国を侮辱したなどとして6人が議員資格を剥奪され、現在も親中派が議会の過半数を占めている。

 タンさんは語る。「現在の香港は、1997年の返還以来、最悪の政治状況に直面しています。中国政府は権力を中央集権化し、中国全土の宗教や少数民族などあらゆるものに不寛容で強権的な態度をとり続けています」

◆アジアの市民社会にとっての「ハブ」であり続けたい

 政治運動が息詰まりとなっていることは確かだろう。人々は今後どのような形で抗議運動を起こしていけばいいのだろうか。

 タンさんにとっては、大規模な抗議活動だけがその答えではないという。

「政治問題だけでなく、住宅供給に関する問題や労働問題など、社会問題も依然として重要です。政治システムを変えることができない今、私たちにできることは、それぞれが(身近な)社会問題の解決に取り組み、力を蓄積することです」

 香港や台湾などが1国2制度に基づいた自治を維持し続けられるか否かは、世界全体の民主主義の行く末に影響を与える重要な問題だ。

 タンさんは、「歴史を振り返ると、香港は東南アジア諸国にとって『比較的自由な』環境を享受し、社会運動の中心地となってきました。私たちは、これからもアジアの市民社会の『ハブ』であり続けたいと思っています」と力を込めて語った。

<取材・文/鷲見洋之 Twitter ID:@abc_fgh>

すみひろゆき●大阪外国語大学スウェーデン語科卒。大学在学中にカルチャーマガジン「Radio Tope」創刊。新聞社・ネットメディア記者を経て独立し、現在は「Forbes JAPAN」、「Timeout Tokyo」など国内外の社会問題から若者文化まで様々なテーマで取材している

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