ホロコースト伝えるイスラエル パレスチナとの対立根深く 聖地エルサレムルポ

ホロコースト伝えるイスラエル パレスチナとの対立根深く 聖地エルサレムルポ

ホロコーストの歴史を伝えるヤド・ヴァシェム=10月31日、イスラエル・エルサレム(鈴木俊輔撮影)

 【テルアビブ=鈴木俊輔】先の大戦中、迫害されたユダヤ人にビザを発給し「ホロコースト(大量虐殺)」から多くの人々を救った外交官・杉原千畝(ちうね=1900〜86年)。来年は「命のビザ」と呼ばれるこのビザ発給から80年を迎える。こうした杉原の功績をたたえる場所もあるイスラエルは、戦後にユダヤ人によって建国されたが、その後も他民族との争いが絶えない。現在も同国が首都と主張するエルサレムは国際社会から認定されない状態が続く。

 5歳、9歳、13歳…。暗闇の中で、ホロコーストの犠牲になった子供たちの名前と年齢が読み上げられていく。エルサレム近郊にある「ヤド・ヴァシェム」。600万人ものユダヤ人が犠牲になった記録を伝える博物館だ。館内には、犠牲者の生前の写真や遺品に加え、収容所で撮影された目を覆いたくなるような映像も映し出される。70年余り前の現実に、来館者の多くが言葉を失い、涙ぐむ。

 博物館の敷地の一角にある森に足を踏み入れると、木々の根元に取り付けられた小さなプレートが目に入る。ユダヤ人を救った各国の人々を顕彰する森で、杉原は、日本人で唯一、その名が刻まれている。

 昨年、建国70年を迎えたイスラエルは国民の75%がユダヤ教徒。ビザを手に生き延びた人やその子孫も多く、道路や公園に杉原の名を冠するなど、その功績は高く評価されている。

 一方で同国には、パレスチナ自治政府との対立という問題がくすぶり続ける。その象徴ともいえるのが古都・エルサレムの存在だ。

 石造りの街並みが美しい旧市街が世界遺産にも登録されているエルサレムは、ユダヤ教の「嘆きの壁」のほかキリスト教、イスラム教の聖地だが、国際的にその地位は定まっていない。イスラエルが首都と主張する一方、パレスチナ側も旧市街を含む東エルサレムを将来の首都と位置づけているためだ。

 現在は治安が保たれているが、過去には対立に起因し、双方から死傷者が出る事件の現場となったこともあり、街には機関銃を手にした兵士や警察官の姿もみられる。世界からユダヤ教徒や観光客が足を運ぶ嘆きの壁でも、厳重な手荷物検査が行われる。

 対立には宗教的な背景もあり、第三者が問題の全体像を捉え、理解するのは容易ではない。ホテルスタッフのイスラエル人、ゼーブ・リベツキーさん(37)は「和平が必要なことは理解しているが、実際はそう簡単なことではない」と話す。

 ホロコーストを乗り越え、向き合ってきたイスラエルが直面する難題。エルサレムは、そんなイスラエルを象徴するかのような街だった。

関連記事(外部サイト)