200万人デモ前夜。初めての死者は本当に自殺だったのか?<大袈裟太郎的香港最前線ルポ4>

200万人デモ前夜。初めての死者は本当に自殺だったのか?<大袈裟太郎的香港最前線ルポ4>

市民デモのビラを配る女性は顔を隠さずこちらを真っ直ぐに見つめていた

◆2019.6.15デモ前日。誰もが頭に浮かべていた「3文字」

 朝、ホテルを出るとすでに脚が動かなくなっていた。

 地下鉄の駅まで歩くこともできず、TAXIを停める手すら挙げられない状態だった。

 香港のホテルに湯船がないことも原因のひとつかもしれない。予定を変えてフットマッサージ。30分施術してもらうと少しだけ歩けるようになった。

 明日何が起こるのか、誰にも読めない状態だった。

 外国人記者クラブのカフェで映像の編集作業などをしていた。

 とにかく明日が来る前に、今までの写真や動画を編集しておく必要があると焦っていた。

 記者たちも、さすがにその日は慌ただしく蠢めいていた。

 唯一、カフェの給仕の香港紳士だけがいつも以上にゆったりと落ち着き払って、小気味良いジョークを飛ばしていた。英国仕込みの間の利いたユーモアに僕の緊張感も少しだけやわらいだ。

 ここでの勤務も相当長いであろう彼は、きっと僕の気持ちなどすべてお見通しでそのようにふる舞っていたのだろう。

 天安門のあの夜も、彼はきっとここで珈琲を注いでいたのかもしれない。

 壁にかけられた天安門事件の写真がどうしても眼の端に入ってくる。

 そう「天安門」その3文字がこの数日、誰の頭にもずっと居座っていただろう。

 鉛のように重く、冷たく。

 もはや、逆にその「3文字」を誰も口に出せないほど、皆、意識していた。

 日本からのSNSで面識のない人間から「明日は天安門が云々」というようなリプライが来るのが正直、鬱陶しくてしょうがなかった。

 実弾の届かない遠い場所から、現場にいる人間に対してよくもまあそんな雑なことを言えたもんだ。

 リベラル層のこの無自覚な不遜さ、当事者性への無配慮って日本の政治参加が広がらない理由のひとつだろうと思う。

◆法案延期発表。それは吉報ではなかった

 この日からホテルを現場である立法会の徒歩圏に取り直した。

 明日、何があってもここ集えるようにだ。

 ホテルのロビーでLEEJと待ち合わせる。

「そういえば、あっちのビルの下にクッション敷いてて消防とかきてましたけど、なんか知ってます?」

「え?わかんない。火事でもあったのかな?」

とその時はまだ僕らは何も知らなかった。

 メキシコ訛りのスペイン語を使えるLEEJはスペインの通信社とやりとりして映像を提供していた。どうやら、香港のカメラマンたちが「仕事なんかしてる場合じゃない!」とデモに参加しているため、その手の需要が海外からあるそうだ。

 香港の報道はまだ、日本より機能している感じていたが、活き活きしすぎてこんな事態も発生していたのだ。

 今の日本では考えられない話で、またひとつ固定観念が心地良くぶち壊された。

 SNSに速報が入る。

 15時の会見で行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)が法案の延期を発表した。

 一瞬は吉報かと感じたが、「独裁者に勝った!」などと喜んでいるのは日本のエセ保守層だけだったように思う。

 法案延期で市民の熱を削ぐのは林鄭月娥の常套手段だそうで以前にも何度か似たようなことがあったそうだ。

 明日のデモに参加する市民の足を止めることが狙いなのは明らかだった。

◆ファイティングポーズを変えなかった市民たち

 即座に民主化運動の象徴的存在、周庭(アグネス・チョウ)がデモの予定に変更がないこと、あくまで法案の撤回を求めること、林鄭月娥の辞任を求めることなどの4項目をSNSで発表した。

 市民たちはファイティングポーズを一切変えなかった。

 立法会への回廊では今日も、市民たちが絶え間なく賛美歌を歌っていた。

 いつものAirDropに加え、明日のデモのビラを配っている女性がいた。

 撮影してもいいか尋ねると、彼女は顔を隠さなかった。

 まっすぐな瞳の奥に、静かに燃える覚悟を見た。

 明日のデモにどれだけの人が集うかが、これからの香港の分水嶺になる。

 ここにいる誰もがそう考えていることが伝わってきた。

 そこで沖縄からのもうひとりの友人、朝日と合流した。

 彼との出会いは昨年4月、苛烈を極めた辺野古ゲート前500人行動だった。

 骨折者も出した警察の排除をかいくぐり、若いウチナーンチュの青年がたったひとりで辺野古に来てシャッターを押している姿に驚いた。

◆沖縄と香港。その違いと共通点

 沖縄と香港、共通点ばかりあげてきたが唯一真逆なのは、年齢層だ。

 プロテスターの若者と高齢者の割合が真逆なのだ。

 そんななか、辺野古で若い彼の存在はとても目立っていた。

 話しかけると、もともとTwitterでつながっていたそうで、ハンドルネームを言われると、ああ!きみかあ!!という感じですぐに意気投合した。

 それから彼は県民投票の会で署名集めをし、デニーさんの知事選では青年局にいた。元山仁士郎のハンスト現場ではほとんど寝ずに仁士郎を支えていた。

 彼の足取りは、近年の沖縄の政治運動が座り込みだけではなく、若者たちにも活動の場を広げていく過程とリンクして見えた。

 頼んでいた煙草数箱を朝日から受け取った。

 香港の煙草は僕には合わなかったので、あらかじめ頼んでおいたのだ。

 緊張状態の異国の地で額に汗してシャッターを切る朝日の横顔に、「どこへいくオキナワンボーイ」というコザロックの名手、知念良吉さんの名曲が浮かんだ。

 折しもどこかの新聞が「沖縄と香港の政治状況はまったく違う」というような慌てた記事を出し、ネトウヨたちは「香港はまともな選挙が行われないが沖縄では行われている」と鬼の首をとったように騒いでいた。

 しかし、沖縄で行われた選挙の結果は果たして反映されていると言えるか?

 まして県民投票を阻害しようとしたのは日本政府の指示を受けた比例復活のゾンビ自民党議員だった。

 そしてその県民投票の結果も無視されているじゃないか。

 稲嶺進さんの名護市長選なんて人口6万人の市の選挙に首相官邸が何億もの金と人材をつぎ込んでねじ伏せたんだ。

 稲嶺さんの朝のジョギングにすら、内調が尾行していたんだよ。

 それが本当に民主主義の選挙と胸張って言えるのだろうか?

 やはり民主主義を破壊しようとしている点で、中国政府も日本政府も同質ではないか?

 さらに言えば、コリアンルーツで日本生まれ日本育ちのLEEJには、生まれてこの方、選挙権というものが与えられたことがない。

 僕らと同じく定められた税金を納めているのにだ。(いや、多分僕よりLEEJほうがたくさん税金を納めている気がする。)

◆三者三様のルーツが香港で民主主義を叫ぶ

 香港市民たちの歌う賛美歌のなか、沖縄で出会った僕らは再会に握手した。

 ルパンに次元、そこに五右衛門が合流したような心強さだった。

 明日のことは不安で仕方なかったが、とりあえず大丈夫だ。

 いや、大丈夫にしようぜ。そんな気分だった。

 その時は考えもしなかったが、僕らは三者三様、異なるルーツで、まして自分だけが加害側の属性だった。

 しかしながら僕らの存在や友情にルーツなど本質的に関係はない。

 激動の沖縄のあの熱い空気の中で出会った、それがすべてだ。

 多様性なんて言葉、はやく死語になればいい。

 もう東京の価値観なんてとっくに中心じゃない。

 人種も民族も飛び越え、東アジアは真新しい地平へ向かう。

 僕らの友情こそがそれを体現する。

 選挙権を与えられぬ在日コリアン、基地を押し付けられ選挙結果を無視されるウチナーンチュ、戦後74年間それを放置してきた日本人。

 僕らはこの香港、東アジアの土地で民主主義を求めて走りまわろう。

 跳ねよう。

 これからの東アジアの発展を担う沖縄からの使者として。……と言ったら大袈裟すぎるだろうか、汗

◆そして飛び込んできた「最悪のニュース」

 再会を確かめ合う僕らの元に最悪のニュースが飛び込んできた。

 ビルから落ちた抗議者が死んだ。

 今回の抗議活動で初めての死者だ。

 さっきのビルだ、、な、、、僕はLEEJと顔を見合わせた。

 「え、それって、、、」朝日が絶句している。

 朝日のカメラには死の直前のその抗議者の姿が映し出されていた。

 オキナワンボーイは香港に着いて、たった数時間で歴史的な瞬間をカメラに焼き付けてしまったのだった。

 情報が錯綜していた。

 現場は僕らのホテルから目と鼻の先の場所だった、その時間もかなり近くにいたのだ。

◆警察発表は「自殺」。しかしそれは本当なのか?

 あれから何度もその人の死の現場に通った。

 香港警察は自殺と発表したが、本当にそうだろうか?

 35歳男性。その人は僕と同世代だった。

 明日のデモのルートに、建設中のビルから法案撤回の垂れ幕をかけようとしていたのだ。

 そこに来た警察、消防ともみ合いになり地上に落ちた。

 時刻は林鄭月娥の延期会見の1時間後だった。

 明日のデモを誰よりも待ち望んでいただろう。

 まして、そこはビルの4階ほどの場所だ。

 これだけ高層ビルがひしめく香港で、わざわざ4階から自殺する者がいるだろうか?

 僕のSNSに香港市民からメッセージか寄せられた。

「香港人です。若者が柵を乗り越えて飛び降りようとした時、消防士が捕まろうとして服が脱けて、それで若者が転落したんです……。本当こんな政権のせいで……」

 さらに別のツイートには、柵にしがみつくその人の姿がはっきりと写っていた。

◆最後まで生きようとしていた姿

 その人は最後の瞬間まで生きようとしていた。

 生きようともがいていたはずだ。

 そんな彼の死を自殺と片付けることは僕にはとてもできない。

 香港の未来を変えようとした男が、このタイミングで死ぬはずがないんだ。

 あの「3文字」がまた頭をよぎる。深い深い先の見えない霧の中へ、いよいよ歩いていくような気分だった。しかし、街は不気味なほどに静かだった。

 すべては明日。明日決まる。今夜も立法会周辺にはピクニックの若者たちが集っていた。

「絶対、無理しない。熱くならない。危なくなったらすぐ逃げる」

 それが僕ら3人の合言葉だった。それはもちろん辺野古や高江で学んだことだ。

 ホテルに帰ると、ツインのはずがなぜか手違いでダブルベットだった。

 何でやねん!と嘆きながら朝日と男ふたり、ダブルベットで眠った。

 そんなこと気にならないぐらい、すぐに眠りに落ちた。

 疲れ果てていたんだ。

短期集中連載:大袈裟太郎的香港最前線ルポ4

<取材・写真・文/ラッパー 大袈裟太郎>

【大袈裟太郎】

(Twitter ID:@oogesatarou)

ラッパー、人力車夫として都内で活動していたが、2016年の高江の安倍昭恵騒動から、沖縄に移住し取材を続ける。オスプレイ墜落現場からの13時間ツイキャス配信や籠池家潜入レポートで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。新しいメディアを使い最前線から「フェイクニュース」の時代にあらがう。

レポートは「大袈裟太郎JOURNAL」

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