世界最大の埋蔵量を誇るベネズエラの石油を巡るロシアと米国の戦い

世界最大の埋蔵量を誇るベネズエラの石油を巡るロシアと米国の戦い

ベネズエラ石油公社(PDVSA) photo by The Photographer via Wikimedia Commons

◆ボリバル革命以降、ベネズエラの石油利権に食い込んだロシア

 世界で最大の原油埋蔵量を持つベネズエラので原油と天然ガスの開発において2004年頃までは米国とヨーロッパの企業で占められていた。

 ところが、2007年からチャベス前大統領の社会主義革命による事業の国営化への影響を受けて米国やヨーロッパの多くの企業は撤退し、その代わりにロシアや中国の進出を見るようになった。そのような中にあって、現在も操業を続けている米国企業がシェブロンである。一方のロシアを代表するのがロスネフチだ。

 トランプ政権のベネズエラ特使エリオット・エイブラムスがロシアの国営石油企業ロスネフチがベネズエラのマドゥロ政権を支えていることをフィナンシアル・タイムズ紙のインタビューの中で批判した。実際、ベネズエラ政権のナンバーツーのディオスダド・カベーリョもロスネフチの支援なくしてはマドゥロ政権は存続していくことはできなかったと告白している。(参照:「ALNAVIO」)

 実際、どのように支えていたのかと言うと、さまざまな方法があるが代表的なものは次のような例だ。ベネズエラで採油された原油はロスネフチを介してインドのナヤラ・エナージーに販売されているのである。ベネズエラの原油は米国の制裁下にあるためベネズエラから直接輸入できない事情をロスネフチがベネズエラの代行をしているというわけだ。この支払いもバーター貿易で現金での支払いではない。(参照:「ALNAVIO」)

 ロスネフチは今年7月にはベネズエラ石油公社(PDVSA)が採油する原油の40%を取得し、8月には66%にまで増やしている。そのようにしてマドゥロ政権のロシアへの負債を減額させてもいる。当初2017年に46億ドル(4970億円)の負債が、2018年9月には31億ドル(3350億円)に減額され、昨年末には23億ドル(2480億円)まで下がった。さらに今年第一四半期には18億ドル(1950億円)まで減少したことが明らかにされている。(参照:「VOA Noticias」)

◆危機感を抱くアメリカは牽制

 こうした状況に危機感を抱いているのはアメリカだ。

 トランプ政権のベネズエラ特使エリオット・エイブラムスは、前出のフィナンシアル・タイムズ紙のインタビューの中で、米国石油企業シェブロンとそれに関連した石油と天然ガスの掘削などの企業ハリーバートン、シュラムバーガー、ベイカーヒューズ、ウェザーフォードがロスネフチと一緒になってベネズエラでの石油と天然ガスの開発を分担すべきだと発言している。(参照:「ALNAVIO」)

◆ロスネフチ側は反発。そしてその狙いは?

 しかし、ロスネフチ側も黙っていない。地道に「マドゥロ政権」を支えてきた実績を持つロスネフチは「エイブラムスの(インタビューでの)発言は一貫性に欠くものだ」と批判し、「シェブロンの操業の延長は同社への投資家を保護するためのものでしかない」と指摘した。しかし、仮にシェブロンが撤退すれば、その跡をロスネフチが占有する意思があることの言及は避けている。その場合にロスネフチが先ず狙っているのはシェブロンが30%の株をもっているペトロピアールと呼ばれているプロジェクトでの採掘事業である。(参照:「Infobae」)

 ロスネフチはベネズエラの石油を支配するのが最終の狙いだ。昨年10月には米国はヒューストンにあるPDVSAの子会社CITGOを保護するためにPDVSA債の売買を禁止した時があった。現在CITGOはグアイドー暫定大統領の管理下にあるが、PDVSA債の償還が出来ない場合はCITGOが債権者の手に渡る可能性があったからである。勿論、その債権者とはCITGOの49%の株主ロスネフチである。

 また、米国のクリスタルルックスがチャベス政権時に国営化されたことで損害賠償を請求しているが、その対象にCITGOの債権の取得を請求したことがあった。その時にはロスネフチはCITGOが米国企業の手に渡ることを避けるために厳密は賠償請求額を審査することを法廷に要求したことがあった。(参照:「ALNAVIO」)

 中国もロシアと米国の狭間にあってベネズエラから原油を中国石油天然気が輸入してそれをベネズエラの中国への負債から相殺している。マドゥロ大統領は中国石油集団とのジョイントベンチャーを提案している。

 マドゥロは米国への依存はできるだけ少なくしてロシアと中国による原油の開発を進めて行くのが狙いである。

<文/白石和幸>

【白石和幸】

しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営から現在は貿易コンサルタントに転身

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