「人間として当然」ユダヤ人救出から見る樋口季一郎の日本精神

ロシアによる侵攻で、ウクライナからの難民が830万人にもなると報道があったが、現在の日本では「難民」の受け入れは消極的だ。しかし、一般的にはあまり知られていていないが、1938年に満州国でユダヤ人救出を遂行した日本人がいた。それが樋口季一郎陸軍中将だ。ユダヤ人救出、ドイツとの関係に対して問われた樋口中将は「日本精神」に基づいて行ったことであり、特別な同情から助けたのではないと言い切った。樋口中将が語った「日本精神」とは、どういった考え方なのだろうか。産経新聞論説委員の岡部伸氏が、当時のスピーチをもとに紐解きます。

※本記事は、岡部伸:著『至誠の日本インテリジェンス -世界が称賛した帝国陸軍の奇跡-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■ユダヤ人救出の背後に「日本精神」

樋口季一郎中将がナチスのユダヤ人弾圧を公然と批判したニュースは、AP通信などを通じて世界に発信され、ドイツからは厳重な抗議がきました。当時の外務省の驚きようは大変なもので、1938年2月3日、広田弘毅外相の名前で全在外公館の大使と公使に打電して、その反響を調査するように要請したぐらいです。

▲ハルピン時報、ロシア語原文(樋口隆一氏提供)

ハルビンでも大きな反響がありました。樋口中将は、1938年1月11日付の『ハルビン時報』のインタビューに応じて、スピーチの真意を詳しく語っています。

樋口中将は、その紙面を切り抜き、未整理原稿を束ねた紙ひもを留める台紙のなかに隠していたのですから、よほど核心を突いた内容を話したと自覚していたのでしょう。孫の隆一氏が2017年8月に偶然発見して『陸軍中将 樋口季一郎の遺訓』(勉誠出版)に記しているので、重要な一部を紹介します。

「極東ユダヤ人大会開催で、日独関係を悪化させるリスクを考えなかったのですか」との記者の質問に、樋口中将は「どうして日独関係の悪化の原因になるのですか。我々が極東に滞在するユダヤ人に接して善意を示すことが。日本と満州帝国に対しては誠実に生活している彼らですよ。正確に言えば、この二国との誠実な関係です。

日独の友好関係の基本とは、コミンテルンに対する闘いじゃないですか。そこでは民族や、いわんや日独に関係なく、すべての反政府分子に対しては厳格な措置を執らなければならないが、思想穏健なるものに対しては友情の手を差し伸べなければなりません。私はこれこそ日本精神だと思うし、ドイツ民族主義の精神だと思います」と答え、ユダヤ人難民救出の背景に「日本精神」があったことを指摘しています。

さらに、「いささかユダヤ人に対して同情的ではありませんでしたか」との問いに対して、「特別にユダヤ人に対する同情を示したわけじゃありません。私はただ、日本精神から出る我々の真の同情を話したにすぎません。キリストは『何人たりとも愛せよ、たとえ汝の敵たりとも』と教えているではありませんか。このキリストの言葉が、まさに日本精神と一致するのです。

仏教の教えでも、ある賢人、不軽菩薩(ふきょうぼさつ:万人を仏と崇めた)と呼ばれるが、何人たろうとも人に対しては、たとえ敵であろうとも崇めるという、自分のプリンシプルを持っておられました。

我々は、いまは中国と戦争中です。しかし、近い将来、中国を愛し尊敬することができる環境が作られることを心から期待し、望んでいます。いわんや、ユダヤ民族に対する関係は、日本民族には、なんの実害も憎悪もありません。ですから、それ以外の関係をとりようがありません」と、「何人も愛せよ」のキリストの言葉が「日本精神」であると説いたのです。

▲晩年の樋口季一カ

■将来のユダヤ人国家建設を唱えた樋口の卓見

極東ユダヤ人大会の開催や、ユダヤ人難民へのビザ発給を決断した背景に、樋口中将の語る「日本精神」があったことは見逃せない事実です。

「日本精神」とは、現在の日本ではあまり聞かれなくなりましたが、かつて日本が統治した台湾では、「勇気」「忠誠」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を「日本精神」と呼び、好んで用いられています。日本統治時代に学び、自分たちの素養や気質として、誇りを持って「日本精神(リップンチェンシン)」と呼んでいるのです。台湾に日本の武士道が根付いたのかもしれません。

こういう精神があったからこそ、台湾は、戦後の中国文化に完全に呑み込まれず、現在の近代社会を確立できたとも言われています。

樋口中将に代表される当時の日本人が、ユダヤ人を人道的に救出したのも、「日本精神」に基づく行動であったことは忘れてならない事実です。

また、樋口中将がユダヤ人問題の解決方法として、「ユダヤ人国家を建設する計画のみにしかないと思っています(中略)。英国だけでなく、世界中のすべての国がこの問題に対して関心と理解を示し、ユダヤ人が自分の国家を建設する希望を支持するために参加しなければならない」と、小アジア(パレスチナ)にユダヤ人国家を建設することこそ本質的な解決になる、と主張したところは刮目(かつもく)に値します。

この発言から10年後の1948年、ご存じの通り、実際にパレスチナに「ユダヤ人国家」であるイスラエルが建設されました。

▲イスラエル 地図:Harvepino / PIXTA

その事実を踏まえると、当時の日本では、満州にユダヤ人自治区を建設する構想もあったなかで、樋口中将が「パレスチナでの建国こそユダヤ問題の抜本解決」と言い切ったのは、時代を見据えた卓見だったといえます。

■世話になった人たちを助けるのは人間として当然

そもそも、対ロシアのインテリジェンス・オフィサーとして、ウラジオストク、ハバロフスクの特務機関に勤め、ワルシャワ駐在陸軍武官としてポーランドやドイツにも赴任した経験のある樋口中将は、ユダヤ人をめぐる問題に精通していました。

孫の隆一氏は「祖父の決断は、まったくの個人的判断からでした」と指摘し、その理由を「日本人はユダヤ人に非常に世話になった。彼らが困ったときに助けるのは当然だと言っていました」と説明しています。

▲孫の樋口隆一氏

樋口中将は戦後、家族にもユダヤ人救出の件は伏せていましたが、孫の隆一氏には「やるべきことはやった」と秘かに胸を張って話していたそうです。

また、隆一氏は「祖父は合理的に物事を考える人だった。ユダヤ人を救ったのは、筋が通らないことが嫌いだったからでしょう」とも話しています。

『陸軍中将樋口季一郎回想録』(芙蓉書房出版/1999年)によると、樋口中将は、1919年に特務機関員として赴任したウラジオストクで、ロシア系ユダヤ人の家に下宿していたそうです。そして、そこでユダヤ人の若者と毎晩語り明かして親交を深め、ユダヤ問題の存在を知りました。

また、ワルシャワ駐在陸軍武官として1925年から赴任したポーランドでは、弾力性ある国際感覚を身に付け、人口の三分の一を占めるユダヤ人が差別と迫害を受けているという、流浪の民族の悲哀を垣間見ます。ここでも下宿を提供してくれたのは、ユダヤ人でした。

ちなみに、当時のワルシャワでは、1921年から駐在した海軍の米内光政や、樋口と同じく1925年に暗号解読技術習得のため留学した陸軍の百武晴吉(ひゃくたけはるよし)らもユダヤ人宅に寄宿していました。

▲各国の武官と親交を深めたワルシャワ駐在時代の樋口中将(前列右端) 写真:樋口隆一氏提供

この厚遇を忘れなかった樋口中将は、こう説いたそうです。

「戦前の欧州では、アジアの有色人種に対する差別があって、日本人が家を貸してもらえないことが多かった。そのなかで日本人に家や下宿を貸してくれたのはユダヤ人だった。だから、日本人は世話になったユダヤ人に恩義がある。世話になった人たちが困っているのだから、助けるのは人間として当然だろう」

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