NATOが「魔女宅」の島で警戒するロシア・中国とのハイブリッド戦争

8月17日、北大西洋条約機構(NATO)のストルテンベルグ事務総長は、イスラム主義勢力のタリバンが権力を握ったアフガニスタン情勢について「アフガン政治指導者の失敗が悲劇を招いた」との考えを示しました。ヨーロッパと北米、全30ヵ国からなる国際軍事機構NATO。各国の動向に目を光らせていますが、近年、とくに中国を警戒するようになった背景には一体何があるのでしょうか。国際情勢に詳しい元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫氏と前ロンドン支局長の岡部伸氏が話します。

※本記事は、馬渕睦夫×岡部伸:著『新・日英同盟と脱中国 新たな希望』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■防衛力を一気に強化するスウェーデン

岡部 ヨーロッパ各国の国防担当者は、ロシアに次いで中国の脅威を警戒しています。地理的には離れているとはいえ、中国が仕掛けている一帯一路や、東欧に約束した経済援助、フェイクニュースやサイバーテロなどを強く警戒し始めたわけです。とりわけコロナ禍以降は、この動きが急ピッチで進んでいます。

イギリスに赴任中、スウェーデンのペーテル・フルトクビスト国防大臣にインタビューしたことあるんですが、ジョージアとウクライナへの軍事侵攻などからロシアの侵攻を警戒する一方、2018年頃にはすでに中国の脅威も口にしていました。

▲NATOの旗 出典:ウィキメディア・コモンズ

NATOにとって正面の脅威、直接的な脅威はロシアです。

スウェーデンには、バルト海の真ん中に浮かぶゴットランドという島〔宮崎アニメの『魔女の宅急便』のモデルになった風光明媚な島〕があるんですが、ここは東西冷戦の最前線でした。ソ連の飛び地のカリーニングラード(旧ドイツ領ケーニヒスベルク)から、わずか北西300キロしか離れていなくて、冷戦時代にはスウェーデン軍の前線基地があったんですね。ソ連崩壊後の2004年に撤去して引き上げた常駐部隊を、2017年7月から再配置しました。

▲ゴットランド島での演習 ?岡部伸

2014年のウクライナ危機をきっかけに、ハイブリッド戦争を仕掛けるロシアに加え、さらに中国が「中国版イージス艦」のミサイル駆逐艦「合肥」をはじめ、中国海軍艦隊をバルト海まで派遣して中露で演習を行うなど、新たな脅威が高まったためです。次はロシアが中国と結託してバルト三国を再び侵攻するのではないかと、バルト海沿岸では警戒が高まっています。

欧州での緊張の高まりを受けてスウェーデンは、防衛力を強化する必要が生じたとして、徴兵制を復活させ、2020年10月には2021〜2025年の防衛費を40%引き上げると発表しました。

EU諸国にとっては、これまでのようにロシアが直接的な脅威であることは間違いありません。しかし最近では、同時に中国の欧州への台頭が加わり、NATOも「中国の脅威に対して備えるべき」と警戒を始めました。

馬渕 中国の脅威は、前々からわかっていたことだと思いますけどね(笑)。

岡部 そうですよね。いずれにせよ、彼らが中国の脅威を認識し始めたという意味でも、僕はもうNATO不要論といった類の議論は出てこないんじゃないかと思っているんです。それと関連して、イギリスはヨーロッパのなかでNATOの中心ですから、EU離脱後、これまで以上に存在意義が高まるんじゃないかと思います。

実際、2018年には欧州各国の共同出資により、EUとNATOの代表として、ハイブリッド戦争〔従来のような正規軍による軍事力中心の戦争ではなく、正規戦・非正規戦・サイバー攻撃・世論操作など、ありとあらゆる手段を組み合わせて、目的達成のために行われる戦争〕を研究する機関「欧州ハイブリッド脅威対策センター(The European Centre of Excellence for Countering Hybrid Threats)」が、フィンランドの首都ヘルシンキにできました。またバルト三国のエストニアの首都タリンには、NATOが「サイバー防衛協力センター(CCDCOEと略称)」を作り、毎年、サイバーテロ演習を行っています。

▲エストニアの首都タリン 出典:PIXTA

馬渕 ハイブリッド戦争と言えば、ウクライナ危機ですね。

岡部 ええ、そうです。「欧州ハイブリッド脅威対策センター」では、ロシアがウクライナ危機でハイブリッド戦争を仕掛けてきたことを契機に、いかにして共同で備えていくかということを、EU各国の情報機関の人たちが同センターに集まって研究しています。

そこを取材してわかったんですが、研究のベースになっているのは、英秘密情報部(SIS、通称M16。国外での活動が主な任務)のデータです。つまり、イギリスのインテリジェンスの蓄積をもとに、ヨーロッパ全体でロシアや中国、それから北朝鮮などの国々の脅威にいかに対処していくか――たとえば、ハイブリッド戦争で仕掛けられるサイバー攻撃や選挙への介入工作にどう対処していくか、ということを事前に各国が集まって研究しているわけです。特にロシアはSNSを使って大なり小なり、アメリカ大統領選や欧米各国の選挙への影響工作にほとんど関わっていますからね。

繰り返しになりますが、その研究のベースとなっているのがM16のデータです。イギリスは、このようにインテリジェンスでは、EUから離脱しても大陸欧州各国と協力して連携していくのだと感じました。

■NATOにとってロシアは「敵国」のままなのか?

馬渕 NATO諸国は……特にイギリスは、ロシアとソ連が“別物”だとは見ていないということですか?

岡部 ロシアに対する厳しい姿勢は、ソ連時代から変わっていないと思います。たとえば、2018年3月にイギリス南部のソールズベリーで、ロシアの元スパイのセルゲイ・スクリパリ氏と娘のユリアさんが襲撃された暗殺未遂事件がありましたよね。

馬渕 ノビチョク(猛毒の化学神経剤)が使われた事件ですよね。

岡部 はい。僕は現場にも行って取材したんですが、イギリス政府がいち早く犯行に、1970〜1980年代に旧ソ連軍が開発した神経剤「ノビチョク」が使用されたことを割り出しました。ロシア側は否定していますが、間違いなくGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局:ロシアの軍事情報機関)の犯行だと思います。それはイギリス政府ではなく「ベリングキャット」というイギリスの民間調査グループが突き止め、発表しました。

イギリスには、CCTVという街頭の監視カメラがたくさんあります。そこに写った写真から、ソールズベリーの現場にいた犯人グループが、ロシアから来た3人組だとベリングキャットが割り出し、その調査結果をイギリス政府が裏打ちしたというわけです。

犯人グループのひとりはGRUの軍医です。ノビチョクは神経剤なので、使う時には医師が必要だからです。それから、もうひとりはプーチンから勲章をもらった腕利きの工作員で、あとのひとりがリーダー、つまり現場責任者を務めたGRUの幹部です。CCTVと出入国管理記録などから特定されたのですが、現場では間違いなく彼らGRUの犯行と見られています。

イギリスが突き止めたGRUの犯行という情報は、本来ファイブ・アイズの5ヵ国でしか共有できない最高機密のものでした。しかし、あの時に限ってフランスやドイツをはじめ、西側の20数ヵ国に一気に情報を流したんですね。

だから、西側諸国は一斉にペルソナ・ノン・グラータ〔「好ましくない人物」の意で、自国の判断で外交官を国外退去させること〕を発動させて、ロシアの外交官を一斉に追放する事態になったのだと思います(イギリス政府は事件後、ロシアへの報復措置として駐英ロシア人外交官23人を国外追放、アメリカやEU加盟国など25ヵ国で130人を超すロシア人外交官が追放となりました)。

▲在日本ロシア連邦大使館 出典:ウィキメディア・コモンズ

残念ながら、日本だけがその輪から外されてしまいました。情報機関がない国に情報を流すと、すぐに漏れてしまうと懸念されたようです。だから民主主義国のなかで、唯一日本だけが情報を貰えず、日本以外の主要国には流して、ロシアの外交官を一斉に追放しました。それなりの根拠がなければ、なかなかできないことです。

こうした事例を踏まえると、NATO諸国の、そしてイギリスのロシアに対する厳しい姿勢は、ソ連時代から変わっていないと思います。

NATOの報告書でも、潜在敵国としてロシアが出てきます。距離的には離れていても、核の脅威があるので北朝鮮が出てくることもありますが、やはりまずロシアですね。そういった意味では、イギリスが常にまずロシアを脅威としてとらえるのは「グレート・ゲーム」を繰り広げたソ連時代から変わっていない気はしますね。

馬渕 それは非常に面白い指摘ですね。私も最近のイギリスの考えかたをフォローしているわけではありませんが、結局は帝政ロシアの時代、つまりソ連以前のロシア時代から、イギリスとロシアは常に帝国主義戦争をやっていましたからね。その時以来の歴史的な教訓というのがあるのかもしれません。

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