北方領土問題について強硬な姿勢を打ち出すロシアの主張

ロシアが北方領土について投資や開発を進める、との意向を示した。これはウクライナとの戦争に対して経済制裁などを実行する日本への反発ともみられている。戦後から現在に至るまで、日本とロシアの関係を停滞させている北方領土問題。ここまで交渉が進まない理由の一つに、日ソ共同宣言をどう解釈するかで、日露間に差異があることが挙げられる。ロシアの軍事研究の第一人者・小泉悠氏が、北方領土問題の歩みと日露双方の主張について解説します。

※本記事は、2019年6月に刊行された小泉 悠:著『「帝国」ロシアの地政学??「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(東京堂出版:刊)より一部を抜粋編集したものです。

■「今、頭に閃いた」??プーチン大統領の爆弾発言

ロシア政府は、毎年9月、ロシア極東のウラジオストクで「東方経済フォーラム」と呼ばれるイベントを開催している〔2020年は新型コロナの影響で中止〕。極東の振興を図るための、ロシア政府肝いりのイベントで、極東開発に力を入れてきたプーチン大統領も毎年参加する。

対露外交を重視する日本の政権にとっても、東方経済フォーラムは重要な外交日程に組み込まれており、安倍元首相も毎回出席してきた。もっとも、9月初頭ということになると、参加する各首脳の訪問準備は8月から始めなければならず、事務方を務める各国外務省の担当者は夏休みを返上する羽目になるとも聞く。

2018年には、その東方経済フォーラムが突如として大きな注目を集めた。各国の首脳が登壇する全体会合の席上、プーチン大統領が突如として「年内にいかなる前提条件も設けずに平和条約を結ぼう」との提案を行ったためである。

プーチン大統領は「たった今、たった今」と二度繰り返したうえで、そのアイデアが「今、頭に閃ひらめいた」と述べたが、その言葉を素直に受けることはできまい。外交当局者に諮(はか)ることなく口にするには、それはあまりにも重大な発言であった。

▲2018年開催の第4回フォーラム 出典:www.kremlin.ru(ウィキメディア・コモンズ)

第二次世界大戦末期、日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦したソ連軍は、日本によるポツダム宣言受諾後も戦闘を続け、1945年9月1日までに国後・択捉・色丹の3島を占拠した。日本政府が米戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に調印したあともソ連軍の侵攻は続き、9月5日には歯舞群島のすべてがソ連軍の占領下となった。現在まで続く、北方領土問題の始まりである。

戦後の1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約第2条c項では、「日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する」と定められたことから、一見すると日本は北方四島を放棄してソ連の占領を追認したように見えなくもない。

ただし、条約の文言には「誰に対して」放棄されるのかは明示されなかった。当初、ソ連側はc項に「ソ連の完全な主権」という文言を入れるように主張したが容れられず、結局、条約に調印しなかったためである。

1956年に結ばれた日ソ共同宣言第9条では、「日ソが平和条約を締結したのちに、歯舞群島と色丹島を引き渡す」ことが定められた。歯舞群島と色丹島は北海道の一部であり、放棄された千島列島には最初から入っていないという日本の立場を、難交渉の末にソ連に認めさせた結果であるが、残る国後島と択捉島の扱いについては玉虫色の決着となった。

共同宣言本文からは「領土問題を含む平和条約」という文言が削られる一方、日本の松本全権とソ連のグロムイコ首相が「領土問題を含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意する」とした書簡(いわゆる「松本・グロムイコ書簡」)を公表したのである。

しかし、日ソの平和条約交渉はその後、停滞の時代に入る。1960年の日米安保条約改定を受けて、ソ連は対日姿勢を硬化させ、領土問題は解決済みという立場をとるようになった。

■ソ連は北方四島を帰属の定まらない係争地と認めた

▲ソ連は北方四島を帰属の定まらない係争地と認めた イメージ:Tsubaki / PIXTA

事態が大きく動くのは、ソ連最末期の1991年になってからであった。同年4月に訪日したゴルバチョフ大統領と日本の海部首相による日ソ共同声明がそれであり、このなかでは北方四島の名前を具体的に列挙したうえで、「領土確定の問題を含む、日本とソ連とのあいだの平和条約の作成と締結に関する諸問題について、詳細かつ徹底的な話し合いを行った」ことが明記された。

北方四島が帰属の定まらない係争地であることを、ソ連が30年ぶりに認めた画期と言える。

この方針はソ連崩壊後のロシア政府にも引き継がれ、エリツィン大統領と細川首相による1993年の東京宣言では、やはり北方四島の名前を具体的に挙げて、これらの島々が日露間の係争地であることが再確認された。エリツィン大統領と橋本首相が合意した1997年のクラスノヤルスク宣言や、2001年にプーチン大統領と森首相が発出したイルクーツク声明でも、東京宣言は平和条約交渉の基礎であると明記されている。

つまり北方領土は、まだ日露いずれのものとも定まらない係争地域であるというのが、冷戦後の日露が積み重ねてきた「前提条件」であった。

このような経緯を踏まえるならば、プーチン大統領のウラジオストク発言は日本側として到底看過できるものではない。四島の帰属を確定するという「前提条件」を飛ばして平和条約に調印することになれば、日露の戦後処理はそこまでとなってしまい、領土問題をどのような形態・条件・時期において処理するのかはロシア側の胸三寸ということになりかねないためである。

実際、プーチン大統領の発言を受けた安倍首相は、その場では苦笑いを浮かべるばかりで返答を避けたが、その後、一対一の場では提案を拒否する旨を明言したと伝えられている。

■どちらの主権になるかは明記されていない

だが、その直後から、日本政府は立場を一変させ始めた。

プーチン大統領のウラジオストク発言があった翌9月13日、当時の菅官房長官は「日ロ関係の発展を加速させたいとの強い気持ちの表れではないか」と発言。安倍首相自身も、プーチン発言は「平和条約締結への意欲の表れだと捉えている」と述べ、にわかに好意的な姿勢を示し始めたのである。

▲シンガポールで行われた日露首脳会談(2018年11月14日) 出典:kremlin.ru(ウィキメディア・コモンズ)

そして同年11月にシンガポールで行われた日露首脳会談後、安倍首相は「日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることでプーチン大統領と合意した」ことを明らかにした。

あえて東京宣言以降の諸合意には触れず、日ソ共同宣言を基礎とするというこの発言は、「前提条件なしの平和条約締結」というロシア側の提案を受け入れたともとれる。この結果、日本政府は北方四島全体の帰属を争わず、歯舞・色丹両島の引き渡しを以て領土問題の解決が図られるのではないかという、「二島」論が大きく注目されるようになった。

▲北海道と南クリルの衛星写真(北方地域) 出典:NASA(ウィキメディア・コモンズ)

しかし、日本側がこのような妥協を示してもなお、交渉の見通しは容易ではない。安倍首相の発言を受けたプーチン大統領は、日ソ共同宣言では「引き渡しの根拠や、どちらの主権になるのかは明記されておらず、引き渡しの用意があると述べているに過ぎない」として「真剣な検討が必要だ」と発言している。

2019年1月に実施された日露外相会談でも、ロシアのラヴロフ外相は、北方領土が「第二次世界大戦の結果としてロシア領になった」という従来の原則的な立場を繰り返したうえ、「北方領土という呼称を用いることは受け入れられない」と述べるなど、依然として強硬な姿勢を崩していない。

なかでも日本として看過できないのは、日ソ共同宣言では島を「引き渡す」と述べているだけであって、引き渡し後の北方領土が「どちらの主権になるかは明記されていない」というプーチン大統領の発言であろう。

シェイクスピアの『ベニスの商人』で用いられた、「肉を引き渡すとは書いてあるが、血については触れていない」論法よろしく、「引き渡すとは言ったが主権まで渡すとは言っていない」という論法である(日本人としては「一休さん」を想起したくなる)。

日ソ共同宣言の文言解釈をめぐって、ロシア側が最大限の条件闘争を行う姿勢であることは明らかであろう。

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