ウクライナへの“電撃”侵攻はロシアが併合するための常套手段

ロシアの都市ソチで冬季オリンピックが開催された2014年、クリミア半島占領に踏み切ったロシア。細部には多くの違いがあるが、電撃的な軍事作戦などの方法は、今回のウクライナ侵攻と重なる部分が多い。ロシアの軍事研究の第一人者・小泉悠氏によるクリミア併合時のロシアの主張とそのプロセスの解説から、ロシアが仕掛けたウクライナとの戦争について考えてみたい。

※本記事は、2019年6月に刊行された小泉 悠:著『「帝国」ロシアの地政学??「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(東京堂出版:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■民族的にはロシア人の兵士もいたウクライナ軍

首都キーウ(キエフ)で暫定政権が成立した2014年2月27日、クリミア自治共和国の首都であるシンフェローポリの主要部が、覆面で顔を隠した兵士たちによって占拠されたのを皮切りに、各種インフラや行政機関、軍事施設などが次々と占拠されていった。

この間、少数の衝突による死者が出たのを除くと、占領は驚くほど迅速に、なおかつ円滑に進んだ。クリミア半島が2万6800平方キロメートルもの面積を有する半島であることを考えれば尚更であろう。

彼らがロシア軍であることは明らかだった。作戦の初動においてシンフェローポリ主要部を占拠したのは、参謀本部直轄の精鋭部隊として設立されたばかりの特殊作戦軍(SSO)であり(この部隊についてはそれまで存在さえほとんど知られていなかった)、クリミア半島内にもともと駐留していた黒海艦隊所属部隊や、ロシア本土から送り込まれた増援部隊が続々と合流していったものと見られる。

だが、兵士たちの軍服には国籍や所属を示す記章が縫い付けられておらず、彼ら自身も自分が何者なのかを語ろうとしなかった。プーチン大統領も、3月4日に行われたマスコミ代表者との会見の席上、「クリミアには(もともと駐留している部隊以外に)ロシア軍を増派していない」「クリミアの各地を占拠しているのは地元の自警団だ」などと述べ、自国の関与を否定した。あまりにもあからさまな?である。

さらに記者から「あれはロシア軍の兵士ではないのか」と問い詰められたプーチン大統領は、次のように弁解している。

「旧ソ連諸国を見てくださいよ。似たような軍服だらけでしょう……店に行けばどんな軍服だって買えますよ」

一方、クリミア半島内に駐屯していたウクライナ軍は、ロシア軍よりも数の上でははるかに優勢であった。また、投入されたロシア軍特殊部隊は総じて軽装備であり、後続部隊が登場するまでは、基本的に軽歩兵部隊であったに過ぎない。

現地のウクライナ軍にその意志さえあれば、相当の犠牲と引き換えにではあるが、ロシア軍の第一波を撃退することは可能であったろうし、そうなれば橋頭堡(きょうとうほ)を失ったロシア軍が、重装備を持つ第二派を上陸させることも叶わなかっただろう。だが、無政府状態に陥って混乱するウクライナ側は、突然現れたロシア軍にどう対処してよいのかわからず、多くはしばらくの籠城ののちに無血のまま基地を明け渡した。

▲民族的にはロシア人の兵士もいたウクライナ軍 イメージ:ViShark / PIXTA

クリミア半島に勤務するウクライナ軍人たちの少なからぬ数が、民族的にはロシア人であったことや、セヴァストーポリではウクライナ海軍とロシア海軍黒海艦隊が、文字どおり肩を並べて同居していたこと(もともとは同じソ連海軍黒海艦隊だった)も見逃せない。つまり、占拠を仕掛ける側と仕掛けられた側の心理的距離は比較的近かったわけで、これが抵抗の軽微さにつながった部分が大きいように思われる。

実際、ウクライナ軍人たちのなかには、投降後にロシア軍での勤務を希望する者が多く、セヴァストーポリに司令部を置いていたウクライナ海軍総司令官などは、そのままロシアの黒海艦隊副司令官に横滑りで就任した。

その後、クリミア自治共和国とセヴァストーポリ特別市は「クリミア共和国」としてウクライナから独立することを宣言し、3月16日に住民投票を実施。ここで圧倒的な多数が独立に賛成したことを受けて、3月18日には自発的な加盟という形でロシア連邦に併合された。

これにより、ロシア連邦の構成主体(連邦市・州・地方・共和国など)は、それまでの83から85へと増加したとされたが〔2主体分増加しているのは、クリミア共和国とは別にセヴァストーポリがモスクワ、サンクトペテルブルクと並ぶ第三の「連邦市」に指定されたため〕、もちろん国際社会の大部分は承認していない。ロシアによって「主権を制限されている」はずの旧ソ連諸国や、友好国である中国でさえも同様であった。

▲クリミア自治共和国とセヴァストーポリ特別市をロシアに編入する条約の署名式(2014年3月18日、モスクワ・クレムリン) 出典:Kremlin.ru(ウィキメディア・コモンズ)

■クリミア併合時のプーチン演説に涙を浮かべる聴衆

「クリミア共和国」のロシア併合式典は、モスクワのクレムリン宮殿で行われた。この際、プーチン大統領がおよそ1時間にわたる演説で語ったのは、冷戦後の西側諸国がいかに傲慢であったか、またクリミアがなぜロシアに併合されなければならないのかであった。

▲クレムリンの「ゲオルギーの間」で行われた式典にて演説を行うプーチン大統領(2014年3月18日) 出典:Kremlin.ru(ウィキメディア・コモンズ)

主なポイントは次のとおりである。

クリミアはソ連においても、もともとはロシア領とされていたが、戦後のフルシチョフ時代にはっきりとした法的根拠なく、ウクライナ領ということになってしまった。 政変で成立したウクライナ暫定政権には法的正統性がない。 クリミアの住民自身がロシアへの併合を望んでいる。民族自決権によってある地域が独立できることは、西側自身がコソヴォの例で実証している。 西側諸国は、力による支配で世界の行く末を決めることができると思っているが、ウクライナの件はロシアにとって越えてはならない線を越えるものだった(筆者注:キーウでの政変が西側による陰謀だったことを示唆)。

私は、この様子をあるテレビ局から生中継で見たが、宮殿内の「ゲオルギーの間」に集められた聴衆たち(国会議員や地方の知事ら)のなかには、涙を流す人の姿も見られ、演説の節目では「ロシア!」と叫ぶ声が上がった。プーチン大統領の言葉が会場の聴衆たちに深く響いたことは明らかであった。

これはおそらく、放送回線越しに演説を見ていた一般国民たちも同様だったのだろう。また、クリミアでも、少なからぬロシア系住民はこの演説に対して好意的な評価を下したようだ〔一方、メドヴェージェフ首相は演説の最中に居眠りをしている様子がカメラに捉えられたが、これはこれで豪胆と言うべきであるのかもしれない〕。

もちろん、クリミア半島の住民が、自らの意思でロシアの一部となることには私も異存はない。また、プーチン大統領が指摘するように、フルシチョフ政権期に行われたクリミア半島のロシアからウクライナへの帰属替えに、法的瑕疵(かし)があったことも事実である。

だが、一国の領土を自国に併合しようというなら、その過程では法的な親国(この場合はウクライナ)や現地の非ロシア系住民とのあいだで、十分な合意形成が存在しなければならないはずであり、政変から1ヵ月も経たないうちに実施されたクリミアの住民投票は、あまりにも性急であろう。

さらに言えば、いかにロシア系住民を保護する必要があるといえども、突如としてロシア軍を送り込む手法はあまりにも乱暴である。しかもロシアは当初、軍事介入の事実を認めようともしなかった。

このプロセスは、バルト三国のソ連併合と奇妙に重なって見える。もちろん細部には多くの違いがあるが、電撃的な軍事作戦による占領、シンパシーを抱く現地住民の動員、住民投票、そして併合という手順は概ね共通する。

ロシア系住民の比率が高いために、現地住民のなかで「占領」されたという意識が薄いのはバルト三国と異なる点であろうが、ロシアへの併合を納得しない住民がいないわけではもちろんなく、クリミア・タタールのような少数民族(クリミア人口の約1割を占める)には特にその傾向が強いと思われる。

▲クリミア半島 地図:Volina / PIXTA

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