「Be water,my friend」香港U22世代のこれから<大袈裟太郎的香港最前線ルポ6>

「Be water,my friend」香港U22世代のこれから<大袈裟太郎的香港最前線ルポ6>

死者が出た場所で弔いの折り鶴を折る女子高生

◆雨傘運動のリーダーも釈放された6月17日

 6月16日、200万人デモからの座り込みというアイディアで香港市民は立法会を取り返した。

 翌日は占拠の範囲を立法会の敷地に絞ることで、交通を阻害することなくスマートに意思表示を続けた。

 そしてこの日、2014の雨傘運動のリーダー、当時17歳で逮捕されたジョシュア・ウォンが釈放された。偶然とは言え、抗議者たちをさらに勇気づけることとなった。香港行政府からすれば最悪のタイミングだっただろう。

 初めての死者が出た場所には、香港市民たちが途切れることなく訪れ、膨大な量の花束やメッセージを供え、弔った。

 制服の少女たちが壁で折り鶴を折る姿に胸を打たれた。

◆「Dead Line」ギリギリで

 さらには抗議者たちは昼間に突発的なデモを展開、占拠の範囲を立法会から隣の長官官邸まで広げた。深夜になってもそのオキュパイは続いた。

 隣は中国人民解放軍のビルだ。

 まさにこの落書きの通り「dead line」ぎりぎりの夜が続いていた。

 日本だったらタピオカ屋に並んでそうな若者たちが人民解放軍寸前のところまで占拠していた。しかもその姿はどこか楽しげに見えた。

 彼女たちに聞いてみた。

「まるでタピオカ屋にでも並ぶような軽さで、きみたちは座り込みしているように見える。日本ではタピ屋には並ぶがデモには来ない人がほとんどだ。きみたちは今、どんな気分でここに座っていますか?」

 まだ10代だという女性は、逆に不思議そうに答えてくれた。

「ここに座り込むのもタピ屋に並ぶのも、同じように大事なこと、それを分けて考える必要がない」

 こちらの価値観が歪んでいることに気付かされた瞬間だった。

 市民が政治に参加すること税金の使い方に口を出すこと、そんな当たり前のことが日本にいると共有されていないし、僕自体もそんな非民主主義的な偏見に毒されていたのかもしれない。

 タピ屋に並ぶ若者も、香港で人民解放軍の横に座る若者も、実は大して変わりはしない。違うのは、やはり大人たちだろう。

 若者たちに本当のことを伝えず、まやかしの屁理屈で搾取し続けるこの構造だ。

 日本の教育、メディア、社会の中にはあらかじめ、見えない催涙弾が仕込まれているように感じた。あらかじめ立ち上がれなくされた日本の人々、立ち上がって催涙弾を浴びる香港の人々。その実、希望があるのはどちらなのだろうか?

 そんなことを考えながら、僕は香港を後にした。

◆「オウンゴール」となった突入

 帰国後、香港はまた新たな局面を迎えていた。7月1日の香港返還22周年デモの日、一部の先鋭化した若者たちが立法会に突入し、議会内に落書きするなど数時間占拠した後、警察隊の突入勧告を受け撤退した。

 これが暴徒とされ、多数の逮捕者を出し、国際的にも法案撤回運動はイメージを下げる結果となった。

 僕は再び、香港に飛んだ。香港市民たちにその実情を聞いてみたかったからだ。

 多くの人々に話を聞き、立体的になったのは、「どうやら、あの突入は香港警察の罠だったのではないか?」という見立てだ。

 香港警察はわざと、一度引いて、抗議者たちを立法会へ突入させ、逮捕の口実を作ったように思う。

 12日の時点で11人だった逮捕者は、すでに60人以上、となっていた。14歳の中学生まで逮捕された。

 これによって抗議者たちによる逮捕者釈放要求は矛先を失ったのだ。議会のガラスを割って突入したものたちを不当逮捕と呼ぶのはさすがに無理があるからだ。香港警察にオウンゴールを誘われ、市民はまんまとハマってしまったのだ。

◆「思いつめざるを得ない」事情と22歳という分水嶺

 この件については抗議者の中でも賛否両輪あった。

「議会突入したものたちは若すぎた。判断能力がなかった」と22歳の学生は言った。28歳の社会人は「それほどの怒りがあるから正しいことだった」と言った。

 しかし、皆口を揃えて「ただ、彼らを悪く言うことはできない」と擁護するのが印象的だった。

 割り切れない混沌が香港を包んでいた。最初のひとり(僕自体は自殺ではないと認識)から数えすでに5人の自殺者が出ていた。

 香港警察が市民の分断。民意の分断を狙っているのは明らかだった。一部の思いつめた若者たちがその手に乗ってしまっているように感じられた。

 しかし、思いつめるのも無理もない状況があった。15歳の少年が語ってくれた。

「1997年、香港返還以前に生まれた者にはイギリスのパスポートがあるが、それ以降に生まれた者たちにはイギリスのパスポートがない。僕らには希望がない」

 22歳、この年齢がひとつの重要な分岐点になっていることがわかってきた。

 そして「2047」という数字が彼らに重くのしかかる。

 香港は1997年の返還から50年後の2047年に一国二制度が終わることが決まっている。

 28年後の「2047」この数字にリアリティを持つ世代かどうかも、今の香港に分断を生んでいるのだ。

 今の香港市民、とくに若い世代に、この「2047」と言う数字をどうにか押し返したいという思惑があるのもこの一連のデモの隠された背景なのだ。

 このあたりの部分になぜ日本のメディアは言及しないのだろうか?と不思議に思いながら、ぐちゃぐちゃに窓ガラスの割れた立法会を眺めた。

すでに抗議者たちの姿は、もうそこにはまったくなかった。

 撤回運動は衰退したのか? 一抹の不安を覚えながら7月7日の九龍デモに向かった。なぜ香港島ではなく九龍なのだろうという疑問もあった。

◆九龍での再会

 不安は杞憂に過ぎなかった。

 彼らが九龍をデモの場所として選択したのは、大陸からの中国人観光客にメッセージを伝えるためだった。デモの終点、西九龍駅は中国本土からの列車の終着駅である。そこが封鎖された意味はとても大きいものだった。

 そして、彼らは朗らかな笑顔にあふれていた。

 世代のバランスもより多様になっているように感じられた。それは若い世代を孤独にさせないという、上の世代からの強い意志のように感じられたのだ。

 勢いはまったく衰えていなかった。

 彼らは僕を見つけると口々に日本語で声をかけた。僕が応えるとその反響がまたうねりになって返ってきた。

 エンパワーメント、人々の勇気や言葉が共鳴し合い、それがさらなるチカラを解放する。存在を高めていく。

 そこには国境も人種も関係ない。僕は心底、彼らを尊敬し、誇りに思った。

※【動画】香港 #反送中 デモ行進からの頑張ってコールを浴びる大袈裟太郎

◆「be water, my friend」

 7月10日、林鄭月娥が「法案は死んだ」と発表した。

 それを言葉通り受け止めるかどうかは、議論を呼ぶところだが、香港市民たちはまだまだファイティングポーズをやめることはないだろう。

「be water, my friend」(友よ、水となれ)

 香港が生んだ世界的スター、ブルース・リーがかつて言った言葉が今、香港市民のなかで再び流行っている。

 水のように、柔軟に形を変えながら、縛られず自由に、時に穏やかに、時に激しく、彼らの行動は続いていくだろう。

 彼らの歩みが続くかぎり、僕もまた彼らとともに水になろう。

 この混沌の東アジアを生き抜く、僕らは兄弟姉妹なのだから。

<取材・写真・文/ラッパー 大袈裟太郎>

【大袈裟太郎】

(Twitter ID:@oogesatarou)

ラッパー、人力車夫として都内で活動していたが、2016年の高江の安倍昭恵騒動から、沖縄に移住し取材を続ける。オスプレイ墜落現場からの13時間ツイキャス配信や籠池家潜入レポートで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。新しいメディアを使い最前線から「フェイクニュース」の時代にあらがう。

レポートは「大袈裟太郎JOURNAL」

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