早くも危機に直面する「トラス政権」が“タブーの領域”に手を付け始めた

早くも危機に直面する「トラス政権」が“タブーの領域”に手を付け始めた

トラス新英国首相(Prime Minister's Office, OGL 3, via Wikimedia Commons)

 9月上旬に誕生した英国のトラス新政権は早くも試練に直面している。

 金融市場で英国債の利回りが急騰し、通貨ポンドも米ドルに対して過去最安値の水準で推移している。

 トラス新政権が矢継ぎ早に打ち出した大型の経済対策が「財政やインフレの悪化につながる」との警戒感を生んだためだ。

 首相に就任したトラス氏にとって「インフレ退治」が焦眉の急だった。

 トラス政権はまず、今後6ヶ月分のエネルギー高騰抑制対策として600億ポンド(約9兆3000億円)の資金を投じる計画を発表した。家計や企業の光熱費負担に上限を設け、超える分は政府が肩代わりするというやり方だ。

 さらに経済成長を下支えするため、50年ぶりの規模とされる大規模減税(450億ポンド相当)の構想も明らかにしている。予定していた法人税率の19%から25%への引き上げ凍結や国民保険料の引き下げなどが柱だ。だが、減税で需要を喚起する施策はインフレ圧力を一層高めるとの批判が出ている。

 こうした資金需要に対応するため、英国政府は2022年度の国債発行額を624億ポンド引き上げるとしており、その規模は当初案より5割以上増加する。

 積極財政を掲げる英国政府と金融引き締めに舵を切るイングランド銀行(中央銀行)との間の不一致も問題視され始めている。イングランド銀行は10月末から量的緩和策として買い入れた国債の売却を開始するとしており、財政の急拡大で悪化する国債の需給状況がさらに深刻になることが心配されている。

 このため、市場では「財政の収支を合わせられないのではないか」との疑心暗鬼が広がり、英国債と通貨ポンドの売りが急拡大したのだ。


■深刻な景気後退の懸念


 英国では住宅市場の崩壊も懸念され始めている。金利高騰を受け、住宅金融機関がローンの提供を停止する動きが一気に広まり、住宅購入契約が急激に落ち込む恐れが出てきているからだ。

 1年前にわずか0.1%だった政策金利が来年9月までに5.9%に上昇するとの見通しを金融市場は織り込んでおり、来年に借り換えが必要となる約180万人分の住宅ローンの金利負担が急増することが予測されている。市場関係者からは「住宅価格は今後急落してしまう」との悲鳴が聞こえてくる。

 通貨取引量と外貨準備高のシェアで世界第4位のポンドと英国債の急激な売りは、世界の金融市場の新たな火種となりつつある。米アトランタ連銀のボスティック総裁は9月26日、トラス新政権の大規模な経済対策について「経済に不確実性をもたらす懸念と恐怖を感じている」と異例のコメントを出している。

 英国債市場の暴落を防ぐため、イングランド銀行は9月28日、長期国債を無制限に買い入れる市場介入に踏み切ったが、「政府が打ち出した経済政策を撤回しない限り、投資家の信頼回復は難しい」との認識が広がっている。

 経済のV字回復を狙ったトラス政権の賭けが裏目に出たために、英国経済は長期にわたる深刻なリセッション(景気後退)に陥る可能性が高まっている。


■「リーマンショック以上の打撃」との見方も


 窮地に陥ったトラス政権はタブーの領域にも手を付け始めている。

 リース・モグ・ビジネス・エネルギー・産業戦略相は9月26日「政府は排出量実質ゼロ化目標の達成に引き続き取り組んでいるが、ロシアが欧州でエネルギーを武器として利用する中、エネルギー安全保障を向上させ、企業や消費者に不当な負担を強いない形でこれを実現する必要がある」と述べ、2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロにする目標の見直しに着手したことを明らかにした。

 過去に気候変動対策の必要性を疑問視する発言をしたことで知られているリース・モグ氏は「今回の見直しで、経済成長と企業を支援し、経済効率の高い目標達成方法を模索する」としている。見直し作業はスキッドモア元エネルギー担当相が率いる独立チームが行い、年末までに政府に報告書を提出する予定だ。

 2019年にメイ政権が世界の主要先進国に先駆けてこの目標を法制化し、続くジョンソン政権が2021年の国連気候変動枠組み条約第26回締結国会議(COP26)で主導的な役割を果たすなど、英国はこのところ世界の温暖化対策をリードしてきたが、未曾有の危機が襲来したことからエネルギー安全保障を優先せざるをなくなっている。

 トラス政権は目標見直しの表明を行う前に、2019年から停止していたフラッキング(高圧の水で岩石を砕いて天然ガスを抽出する方法)によるシェールガスの採掘を解禁することも発表していた。「地球温暖化を助長する」との理由から環境保護団体などが猛反対しているが、背に腹は代えられない。

 英国政府は「エネルギー供給を強化することが絶対的な優先課題であり、国内生産を増やすため、あらゆるエネルギー資源を探査する必要がある」と説明しているが、専門家の評価は冷ややかだ。フラッキングを解禁したとしても、実際の生産開始まで何年も要するため、今年の冬のエネルギー価格を下げる効果は期待できないからだ。英国内で掘削可能な大規模なガス資源があるかどうかも不透明だとの指摘もある。

 八方塞がりの状況の英国だが、足元のエネルギー危機はリーマンショック以上の打撃を欧州経済に与えるとの見方が強まっている。欧州全体が危機に陥れば、国際社会における温暖化対策の優先度は一気に後退してしまうのではないだろうか。

藤和彦
経済産業研究所コンサルティングフェロー。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)。

デイリー新潮編集部

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