破壊工作の工作員候補としてKGBがリクルートしたい人材とは?

ロシアによるウクライナ侵攻のニュースで、改めて注目されたのがプーチン大統領が元KGBの諜報員だったという経歴だ。現在、ロシアとNATO諸国が衝突する危険性もあるが、20世紀の最重要史料のひとつ「ミトロヒン文書」から、評論家・江崎道朗氏の調査担当を務める山内智恵子氏が、ソ連時代のKGBが立てていた破壊工作などの計画を読み解きます。

※本記事は、江崎道朗:監修/山内智恵子:著『ミトロヒン文書 KGB(ソ連)・工作の近現代史』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです

■西側諸国に対して準備していた特殊作戦

KGBは、ヨーロッパでNATO諸国との戦争が起きたときに備えて、敵戦線の後方で大規模な破壊工作・攪乱工作ができるように準備していました。これを特殊作戦と言います。KGBが、日本を含む西側諸国に対して準備していた特殊作戦について、まとめておきましょう。

1955年4月、特殊作戦は第一総局第十三部が担当することになり、その出先として、世界各国の駐在所にFラインという部署が新設されました(第十三部はのち第五部に改組)。Fラインの任務は、軍情報部と協力して破壊活動や暗殺・テロなどの特殊作戦を計画・実行することと、西側の軍事機密を盗むことです。

第十三部の特殊作戦には、スターリン時代に行われたような暗殺作戦もありますが、破壊工作がより重要になりました。KGB本部は、NATO加盟国および欧州の中立国に置かれた駐在所にFラインを設置して、それぞれ4カ所から6カ所の主要対象に対する詳細な破壊工作計画の作成を命じています。

破壊工作は、破壊工作・偵察グループ(DRG)という部隊が敵戦線後方に侵入して行うことになっており、破壊工作の対象・侵入地点・DRG基地の候補地が、KGB文書に記録されています。地形・ランドマーク・季節ごとの天候・主な風向き・人口の多い地域・現地の習慣などが詳細に記載され、海から侵入する場合には海岸線・潮の流れ・潜水艦やモーターボートの使用条件も書かれています。

これらの情報は、現地の工作員や、家族と会うために西側への旅行を許可されたソ連国民を使って収集されました。主なNATO加盟国と日本では、DRGを支援するための非合法工作員のスカウトも行われています。第十三部のファイルには、年齢・職業・禁忌(スカウトしてはいけない条件)、望ましい条件などのガイドラインもありました。

破壊工作の工作員候補としてKGBが狙ったのは、20〜45歳の電気・機械・化学などの技術者、アメリカ・フランス・カナダ・イギリス・西ドイツ・イタリア・日本の国籍保持者、持ち家・別荘・土地などの保有者でした。

残念ながら、アンドルーとミトロヒンの解説書には、日本の特殊工作支援のための現地工作員について、これ以上の具体的な情報は何もありませんでしたが、実態がどうだったのか気になります。

破壊工作の攻撃対象は、鉄道・石油パイプライン・軍事基地などで、事前にそれぞれの制服が用意されており、いざ有事になったときには、それらの施設に潜入し、破壊することになっていました。

破壊工作には特殊な用語を使うと決められていて、破壊工作は「百合」、爆発装置は「花束」、起爆装置は「小花」、爆発は「しぶき」、破壊工作員は「庭師」と呼ばれました。

Fラインの有事作戦計画は、首都の水道への毒物テロから政府指導層の暗殺まで、なんでもアリでした。イギリスではロンドン地下鉄の浸水、北ヨークシャーのフィリングデール早期警戒基地の爆破、V爆撃機(イギリスの戦略爆撃機)の地上での破壊などの計画がありました。

また、メッセンジャーや配達人を装った工作員が、無色の毒物入りカプセルをロンドンのホワイトホール(日本の霞が関にあたる官庁街)の廊下にばらまくテロ計画も作成されています。知らずに踏んで壊すと死ぬ仕掛けです。

▲ホワイトホール 出典:αR / PIXTA

■アメリカ各地にある破壊工作基地

もちろん、最大の標的は「主敵」アメリカです。

ミトロヒン文書によれば、KGBは1966年に、ニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線を使って、アメリカとメキシコの国境近くに、軍事施設を標的とするDRG基地を作っています。

暗号名「サターン」という支援グループが、米墨国境の都市ティファナから約70キロ南のエンセナーダに基地を置き、国境を行き来する労働者を利用して工作員や武器弾薬を運び込みました。

エンセナーダに置かれた基地というのは、ロシア生まれの工作員が所有するホテルでした。ホテルのように不特定多数の人が出入りしても怪しまれない場所は、工作拠点として使い勝手がよくて便利です。

アメリカ国内にはミネソタ州インターナショナル・フォールズ付近や、モンタナ州グレイシャー国立公園の中など、多くの基地が置かれていました。特にニューヨークにはDRGの攻撃対象が数多くあり、ファイルを読んだミトロヒンが計画の詳細さに舌を巻いたほどです。

▲グレイシャー国立公園 出典:kamchatka / PIXTA

カナダは特殊作戦の重要な標的であり、同時に対米特殊作戦の要地でした。オンタリオ州のウッズ湖の近くなどにDRG基地が作られています。

NATOと戦争になった場合、英米の政府要人の暗殺、それぞれの首都や大都市への広範囲なテロ、軍事基地や武器の破壊、アメリカに対する南北国境からの挟撃などを連動して行う、非常に大規模な敵戦線後方破壊工作計画があったのです。

■日本におけるKGBの破壊工作計画

もちろん日本でも、DRGが日米両国の施設を攻撃するための計画が作られていました。ミトロヒン文書はその一例として、日本駐在所のFラインが1962年に沖縄の米軍基地および、日本国内4カ所の主要な製油施設に対する破壊工作計画を準備したことを示しています。

また、1970年にはDRGの上陸地点候補として、北海道北西沿岸の4カ所が指定されました。1945年に日本がポツダム宣言を受諾したあとでソ連が千島列島に侵攻したとき、あわよくば北海道も攻撃・占領する気満々でしたから、戦後も有事の際に北海道を再び狙ってくるつもりだったのは当然でしょう。

ミトロヒンが場所を明らかにした武器庫や無線基地は、政府が対処しているのでしょうが、実際はどうなのでしょう。

日本政府が、ソ連の手による日本国内の武器庫や秘密基地について確認したのかどうか、私には知る由もありませんが、ミトロヒン文書に詳しい情報が出ている可能性があるなら、調査して確実に除去していただきたいものです。

日本の治安を守るために警戒するべき対象は、外国の情報機関だけでなく、過激な政治団体やテロ組織などいろいろあります。日本の安全保障は、有事および平時の破壊工作のための施設・計画・要員が、国内に存在していることを前提に考えるべきではないでしょうか。

■ピース缶爆弾事件はKGBのテロだった?

KGBの破壊工作には有事を想定したものだけではなく、平時の計画もありました。日本のFラインの計画のひとつが、1965年10月にベトナム反戦デモと同時に、東京のアメリカ文化センター(現在のアメリカン・センター)内の図書館を攻撃する「ヴァルカン作戦」でした。

工作員「ノモト」が図書館の閉館直前に、本型の爆弾とアメリカ製タバコの箱に仕込んだ起爆装置を本棚に仕掛け、早朝に爆破するよう時限装置をセットする計画です。KGBの犯行であることを隠すため、米軍施設への攻撃を呼びかける日本の極右団体のビラをA機関が用意することになっていました。ソ連はよく、自らの犯行を極右団体のせいにする偽装工作をしていました。

ミトロヒン文書によると、ノモトはロシアに移住してカムチャツカで漁業をしていた日本人で、現地でKGBにスカウトされ、1963年に日本に送り込まれています。

ミトロヒン文書には、結局この計画が実行に移されたかどうかの記述はなく、1965年の新聞には該当する事件の記事は見当たりません。

ところが、1969年11月1日に、アメリカ文化センターに時限爆弾が送りつけられて職員、職員1名が負傷する事件が起きています。爆弾はアメリカ製タバコではなくピース缶に仕込まれていました。

1969年から1971年にかけて、この事件を含めて4件の爆破殺傷事件(総称して土田・日石・ピース缶爆弾事件)が続き、警察はこの4件の被疑者として18人の過激派学生を逮捕しました。裁判の結果、別件有罪の1人を除いて全員が無罪になりました。

樋口恒晴常磐大学教授は、このアメリカ文化センター事件がKGBのヴァルカン作戦だったと指摘しています。

もうひとつ、実施されなかったものの非常に衝撃的な別の計画があります。1969年に作成された、東京湾に放射性物質をまき散らす作戦で、これによって米軍横須賀基地の原子力潜水艦に対する全国的な非難を巻き起こすはずでした。そのためには放射性物質をアメリカから調達する必要がありましたが、入手が難しく、かといってソ連製の放射性物質では足がつく恐れがあるため、本部が却下しています。

▲横須賀港に停泊する米軍艦 出典:かたな / PIXTA

最初にこの作戦について読んだときは、東京湾をダーティ・ボムで核攻撃するつもりだったのかと早合点して非常に驚いたのですが、目的は米軍の原潜への非難を煽ること、つまりプロパガンダ工作なのです。そのためにここまでやるのかというのがまた驚きです。もし実行されていたら、どれだけひどいパニックが起きていたかを想像すると、本当にぞっとします。

ミトロヒン文書によれば、1971年にロンドン駐在のFライン担当情報将校が亡命したため、Fラインの特殊工作計画が大幅に縮小されたそうですから、ソ連が解体した今となっては、こんな作戦は過去の遺物になっているといいのですが……。

DRGの武器庫には、ブービー・トラップが仕掛けられているものがあります。1998年の後半に、ミトロヒンの情報に基づいてスイス当局がベルン近郊でKGBの無線機の隠し場所を発見した際は、除去作業中に爆発が起きています。ミトロヒンが写したKGBファイルには、ブービー・トラップの解除法の手順解説がしっかり含まれていました。それでも爆発事故が起きたのですから本当に危険です。

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