サッカー日本代表が戦う「タジキスタン」とは、どんな国か?

 サッカー日本代表は、15日にカタールW杯アジア2次予選のタジキスタン戦を、相手国の首都ドゥシャンベで戦う。

 はたしてタジキスタンとはどんな国なのだろうか。

 国際協力機構(JICA)理事長の北岡伸一さんは、2018年6月にタジキスタンを訪問した。以下、北岡さんの著書『世界地図を読み直す:協力と均衡の地政学』(新潮選書)から、同国に関する記述を再構成して紹介しよう。

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■タジク人とはどんな人々か


 中央アジアのタジキスタンを初めて訪れた。これまでJICA(国際協力機構)の理事長として、タジキスタンに行った人はいなかった。しかし、この国でJICAはいろいろな事業を行っているので、ぜひ訪れてみたいと考えていた。

 タジキスタンは面積約14万平方キロで中央アジアで一番小さく、日本の3分の1強である。人口は約890万人、1人当たりGNIは990ドルである。

 タジキスタンはタジク系84%、ウズベク系12%ということで、民族的一体性は強い。中央アジアの他の4国よりも、主要民族の比率は高い。タジク人は基本的にペルシャ系で、これは中央アジアでタジキスタンだけである。他は、テュルク(トルコ)系統である。

 タジク人はアーリア人、つまりインド・ヨーロッパ語族に属する。インド・ヨーロッパ語族とは、現代の白色人種の祖で、金髪、碧眼、長身、細面だったと言われている。もっともこれらは混血によってしばしば変化するもので、確実なことは言えない。

 彼らは紀元前3000年、中央アジアで牧畜を営んでいたと見られる。そこから前1500年ごろ分岐して、(1)ヨーロッパに行ったもの(2)インド亜大陸に行って定住したもの(3)イラン高原に行って定住したもの(4)中央アジアに残ってオアシス都市に定住したもの(5)中央アジアに残ってステップの騎馬遊牧民になったもの、に大別され(青木健『アーリア人』)、このうち、(4)がタジク人らしい。

 つまりタジク人とは、中央アジアやイラン高原など中央ユーラシアの乾燥地帯に住んでいた人々のうち、ペルシャ系の言語を使い、都市やオアシス集落に定住した人々のことらしい。

 彼らの宗教はかつてゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教、マニ教など様々だったが、やがて大多数がイスラム教となった。ただ、面白いことに、タジク人もウズベク人も、みな酒を飲む。それもウォッカである。ウォッカによる乾杯が習慣である。これはかつてこの国を支配していたソ連の影響だろう。

■高地と山脈の国


 タジキスタンは国土の半分が標高3千メートル以上である。日本にも標高3千メートル以上の山はあるが、それは国土のごく一部である。

 まず東の方、国土の4割以上がパミール高原である。パミール高原は世界の屋根と言われるとおり、平均標高5千メートル、中央部は高原状であり、最高峰は標高7495メートルのイスモイル・ソモニ峰である。この山は1933年にソ連の登山家によって初めて登頂され、スターリン峰と名付けられた。しかし、スターリン批判ののち、1962年にコミュニズム峰と改名された。そしてタジキスタンが独立したのち、中世サーマン王朝のタジク人王の名からとって、イスモイル・ソモニ峰という名前になった。ちょっと面白い。

 さらに北側は、パミール高原から分かれたアライ山脈が東西に走っていて、国土を南北に分断している。北から、アライ山脈、アライ渓谷、外アライ山脈と東西に平行に並んでいる。外アライ山脈の最高峰は、クーヒ・ガルモ山(旧レーニン峰)で、標高7134メートルもある。パミール高原におけるスターリン峰と言い、レーニン峰と言い、ソ連が誇った山であることがわかる。

 このような地形なので、国土の南側から北側に行くのは難しく、かつては険しい峠を越えるか、むしろ隣国のウズベキスタン経由で行ったという。現在はアライ山脈の下をトンネルが通っていて、その前後の景色は壮観である。

 こういう地形なので、国土は巨大な山地で分断されている。山と平地も分断されている。川もあるが、高山から激しく流れているため、川沿いの平地も少なく、川を渡るのも困難である。つまり、川でも分断されている。


■統合のための「強権政治」


 したがって、この国を統合することは容易ではない。

 ソ連が崩壊して1991年に中央アジアで5つの国が独立したとき、タジキスタンだけで内戦が起こり、5年間にわたって5万人とも10万人とも言われる人が亡くなっている。当時600万人あまりの人口の中でこの犠牲者数なので、相当ひどいものだった。和平の調停には、アフガニスタンで死後に「国家英雄」の称号を贈られたアフマド・シャー・マスード司令官も加わっていたというから、興味深い。

 国連の一員としてタジキスタンで活動していた筑波大学の秋野豊助教授が亡くなったのは、こういう状況においてだった。秋野さんは、たくましい体格で、いつも真っ直ぐな議論をする気持ちのよい青年だった。もう亡くなって20年たつ。慰霊碑に花輪を供えてきた。

 こうした国家統合の難しさを克服する方法の1つは強力な政治ないし独裁である。1994年以来、ラフモン大統領の統治が続いており、2013年には4度目の当選をしている。再選禁止規定が廃止されたので、まだまだ続きそうである。また、息子が後継者となるのではないかという観測もある。

■日本のプレゼンス強化のために


 タジキスタンは小さな国であるが、世界の多くの国々が、意外なほど強い関心を持っている。

 イランとは歴史的、文化的つながりがあり、またトルコも中央アジアのほとんどの大都市にトルコ航空の直行便を飛ばすなど、関係を強化している。カタールは、中央アジア最大のモスクの建設を行っている。

 ロシアにとっては南の守りという意味があり、大きな軍事基地があり、今も戦略的にタジキスタンを重視している。

 中国も「一帯一路」の観点から、もちろん重視している。その勢いは相当なものである。しかし、あまり行きすぎるとロシアとぶつかる恐れがある。

 タジキスタンは、どちらに従属するのも好まない。したがって、やや遠方にあって、特別の利害関係のない日本は、善意の第三者として、大いに評価されている。相対的に少額の援助で、大きな効果を上げることができる。十分歴史に翻弄された地域なので、中国が世界で使う歴史カードは、ここでは使いにくい。この地域の安定に貢献することは、世界からも評価される。

 日本のプレゼンスをもっと強化するために何ができるだろうか。

 たとえば、航空である。トルコ航空はいたるところに飛んでいる。韓国はカザフスタンに飛んでいる。私は仁川空港に行き、アシアナ航空に乗り換え、カザフスタンで乗り換え、ドゥシャンベに行った。2度の乗り換えである。せめて日本からカザフスタンに直行便が飛んでいれば、日本とこの地域の関係はずっと密接になるだろう。今回の訪問で感嘆した山々の威容は、大きな観光的資源である。また、日本に好意的なタジクの人々は、日本で働く機会を求めている人も少なくない。今後もタジキスタンに注目して、関係強化を図るべきだと考える。

デイリー新潮編集部

2019年10月14日 掲載

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