沖縄の最前線にいた男が見た「香港200万人デモ」

沖縄の最前線にいた男が見た「香港200万人デモ」

沖縄の最前線にいた男が見た「香港200万人デモ」の画像

◆カメラを向けると、警官隊は睨みつけてきた

 僕が香港空港に着いた頃、すでに交通は麻痺しており、市民の包囲している立法会がある香港島までの交通手段は鉄道のみだった。

 混沌と不安の中を鉄道は香港駅に滑り込む。

 午後3時過ぎだったか、疲れ切った表情の黒ずくめの若者たちが香港駅構内に座り込んでいた。

 JAPANESE PRESSと手書きで書かれた僕の背中を見て、彼らが次々に親指を立てる。

 香港警察はすでに立法会のある金鐘、中環、香港駅と地下鉄で3駅分、市民たちを排除し押し返していた。警官隊の手に銃が見える。

 沖縄でいつもそうしているように、警官の表情をひとりひとり撮ろうとすると、ある警官は僕を睨みながら、その警棒で自らの脚のプロテクターをバシバシと叩いて威嚇した。いつでも殴りつけてやるぞ、という闇雲な暴力性を感じた。

 青い警官隊とさらに黒い警官隊がいて、そちらはさらに重武装していた、のちに大陸から来た軍人であるとの説が出るのがこの警官隊だ。

 一方の、市民たちはマスクとゴーグルだけはしているものの、たいていTシャツやショートパンツの軽装で、観覧車が見えることもあり、お台場にデートに来たカップルのようにさえ見えた。

 その無防備さが、この現状の悲劇性、異常性をより強いものにした。

◆中学生も参加していたデモ隊に放たれた「催涙弾」

 香港の国会にあたる、香港特別行政区立法会近くの坂の上から警官隊の催涙弾が放たれた。

 群衆がこちらへ向かい走り逃げ惑う。

 実にこの日撃たれた催涙弾は150発、水平射撃やゴム弾の顔面への射撃もおこなわれた。香港警察はそれらを放ちながらジリジリと市民を後退させた。その後退は同時に香港の民主主義の後退でもあった。

 市民たちはあきらかに若者が中心で、何人かの年齢を聞くと、15歳という。

 まだ中学生なのだ。

 あどけない少年少女たちが、民主主義のために催涙弾を避けて走り回っていた。「Hongkong police is crazy!」と叫びながら。

 逃げ惑う群衆に逆らい最前線に近づくと、僕も催涙ガスを浴びてしまった。煙っていない場所だったが、その威力は目にも見えないのだ。まず匂い、そして目、さらに喉。眼と鼻と口から、同時に激痛が走り、呼吸が困難になる。一瞬で人間をパニックに落とし入れる最悪なガスだ。

 嗚咽している僕に若者たちは駆け寄り、水を飲ませ、目薬をくれた。

 なんとも爽やかな青年たちだった。

 人権を守ること、それは人間ひとりひとりを大切にするかどうかであって、机上の空論ではなく些細な行動に現れる。

 辺野古ゲート前でもいつも感じることだ。

 そんな彼らを僕は一瞬で信頼した。

◆民主主義の最前線で感じた「大人たちの失敗」

 救護班が塩水でうがいさせてくれた。ちゃんとゴーグルとマスクをしようね。と僕に語りかける少女たちもまた15歳だった。

 警察が催涙弾を撃ちながら、徐々に近づいてくる。

「逃げよう」と少女は言った。

 今、東アジアの民主主義の最前線で中学生が走り回っている。この事実は、大人たちの失敗を強く印象付けた。

⇒催涙ガスを浴びた大袈裟太郎Twitter動画

 日が暮れると、会社帰りの者や作業着姿の者も多く合流し、市民側の数が圧倒的に膨れ上がった。

 膠着状態に入った。警察もこれ以上は手が出せないようだ。

 隣で建設中の高層ビルの足場に香港特有の竹が使われていた。元とび職としても驚いたが、市民たちはその資材を器用に使いバリケードを築き始めた。

 香港を象徴する摩天楼の圧倒的なきらめきのなかで、市民と香港警察は50mの距離を取り、対峙していた。

 美しさとやさしさと、時折混じる異様な暴力。映画よリも映画的な光景の中に、僕は放り出されてしまった。

 周囲では疲れ果てた黒づくめの若者たちが路上に寝転がり始めた。

◆「日本からありがとう」と市民たちは次々に言った

 僕を見つけると市民たちは次々に声をかけてきた。

「しっかり伝えてください!頑張ろう! 日本からありがとう!沖縄は海の美しいところですね! 世界にこの現状を伝えてください」

 民主主義を守りたい、人々の自由を守りたい。香港の未来を守りたい。彼らのまっすぐな瞳が僕に勇気をくれた。

「君たちは勇者だ。そしておれたちは東アジアの兄弟姉妹だ。君たちが確実にしあわせになれる世界をおれは約束する。僕らの運命はひとつだ」

 僕は彼らとがっちり握手を交わし、コンクリートの上に座り込んだ。

 その日は夜が明け近くまで、香港警察との対峙が続いた。70名以上の重軽傷者と11名の逮捕者を出し、のちにこの日は「香港の最も暗い日」と名付けられることとなる。

 香港行政府はこの日の市民の行動を暴動と認定したが、これは暴動ではなかったと、自分も市民たちと意を共にする。

 もちろんレンガでの投石などがあったとの目撃証言もあるが、商店への襲撃や略奪、車の炎上など、他の暴動にある過剰な騒乱は一切なかったのだ。

 権力に対してのみストレートに異を唱え向かっていく。そう、彼らは決して暴徒ではなかった。知的な集合体だったのだ。

 平和的な暴動として名高い、沖縄のあのコザ暴動よりもさらに平和的であったはずだ。

 香港の若者たちのこの驚くほど純粋な行動がのちの成果につながることを、この日はまだ誰も知る由もなかった。

短期集中連載:大袈裟太郎的香港最前線ルポ1

<取材・写真・文/ラッパー 大袈裟太郎(Twitter ID:@oogesatarou)>

大袈裟太郎●ラッパー、人力車夫として都内で活動していたが、2016年の高江の安倍昭恵騒動から、沖縄に移住し取材を続ける。オスプレイ墜落現場からの13時間ツイキャス配信や籠池家潜入レポートで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。新しいメディアを使い最前線から「フェイクニュース」の時代にあらがう。

レポートは「大袈裟通信アーカイブ」

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