タイ全土を震撼させた軍人による銃乱射立てこもり事件。事件の背景に横たわる「タイの暗部」

タイ全土を震撼させた軍人による銃乱射立てこもり事件。事件の背景に横たわる「タイの暗部」

隣接するガソリンスタンドが銃撃あるいは爆弾で爆発した。この犯人によるSNS投稿の画像も、ニュースより早くに出回っていた

◆突然訪れた「タイの長い1日」

タイ時間2月8日の夕方、筆者のタイ人妻から電話があり、「コラートが大変なことになっている」と言われた。妻は数日前に転倒してケガをした祖母を見舞うため、通称コラート、正式名をナコンラチャシマー県と呼ばれる故郷に戻っていた。

 バンコクの自宅で子どもたちと留守番をしていた筆者はネットでニュース検索したものの、ちょうどそのタイミングではまだどこも扱っていなかった。コラートだけでなく、タイ全土が長い1日を過ごすことになる事件の幕開けだった。妻は幸い違う場所にいたので、被害はなかったようだ。

 事件概要は日本の報道にもあるが、改めて整理しておこう。

◆ 前代未聞の軍人による立てこもり事件

 容疑者ジャクラパン・トンマ陸軍曹長(32歳)は8日午後4時ごろ、ナコンラチャシマー市内の住宅で上官の大佐と不動産売買の副業を巡ってトラブルとなり、大佐とその義母を射殺。すぐに市内の陸軍基地に戻ると、銃で兵士1人を殺害、2人にケガをさせ、自動小銃や散弾銃、銃弾約700発などを奪った。

 その後、容疑者は軍用車両で市内の商業施設「ターミナル21コラート」に向かい、施設の内外で自動小銃を乱射して買いもの客ら一般市民多数を死傷させる。そして、そのまま施設内に立てこもり、逃げ遅れた人々を殺害しながら歩き回った。翌日の9日朝、突入したタイ警察の特殊部隊に射殺される。

 9日にはプラユット首相が現地を訪れている。また、夜にタイ警察が記者会見を開き、事件による死者が容疑者を含めて30人、負傷者が58人に上ったと発表した。

 8日夜から9日、そしてこの記事を執筆している10日はタイ中がこの話題で持ちきりになっている。1月には凶悪な金行強盗の犯人が捕まったが新型コロナウィルスの猛威でその話題は沈静化してしまった。今現在はこの事件で新型ウィルスのニュースが鳴りを潜めてしまった。

 タイでもそれくらいショッキングな事件として見られている。8日9日に到着した日本人観光客から「タイではよくあることなんでしょう?」などと訊かれたが、タイでも前代未聞の大事件である。

◆事件が起きた「コラート」という都市

 この事件で日本人の被害は報道されていない。しかし、多くの日本人が犠牲になる可能性を秘めていたと言っても過言ではない。

 というのは、第1の都市はバンコクで、タイ第2の都市は北部の古都チェンマイだと思っている外国人は少なくないが、タイ第2の都市はこのナコンラチャシマー県だからである。

 ナコンラチャシマー県=コラートはバンコクから道のりでおよそ300キロくらいにある、タイ東北地方の玄関口に当たる。県面積や人口はバンコクの次に多いとされ、チェンマイよりも規模が大きい県になるのだ。

 チェンマイは季候がいいことから日本人の年金受給者などに人気があり、確かに在住日本人の数はコラートよりも多いだろう。しかし、日本の有名企業を始めとした大手グローバル企業がこの10年くらいでコラート郊外に次々進出しているため、日系企業の駐在員などの日本人居住者がコラートにも増えている。そのため、危険にさらされた日本人もいたはずだ。

 事件が起きた「ターミナル21コラート」は、2016年12月ごろにオープンしたばかりの商業施設だ。タイ好きには聞き覚えがあるだろう。1号店はバンコクの中心地にあるからだ。このコラート店は2号として開業し、東北地方の街にとっては場違いなほどファッション性の高い施設として大人気となった。

 要するに、地方都市の若者が集まる一番人気のスポットでこの虐殺とも言える大事件が発生したのである。

◆事件が浮き彫りにした「タイの暗部」

 この事件はタイの暗部を浮き彫りにしたものであると、筆者は感じた。

 まず、在タイ外国人、あるいは東南アジアに住んでいる外国人なら知っていることではあるが、タイは公務員の給料が安い。そのため、多くの人が副業をしている。今回の事件も上官の手先となって不動産売買に奔走していたが、対価をもらえなかったことに容疑者がキレてしまい、犯行におよんだとされる。

 タイも公務員の給料は法で階級ごとに設定されていて、一番下っ端だと1万バーツ(約3.5万円)ももらえないくらいしかなく、警察長官でも数万バーツといった具合だ。

 今回容疑者を射殺した特殊部隊はバンコクから派遣されたという。この部隊ではなく、人質救出を主な任務にする特殊部隊の給与を聞いたことがある。ときには人質や仲間のために自分が盾になるかもしれないという重い任務から、訓練は厳しく、副業も許されない。そのため、その部隊に入隊すると給与+特別手当で6万バーツがもらえるそうだ。死ぬかもしれないリスクが高いのに、わずか21万円ほどだが、この金額なら命をかけられるに相当する、ということで彼らは任務に誇りを持つ。

 それでも公務員という職は人気があるのだ。実は日本とは違って、安定を求めているのではない。いつか金持ちになりたいと野心を持つ人が少なくないのだ。給料が少ないのに? と思われるが、警察や軍隊の幹部は「権力」を手にすることができ、それを利用して「利権」を獲得して儲けていく。

 東南アジアの警察官や軍人は賄賂をよく要求する。交通違反時などがそうだが、懐に入れていると思われがち(もちろんそれも一部にはあるが)ではあるものの、タイ警察の場合、その賄賂の大半は実は上官に流れているという。その上官もまた上に流し、人事でより利権がある場所に配属になるよう根回しに使うのだ。

 今回の事件の容疑者はどういった理由で上官の副業に関わっていたのかはまだ不明だが、権力をかざして理不尽を要求した上官に積もりに積もった不満が最悪の形で爆発したことは間違いない。

◆「射殺」以外に国民感情を抑えられなかった!?

 タイの暗部というか、タイの法律などの限界もこの事件で改めて浮き彫りになったのではないか。というのは、多くの人がこの事件の結末は犯人射殺しかないと見ていたことだ。もちろん、武装していたことや、爆発物もあったとされることから、容疑者も抵抗するためにそうなると読んだ人もいるだろう。しかし、法で裁くには罪が重すぎたと筆者は見ていた。

 タイも日本と同じで死刑が存続されている。一方、日本と大きく違うことは、タイは滅多に死刑が執行されないことだ。最後に執行されたのが2018年6月で、その前は2009年のことだ。

 タイは保健所でさえ野良犬を殺処分せずに施設で死ぬまで飼うという。敬虔な仏教徒が多い国なので、殺生はしないということもあるかもしれない。しかし、現実的な面にも目を向けると、死刑囚が少ないというのもあるのではないか。

 タイは実は恩赦や特赦が多い国で、麻薬事犯以外は減刑が驚くほどに多い。そのため、仮に死刑判決が出ても、多くが恩赦などでどんどん刑期が減っていき、殺人であっても実質的には15年もせずに満期で釈放となってしまう。

 現国王になってから恩赦はかなり減ったようではあるが、罪の重さ、国民感情を鑑みると、今回の事件は到底20年でも許されることではないだろう。そうなると、射殺しか選択肢がなかったのではないかと筆者は見ている。

◆SNSに残された犯人の狂気

 この事件が狂気じみていたのは、いろいろな情報がSNSなどネットで流れていたことだ。その中でも最も恐ろしいのは、容疑者は犯行中にもSNSに投稿し、不平不満や様々な暴言を残していた。中には笑顔で「ああ疲れた。(銃の引き金を指で引く仕草をしながら)こうやっているとね、やっぱ疲れるよ」といった動画投稿も残している。

 犠牲者の中には小さな子どもいるという。SNSの情報で不確かだが、逃げ遅れた人の証言には、容疑者が小部屋やトイレに隠れている人をみつけるとドアを銃で撃ち、観念して外に出てきた人を改めて射殺したという。

 とはいえ、先にも述べたが、タイでもこの事件は前代未聞の凶悪事件である。タイのために言えば、確かに銃社会ではあるものの、こういった事件はいつも起こっているわけではない。むしろ近年では最大級の事件だし、ひとりの人間が引き起こした事件としては、今までになかったものだ。

 しかもこれが軍人となると話がややこしくなる可能性もある。というのは、タイは表向きは違うとはするものの、実質的には軍政である。2006年から続いてきた政治騒乱をまとめる第3者という形で2014年に無血クーデターを起こして今に至る。

 タイでは軍事政権と言っても、昔から権力があるのは陸軍だ。その陸軍の兵士がタイ史上最悪の事件を起こした。陸軍出身のプラユット首相もさすがに事件当日中にコラートに現れたものの、報道で流れた首相のコメントに対し、「いつもわけわからないこと言っているんだ、コイツ」といったタイ人の声が散見された。支持率がぐっと下がっている印象だ。

 8年も続く小競り合いで疲弊していたタイ人たちは、2014年のクーデターで、軍政とはいえ新しい形のタイになると期待し、一応はおとなしくなった。しかし、その期待もこの事件でついに底を尽きたということになる可能性も持っている。

 タイは中国本土からの旅行者が日本より多く、新型コロナウィルスの感染リスクが高いと懸念された。しかし、春節以降、中国政府が団体海外旅行を禁じたため、タイは中国人観光客が激減している。その分、そのほかの国の人に来てもらいたいところではあるが、こんな事件発生だ。泣きっ面に蜂とはまさにこのことではないか。

 しかし、タイの名誉のために言っておくと、この事件は本当に特殊なケースであって、そう頻繁に起こるものではない。次々に施設から脱出した人たちを、近隣のバイクタクシーの運転手たちは無料で送迎するというコラート人の優しさを垣間見えるエピソードもある。これからの卒業旅行や春休みシーズンをタイ旅行にしようとしている人もいるかと思うが、あまりネガティブな方向に見ないでほしいと願うばかりだ。

<取材・文・撮影/高田胤臣>

【高田胤臣】

(Twitter ID:@NatureNENEAM)

たかだたねおみ●タイ在住のライター。最新刊に『亜細亜熱帯怪談』(高田胤臣著・丸山ゴンザレス監修・晶文社)がある。他に『バンコクアソビ』(イースト・プレス)など

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