ロシア語で「キエフ」、ウクライナ語では「キーウ」。両国の異なる文化を知る

世界中が注視するロシアによるウクライナ侵攻。ロシアの勢力圏は旧ソ連諸国、中東、東アジア、そして北極圏へと張り巡らされているが、その狙いはどこにあるのか? ロシアの軍事研究の第一人者・小泉悠氏は、ロシアとウクライナの文化的な背景について以下のように解説しています。

※本記事は、2019年6月に刊行された小泉 悠:著『「帝国」ロシアの地政学 -「勢力圏」で読むユーラシア戦略-』(東京堂出版:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■ロシアにとって「ほとんど我々」のウクライナ

旧ソ連諸国に対するロシアの対外介入について述べるにあたっては、2014年のウクライナ介入を避けて通ることはできないだろう。その詳細に立ち入る前に、ロシアから見たウクライナの位置付けについて概観しておきたい。

ブレジンスキー元米大統領補佐官は、ウクライナの地政学的重要性をかねがね強調してきた。ウクライナの国土は約60万平方キロメートルと日本の1.6倍もあり、欧州ではロシアに次ぐ第2位の面積を誇る。

人口もソ連崩壊当時は5200万人近くおり、旧ソ連で指折りの重工業地帯と農業地帯を抱えるなど、そのポテンシャルは極めて大きかった。それゆえに、ウクライナを勢力圏内に留めておけるかどうかは、ロシアがアジアから欧州にまたがる「ユーラシア帝国」でいられるのか、それとも「アジアの帝国」になってしまうかの分水嶺である、というのがブレジンスキーの主張である。

▲オバマらと語るブレジンスキー(前列左から2番目/2010年) 出典:ウィキメディア・コモンズ

ブレジンスキーが生まれたポーランドのベレジャニは、現在ではウクライナ西部に当たる。彼のウクライナ重視にはそうした思い入れがないとは言えないだろう。ただ、RAND研究所のチャラップとハーバード大学のコルトンが言う「狭間の国々(In-Betweens)」――すなわち西側とロシアに挟まれた欧州部の旧ソ連諸国(アルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、グルジア、モルドヴァ、ウクライナ)の中で、ウクライナの存在感が圧倒的であることもまた、確かである。

これら6ヵ国の全面積(96万2762平方キロメートル)中、ウクライナは約6割を占めており、人口に至っては6ヵ国中の63%にもなった(ソ連崩壊当時の数字)。

ロシアの介入が、「狭間の国々」をロシアの勢力圏内に留めるための行動であったことを考えるならば、ウクライナがその本丸であったという見方は決して過大評価ではあるまい。旧ソ連諸国の軍事力比較を見ても、ウクライナが旧ソ連の中でロシアに次ぐ国であることは容易に読み取れる。

▲ウクライナと周辺の国々 『「帝国」ロシアの地政学』より

旧ソ連の巨大国家としては、この他にもカザフスタン(国土面積は約272万平方キロメートルで日本の7倍、人口は1840万人)がある。ただ、カザフスタンがイスラム教徒であるカザフ族を中心とする国家であるのに対し(ただし、ロシア系住民も依然として全体の2割を占める)、ウクライナはベラルーシと並ぶ「スラヴの兄弟」である点が、アイデンティティの面からも同国を特別の存在としてきた。

ウクライナ人とベラルーシ人は民族的にも、言語・宗教・文化などの面からもロシア人との共通性が高く、時に「ほとんど我々」とも呼ばれる。そして、ロシアの地政学思想においては、こうした人々を含む広義の「ロシアの民」が、地理的概念としてのロシアの広がりとして理解されてきた。この意味では、「ほとんど我々」=「ロシアの民」であるウクライナとベラルーシは、ロシアの勢力圏の核(コア)を構成するものと言える。

たとえば作家のソルジェニーツィンは、1990年当時、すでに崩壊の兆しを見せていたソ連の今後について、次のように述べた。

第一に、「ロシアの民」が暮らすロシア、ウクライナ、ベラルーシ以外の各共和国は「間違いなく、しかもあと戻りしないように分離」させてしまうべきだと言う。というのも「われわれにはこの帝国を支える力がなく」、むしろ重荷になってさえいるからだ。

しかし、第二に、ウクライナ人とベラルーシ人はロシアの「同胞」である。したがって、ソ連が解体されてもこの三民族は一つの国家の下に留まらなければならない、というのがソルジェニーツィンの主張であった。

この意味では、前述したウクライナという国家の巨大さは、さらに大きな意味を持ってくる。「ほとんど我々」を構成する東スラヴ三ヵ国(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ)のうち、ベラルーシは面積約20万8000平方キロメートル(日本の約半分)、人口約949万人という小国に過ぎない。この意味で、ウクライナの去就は、ロシア国外の「ロシアの民」をどれだけ勢力圏内に留めておけるかに直結する問題であるということになる。

■もともとはウクライナの民族料理だったボルシチ

ただし、ロシアとウクライナの文化的相違は意外に大きい。

「ルーシ」の中心が、キエフから現在のロシア側へと移行していったあと、ウクライナの地は、ロシア、ポーランド、リトアニア、トルコ、さらにはクリミア・タタールといった列強の干渉地帯(「荒れ地」と呼ばれた)となり、外国の影響を強く受けた。

さらには、軍事的共同体である「コサック」による国家(ヘトマンシチナ)が17世紀に成立するなどした結果、ロシアとは微妙に(時に大きく)異なる文化が育まれたのである。

ちなみにボルシチやカツレツといったおなじみの「ロシア料理」も、もともとはウクライナの民族料理である場合が多く、本来はウクライナ文化であるものが、「ロシア」という括りに入れられることで覆い隠されてしまうという構図も指摘できよう。

▲もともとはウクライナの民族料理だったボルシチ イメージ: NikDonetsk / PIXTA

このような歴史的経緯の差は、言語にも表れている。ロシア語とウクライナ語の文法はよく似ているが、発音は微妙に異なっており、ロシア語の男性名「ニコライ」はウクライナ語では「ムィコラ」、ロシア語で「キエフ」と発音されるウクライナの首都は、ウクライナ語では「キーウ」となる。

また、「軍隊」はロシア語で「ヴァアルジョンヌィエ・シールィ(вооружённые силы)」だが、ウクライナ語では「ズブロイニ・シーリ(збройн? сили)」と、明らかにポーランド語の影響が見られる(ポーランド語では「シーリ・ズブロイネ(si?y zbrojne)」)。

発音にしても語彙にしても、ウクライナの言語は独特のものであって、簡単に「ロシアの民」と括られることには抵抗があろう。

また、似ているということが常に親近感を生むとは限らない。気安いがゆえの侮り、蔑視、あるいは近親憎悪が生まれることもある。ロシア人がしばしばウクライナ語を「粗野なロシア語」とみなし、ウクライナ語話者を格下のように扱うのはその一例であろう。

ある劇場では、シェイクスピアの「マクベス」をウクライナ語で上演したところ、ロシア人の観客から失笑が漏れたという。「平安時代の宮廷人たちが東北弁を喋っているようなものですよ」と言われると、たしかにそれはおかしみを誘う風景ではあるかもしれないが、やはりそこには悪意のない差別意識が含まれてはいる。

ウクライナ危機の際には、クリミアを占拠したロシア軍特殊部隊の兵士に向かって、猫が「ありがとう、もうキート(кiт)じゃなくなったよ」と話しかけているコラージュ写真が出回った。猫はウクライナ語で「キート(кiт)」、ロシア語では「コート(кот)」である。

クリミアがロシアに併合されたことで、猫もロシア語で呼ばれるようになったというわけだが、なぜ「ありがとう」なのだろうか。おそらくウクライナ語の「キート」がロシア語でクジラを意味する「キート(кит)」のように聞こえることに引っ掛けているのだろう。

「ロシア軍のおかげでクジラから猫に戻れた」=「猫もクリミア併合を歓迎している」というニュアンスがそこにはある。ロシアも非常時には猫の手を借りるのである。

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