ロシア「お膳立て」取材ツアーに唯一参加した日本人ジャーナリストが見たものとは

ロシア「お膳立て」取材ツアーに唯一参加した日本人ジャーナリストが見たものとは

“ヨーロッパの穀物庫”と呼ばれるウクライナ。収穫を待つ小麦が風に揺れていた

■ウクライナ侵攻前からロシア国営メディアで勤務


 6月中旬、ロシア国防省が主催するメディアツアーが行われた。行き先は、ウクライナ領内のロシア支配地域だ。親ロシア派が一方的に独立を宣言した“ルガンスク人民共和国”と“ドネツク人民共和国”に加え、メリトポリなど南部の町を巡るというツアー。そこに日本人として唯一参加したのが、侵攻前からロシアの国営メディアに勤めるジャーナリスト、徳山あすか氏だ。

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 もちろん、ツアーの性格を考えれば、すべてはロシア側のプロパガンダに過ぎない、という見方も可能だろう。それでも今回はあえて、ロシア側から見たウクライナ戦争、つまりプーチンが世界に見せたかった光景を、そのまま掲載する。そこから何を読み取るかは、賢明なる読者の皆様に委ねたい。

 以下は徳山氏による、その貴重な従軍記である。


■呼吸をするだけで、最近までそこに遺体のあったことが分かった


 絶え間なく砲撃が続くドネツク市内から約2時間かけて、バスでマリウポリ市へ向かった。目的地はアゾフスタリ製鉄所。5月16日から20日にかけてアゾフ大隊を含むウクライナ軍2439人が投降して捕虜となり、長期にわたった攻防は終焉を迎えた。

 私たちは激しい戦闘が行われた長大な橋を延々と歩いた。人間一人を平気でのみ込んでしまうような大穴がいくつも開いている。足元をよく見るよう注意されるが、橋の両脇に瓦解した工場群が続いているため、ついつい気を取られてしまう。

 橋を渡り終えると、そこには救急車と給水車の姿があった。気分が悪くなるかもしれないからと、あらかじめ手配されたものだ。この日の気温は30度を超えており、痛いほどの日差しが照りつける。ほんの少し呼吸するだけで、最近までここにたくさんの遺体があったことがすぐわかる。息をすればするほどその空気が全身を包む。広大な敷地のどこを歩いても「それ」からは逃れられない。


■アゾフ大隊のメンバーが生活していたスペースにはあらゆるものが散乱していた


 地下室では、アゾフ大隊のメンバーと市民が共同生活していた。地下への階段の周辺にはジャケットやズボン、靴、薬、コットンパフ、未開栓のペットボトルなどがこれでもかと散乱していた。傷の応急処置をするセットも大量に放り出されており、「1990年製 価格:41コペイカ」と書いてある。

 階段を降りていくと強いカビの臭いがするが、こちらはすぐ慣れて、気にならなくなった。生活スペースには冬物の衣類が散乱し、大量の紅茶が放置され、食べかけの料理はカビで真っ白になっていた。ベッドの下には乾燥マカロニやフライパンが残されている。

 1段ベッドから3段ベッドまであり、寝床はそれなりの広さがある。物が散乱してさえいなければ、わりと快適に寝泊まりできそうな印象を受けた。中にいた人々が出てくるときに急いで荷物をまとめ、更にロシア軍が中に入ってきたとき室内の危険物を捜索したため、今では足の踏み場もないほどぐちゃぐちゃになっている。

 ウクライナ語で「ロシアのタコ、行動中」と書かれた本を見つけた。本のサブタイトルは「ウクライナのケース」。ロシアがタコのように、ウクライナやバルト3国など、近隣諸国に触手を伸ばしている、と批判する内容だ。アゾフのメンバーの顔とニックネームを記したプラカード、ウクライナカラーのリボン、アゾフのシンボルをあしらった風船なども残されていた。


■アゾフスタリ製鉄所内の通路は複雑に入り組み、見取り図も存在しない


 壁にはゼレンスキー氏のイラストが貼られており、額のところにはダーツに見立ててドライバーが打ち込まれている。潜伏していたウクライナ兵が政権に不満を抱いたのか、アゾフスタリ制圧後にロシア兵がいたずらのつもりでやったのか、真相はわからない。

 このような部屋は広大な敷地内にいくつもあり、部屋と部屋が地下でつながっているが、記者団に公開されたのは、安全が確保された一室のみ。通路が複雑に入り組み、正確な見取り図が存在していないため、中の地雷や爆発物を全て撤去するには途方もない時間と労力がかかる。

 特に、閉まっているドアは絶対開けないようにと厳しく注意を受けた。ドアを開けると爆発する仕掛けになっている場所がいくつもあるため、爆発物を無力化したドアにはバツマークをつけ、区別している。アゾフスタリは取り壊される公算が大きいが、いずれにしても、危険物を除去しないことには始まらない。


■マリウポリの港は業務を再開している


 廃墟というイメージの強いマリウポリだが、港を管理するディレクターによると、港は5月24日から業務を再開している。現在ここでは約130人が働いている。ロシアから来た3人のトップマネージャーをのぞき、すべて地元の人だ。ディレクターは、まだ本格稼動ではないため以前に比べて労働者の数は少ないが、規模を戻していきたいと話す。

 現在、港は建築労働者が住む家を作るための建築資材を運び入れている。市民にとって港の再建は、町の再建につながるものだ。ディレクターは、貨物港としての役割だけでなく、近い将来にはクリミア半島と結ぶ観光船が寄港できるようにしたいと話す。

 船に乗ってアゾフ海から陸を眺めると大きな白い建物が見える。これは輸出用の小麦を保管する倉庫だった。戦闘時、建物の最も高い部分にウクライナ軍のスナイパーが潜伏していたため、ロシア軍が建物を攻撃し、巨大な穴が開いたという。

 港を離れて海岸沿いの道をバスで走ると、たくさんの市民が気持ちよさそうに日光浴しているのが見える。その隣には焼け焦げた建物がある。爆撃の爪痕も、すっかり日常にとけこんでいる。


■日常を取り戻そうと努める住民たち


 戦火が過ぎ去った町で、人々は文化的な生活を取り戻そうと努力している。マリウポリには電気も水もないが、劇場では、9月の新シーズンに向けて舞台稽古が行われていた。発電機のおかげで舞台上だけは明るい。観客席でリハーサルを鑑賞していた2人組の60代女性に話を聞いた。

 どんな支援が必要か聞くと「ありがとう、でも何もいらないわ。一番ひどい時は過ぎ去った。あとは再建していくだけ。見て、今日の私の服なかなかいいでしょ。最近ようやく、おしゃれして出かけようという気持ちになれたの」と言う。観客席は真っ暗なのでよく見えないのだが、女性のワンピースが白地に花柄の華やかなものであることがわかる。

 もう一人の女性は、避難しなかった理由について「他の町で私のことは誰も必要としていないわ。私にとってこの町こそが必要なのよ」ときっぱり。

 舞台女優の母と一緒に来た8歳の男の子と仲良くなった。学校が爆破されて隣の学校へ転校したこと、兄弟は国外へ避難し自分は両親と一緒にマリウポリに残ったことを話してくれた。「スシが大好き」と言うその子は、日本の話を聞きたいとせがみ、ロシア兵からもらったチョコレートを私にプレゼントしてくれようとした。

 劇場では全員とゆっくり話す時間がなく、杖をついた劇団最高齢の88歳の女優は「あなたとお話ししたかったわ、またいらしてね」と名残惜しそうにほほ笑んでくれた。白髪の髪を長く伸ばし、とてもエレガントだ。


■“ドネツク人民共和国”の首長は将来的なロシア編入を示唆


 南部の町メリトポリに向かう車窓からは、たくさんの風車が見える。どこまでも一面の小麦畑が広がり、大地の豊かさを実感した。それを過ぎると今度はさくらんぼ農園に着いた。これからがちょうど収穫の時期で、木から直接もいで食べると、モスクワで売っているものとは別格のおいしさだ。農園の主人がプレゼントしてくれた箱いっぱいのさくらんぼを抱えつつ市内に到着した。

 中心部の勝利広場ではバラが咲き乱れており、噴水とのコントラストが美しいが、大型ホテルは休業したままだ。メリトポリ市民へのロシアのパスポート発給手続きは1カ月先まで予約で埋まっている。発給希望者の主な動機は生活レベルを上げたいというものだ。

 ドンバスでも経済面でのロシアへの期待は大きい。ドネツク人民共和国のデニス・プシーリン首長は共和国が将来的にロシアに入る可能性を問われ「もちろん住民の意見を聞かなければならないが、先回りして言えば、私はそれを知っている。2014年からそれは変わっていないだけでなく、強化された」と話した。


■敗走するウクライナ兵の武器と食料を交換した


 マリウポリなど長期戦を経験した町がある一方で、ルガンスク近郊の小さな町シャスチエは、軍事作戦開始後、非常に早い段階で「解放」、つまりはルガンスク人民共和国の支配下へ入った。かつてウクライナ中隊の本部だった場所で記者団に公開されたのは、アメリカがウクライナに提供した「ジャベリン」の一部など、NATO諸国の武器だ。イギリスからウクライナに供与された携行式対戦車ミサイル「NLAW」もあった。

 ルガンスク人民警察のイーゴリ・フィリポネンコ大尉は「補給ルートから切り離されたウクライナ兵は武器を差し出し、我々の食料と交換するしかなかった」と言う。NLAWが手に入った経緯については「元々バッテリーに問題があったからだと思うが、その辺に捨ててあった。我々が修理して使った」と説明した。

文・撮影 徳山あすか

「週刊新潮」2022年6月30日号 掲載

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